都道府県指定史跡・文化財・記念物
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木28号墳? 文献[1]では「円墳、径16.0m」 飯塚・招木27号墳? 文献[1]では「円墳、径19.0m」 飯塚・招木18号墳? 文献[1]では「円墳、径12.6m」 飯塚・招木19号墳? 文献[1]では「円墳、径8.0m、葺石」 文献 [1] 埼玉県教…
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木26号墳? 文献[1]では「円墳、径26.5m」 飯塚・招木32号墳 文献[1]では「円墳、径22.3m」 文献[2]では「両袖型の横穴式石室で、奥壁は大きな板岩を三枚用い、隙間に板石や河原石を充填している。側壁は、板石、片岩、河…
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木16号墳? 文献[1]では「円墳、径15.0m」 飯塚・招木17号墳 文献[1]では「円墳、径17.0m、横穴式石室」 飯塚・招木10号墳? 文献[1]では「円墳、径9.5m、葺石」 飯塚・招木15号墳? 文献[1]では「円墳、径12.7m、横穴式石…
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木5号墳 文献[1]では「円墳、径12.0m、葺石」 飯塚・招木11号墳? 文献[1]では「円墳、径10.1m」 飯塚・招木6号墳? 文献[1]では「円墳、径11.1m、葺石」 飯塚・招木7号墳? 文献[1]では「円墳、径14.4m」 飯塚・招木13号…
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木71号墳 文献[1]では「円墳、径15.6m」 飯塚・招木70号墳 文献[1]では「円墳、径15.2m」 左が飯塚・招木70号墳、右が飯塚・招木1号墳 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木4号墳 文献[1]では「円墳、径7.1m、横穴式石室」 飯塚・招木9号墳? 文献[1]では「円墳、径13.3m、横穴式石室」 飯塚・招木3号墳 文献[1]では「円墳、規模不明」 飯塚・招木2号墳 文献[1]では「円墳、径12.6m」 飯塚・招…
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木73号墳 文献[1]では「円墳、径7.0m」 飯塚・招木72号墳 文献[1]では「円墳、径5.0m」 飯塚・招木69号墳 文献[1]では「円墳、径19.3m」 耐火煉瓦「TAR SK30」 飯塚・招木66号墳 文献[1]では「円墳、径11.2m」 飯塚・招木6…
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木111号墳? 文献[1]では「円墳、径8.7m」 飯塚・招木118号墳? 文献[1]では「円墳、径3m」 飯塚・招木120号墳 文献[1]では「円墳、径6.5m」 飯塚・招木113号墳? 文献[1]では「円墳、径12.0m」 飯塚・招木119号墳? 文献[…
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木103号墳 文献[1]では「円墳、径17.0m、横穴式石室、葺石」 飯塚・招木104号墳 文献[1]では「円墳、径14.5m、横穴式石室」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木106号墳 文献[1]では「円墳、径14.5m、横穴式石室」 飯塚・招木97号墳? 文献[1]では「円墳、径12.8m、葺石」 飯塚・招木87号墳? 文献[1]では「円墳、径11.2m」 飯塚・招木96号墳? 文献[1]では「円墳、径6.8m」 文献 […
和銅黒谷駅前の有料駐車場(1日310円)に車を停めて、飯塚・招木古墳群を探索した。 和銅黒谷駅 宝登山(497m) 武甲山(1304m) 飯塚・招木古墳群 埼玉県指定史跡 飯塚・招木古墳群 秩父市大字寺尾 昭和五十一年三月三十日指定 荒川と尾田蒔丘陵の河岸段丘上にあ…
2月に埼玉県立自然の博物館で特別展「The 蛇紋岩」を鑑賞した後で、皆野町と秩父市で古墳巡りを楽しんだ。最初に訪れたのは円墳大塚古墳。周溝に植えられた梅が開花していた。文献[2]では「円墳、径30m、横穴式石室、周堀確認、土師器」 円墳大塚古墳 昭和33…
次に訪れた東寺山貝塚は、千葉市北部の標高約28m前後の台地上に位置している。貝層は直径約130mの範囲にわたって分布しているといわれ、環状の貝塚である。本格的な発掘調査は行われていないが、縄文時代中期・後期の土器や土偶、ハマグリ・アサリ・キサゴ・…
11月19日に開催された史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」の続き。八幡山古墳石室は、説明板に「昭和52年から54年に発掘調査と復元整備が行われて現在の姿になっています。」と説明があり、整備前の姿が石室実測図に記載されていたが、そこまで理解していなか…
今年もよろしくお願いします。新年最初のブログ記事は、昨年11月19日に開催された史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」で訪れた地蔵塚古墳。過去に2回訪れていて、線刻壁画がある横穴式石室の閉ざされた扉の中を、いつか見学したいと思っていた。2020年3月の北…
岩谷内横穴古墳の次に那須八幡塚古墳群の富士山古墳を訪れた。那須八幡塚古墳群は、駒形大塚古墳、吉田温泉神社古墳群とともに那須小川古墳群として国の史跡に指定されている。富士山古墳は、株式会社吉野工業所の那須小川工場の敷地内ある。許可を得て見学…
「1億5千万年の時をまたぐ場所」の「前原の不整合」を見学した。前原の不整合は、1億5千万年以上前に形成された秩父帯の地層の上に、約1700万年前の古秩父湾の地層が重なる。「不整合」は年代の大きく異なる地層が重なっていることを示す地学用語。 埼玉県指…
次に、金崎神社の由緒書に書いてあった「国造知知夫彦命・知知夫姫命の古塚」を訪れた。国造知々父彦命の墓の脇に植えられた伝わる埼玉県指定天然記念物「国神の大イチョウ」は、樹齢約700年と推定される。宝登山の麓、皆野町の中心部を一望する妙見平の地に…
金崎古墳群の天神塚古墳(大堺4号墳、氷雨塚)。文献[1]では「大正年間に発掘、直刀」「石室は袖無型、南に開口、全長6.00m、幅1.20m、側壁は変成岩(板石)を互目積」文献[2]では「県指定史跡、大境4号墳、氷雨塚、円墳、径13m、横穴式石室、直刀・埴輪が出土」…
金崎古墳群の大堺2号墳。文献[1]では「宅地のため墳丘損壊」「石室は袖無型、南に開口、全長3.40m、幅1.98m、側壁は変成岩(岩石)を互目積」文献[2]では「県指定史跡、円墳、径16m、横穴式石室」 文献 [1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥…
金崎古墳群の1号墳。文献[1]では「未開口」文献[2]では「県指定史跡、円墳、径16.5m」 南西から左手前が大堺3号墳、右奥が大堺1号墳 文献 [1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」 [2] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調…
荒川橋梁から国道140号線(彩甲斐街道)に出て、金崎古墳群を散策した。金崎古墳群は、宝登山(ほどさん)の山裾が、南東方向にのびた河岸段丘に所在する。かつては10基以上の円墳があったといわれているが、現在は埼玉県指定史跡に指定されている大堺1〜3号墳と…
道の駅 岡部のすぐそばの中宿古代倉庫群跡も見学した。妻沼低地を望む櫛引台地の先端部に位置する中宿古代倉庫群跡(中宿遺跡)は、1991年から1998年に調査された7世紀末から10世紀の遺跡で、掘立柱建物跡、礎石建物跡、溜池状土壙、竪穴建物跡、区画溝などの…
晩秋の夕刻に田端環状石積遺構(田端遺跡)を再訪。田端遺跡の東の多摩ニュータウン通り(都道158線)が田端東遺跡、北の小山白山公園が多摩ニュータウンNo.245遺跡、その北西に多摩ニュータウンNo.248遺跡。田端環状石積遺構は、京王相模線の多摩境駅から徒歩7…
新郷貝塚を5年ぶりに再訪。前野宿貝塚から新郷貝塚までは徒歩約10分。 A地点貝塚 B地点貝塚 C地点貝塚 D地点貝塚 新郷貝塚 基準点 地面に散乱する貝 文献 [1] 埼玉県 1980「新編埼玉県史 資料編 1 原始・古代 旧石器・縄文」 新郷若宮公園に隣接する観音堂の…
杉戸町の八幡神社に続いて、春日部市の春日部八幡神社でも中川低地の河畔砂丘群の浜川戸砂丘を見学した。浜川戸砂丘は、古利根川から分かれた古隅田川の最初の蛇行部に位置しており、比較的小規模な2列の砂丘列が残る。砂丘に隣接する浜川戸遺跡からは、砂丘…
埼玉県の天然記念物に指定されている中川低地の河畔砂丘群を見学するために、杉戸町の八幡神社を訪れた。中川低地の河畔砂丘群は、榛名山や浅間山の火山灰などに由来する大量の砂が、平安時代から室町時代の寒冷期の強い季節風により、利根川の旧河道沿いに…
歴史館の敷地に旧水海道小学校本館が移築、復元保存されている。旧水海道小学校本館は、1881年(明治14年)に建築され、日本建築と西欧風建築が融合した明治洋風建築で、明治十年代の県下唯一の遺構。 旧水海道小学校本館 | 【茨城県立歴史館】歴史博物館・文…
茨城県立歴史館の企画展を鑑賞後に水戸農業高等学校旧本館の外観を見学した。1899年(明治32年)から1970年(昭和45年)まで、歴史館の敷地に茨城県立水戸農業高等学校があった。この建物は旧校舎本館を復元したもの。 六地蔵宝幢 旧水戸農業高等学校本館 | 【茨…
平沢古墳群からの帰り道、八幡神社を参詣した。 石造六角地蔵宝幢。県指定文化財(工芸品)。永正16年(1529年)銘をもつ土浦市盛泉寺に所在するものに比較して形態が退化していることから、16 世紀 末期頃のものとされる。 六地蔵石幢|茨城県教育委員会 にほん…