週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

湮滅

天王山古墳、ボッチ山、他 行田市埼玉

天王山古墳(埼玉1号墳)跡と円柱の標識(埼玉7号墳?)を再訪。ボッチ山の跡地を探索した。 天王山古墳(埼玉1号墳)の跡地? 円柱の標識(埼玉7号墳?) ボッチ山の跡地? 二子塚の前方部の先に「将軍塚/稲荷山/ボッチ山」「入口」と刻まれた石標がある。 (右側) …

真土大塚山古墳跡地 平塚市西真土

昨年、大神塚(応神塚)古墳の発掘調査の現地説明会の後で、平塚市の真土大塚山公園の模擬古墳を見学会したが、下調べしていなかったので、近くの真土大塚山古墳跡地に寄らなかった。そこで、寒川町遺跡発掘調査発表・講演会の前に平塚市に立ち寄った。 真土大…

二子塚古墳 (再訪) 中央市大鳥居

王塚古墳の墳丘の上から二子塚古墳の方角を眺めると、給水塔の脇に2機の建機。 今年5月14日の見学会のときと同じルートを辿ると 気持ちを切り替えて次の目的地へ また、戻って来て、二子塚古墳跡と王塚古墳を見上げる 辻切り? 2023年4月号/山梨県中央市公…

鍰煉瓦(湮滅) 荒川区西尾久

2021年1月に「荒川区西尾久の小台橋付近でも鍰煉瓦を発見」とブログに書いた鍰煉瓦が湮滅。 ありし日の鍰煉瓦(2020年12月撮影) 鍰煉瓦があった場所は更地に(2023年7月撮影) 解体中(2023年6月撮影) 鍰煉瓦は教会の裏にあった(2023年3月撮影) 教会の掲示板に貼…

西岡第47号古墳(修道院構内古墳) 大田区田園調布

西岡第47号古墳(修道院構内古墳)の跡地を訪れた。カトリック田園調布教会(聖フランシスコ修道院)の駐車場のあたりに所在したと思われる。ルルド中庭のマリア像の置かれたマウントが古墳を改造したものとの情報が流布されているがガセっぽい。 ルルド中庭 文…

若王子古墳跡 行田市埼玉

11月19日に開催された史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」の続き。八幡山古墳石室の次に若王子古墳跡を訪ねた。途中、八幡山古墳の墳丘を削平して埋め立てた小針沼の跡地である埼玉県行田浄水場や埼玉県水質管理センターの前を通り、旧忍川沿いに中川の碑や弁…

富塚跡 新宿区西早稲田

早稲田大学の會津八一記念博物館の企画展「下総龍角寺」を鑑賞した後で、早稲田大学9号館西側の富塚跡を訪ねた。富塚(とみづか)は新宿区戸塚の地名の由来になった塚。新宿区教育委員会の説明板によれば、かつてこのあたりにあった水稲荷神社の境内に「富塚と…

三千塚古墳群 第I支群 東松山市大谷

水穴配水場前の「三千塚古墳群 第I支群」の説明板を見学。 市指定史跡 三千塚古墳群 (第Ⅰ群) 三千塚古墳群は、大谷地区の丘陵尾根上に広く分布している古墳の集 まりです。古墳群のほぼ中央に位置している雷電山古墳(五世紀初め頃の帆立貝式前方後円墳)を中…

「古墳合祀之碑」 吉見町田甲

吉見町の田甲原古墳群の「古墳合祀之碑」を見学。この碑は文献[1]の「田甲原古墳群(吉見町)」に記載されているが、場所が不明だった。ブログ「451のミニベロ」のMakoさんが執念で再発見した。 451のミニベロ : 川島 卵の買出しと古墳 (1) 補足2 451のミニベ…

面野井古墳群 つくば市面野井

以前、面野井(おものい)古墳群をネット検索したときに見つけた「はなゆみ」さんのウェブサイトの現地説明会レポート(2012/9/15)に面野井古墳群の手書きの分布図の写真があったので、この分布図を頼りに現存する古墳が見つからないか探索した。結論から収穫は…

下川煉瓦(馬さん煉化工場) (再訪) 足立区宮城

2年前に探訪した下川煉瓦の煉瓦塀が消滅したと知り確認してきた。確認するまでもなく消滅していた。工事中のビニールシートの重石は煉瓦と鍰煉瓦だった。 こないだの残念賞。知る人ぞ知る足立区のスキマ。煉瓦はどこへ。 pic.twitter.com/av7vXHb71K— Stray …

東京都交通局千住自動車営業所 足立区梅田

都バスの千住営業所のバス駐車場に煉瓦塀があると聞いて行ってみたら、昨年8月から隣接地で共同住宅が建設中で、煉瓦塀は消滅していた。 悲報。東京都交通局千住自動車営業所の脇の煉瓦塀が共同住宅の建設で消滅していた。 https://t.co/tc4KCaBC6I pic.twit…

芝丸山古墳群跡 港区芝公園

用事で外出したので、芝丸山古墳を4年ぶりに再訪した。港区立芝公園から芝丸山古墳の後円部の裾にアプローチ。そこから後円部には登らずにザ・プリンスパークタワー東京のあるプリンス芝公園へ。芝丸山古墳の西側にはかつては芝丸山古墳群の9基の円墳(陪冢)…

蜻蛉遺跡 草加市谷塚仲町

毛長川によって形成された微高地に所在する蜻蛉(とんぼ)遺跡は、1984年(昭和59年)、1985年(昭和60年)に、辰井川の改修工事に伴い実施された発掘調査で、方形周溝墓3基と円墳1基が見つかっている。 文献 [1] 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 1985「蜻蛉遺跡」『埼…

大井林町古墳 品川区東大井

品川区の遺跡番号19番の大井林町古墳。大井公園内古墳を見学した後は、ご〜ご〜ひでりんさんの「古墳なう」の記事 を頼りに大井林町1号墳跡の推定跡を訪れた。現在は、マンションが建っている。 ご〜ご〜ひでりんさんの「古墳なう」の記事 によれば、大井公…

遠藤山古墳 中野区上高田

中野区立歴史民俗資料館の展示を撮影した写真をチェックしたら、「中野にも...古墳」というタイトルのパネルに「遠藤山遺跡から4つの古墳が見つかっています。その古墳は円墳と呼ばれる(中略)周溝と呼ばれる溝をめぐらせています。(中略)土器や埴輪が溝の中…

塔山古墳群 中野区中央

東京都の遺跡一覧をスクレイピングして、市区町村ごとのまとめページに古墳と横穴墓の遺跡リストを記載した。中野区のまとめで塔山古墳群の名前に覚えがあるなと思って調べてみたら、多分、この中野区立歴史民俗資料館のコーナー展示「速報展 - 塔ノ山遺跡 -…

かぶと塚古墳石室の石材 吉見町北吉見

かぶと塚古墳は吉見町久米田の丘陵尾根の最高部に所在した二段築成の円墳。東西28m、南北26m、高さ4.6m。1973年夏に土取り工事に先立つ発掘調査が行われ、胴張型横穴式石室を検出。複室構造の玄室は全長7m、羨道部の長さ1.8m。石材は凝灰岩質砂岩と緑泥石片…

高部古墳群 木更津市千束台

千葉県木更津市の高部30号墳、32号墳出土品が昨年3月に千葉県指定有形文化財に指定された。高部30号墳、32号墳は関東地方最古級の前方後方墳で、1993年に発掘調査が行われた。調査後の跡地がどうなっているのか調べたところ、木更津市の「よくある質問」に「…

南塚原52, 53, 55, 58号墳跡 神川町二ノ宮

青柳古墳群の南塚原支群の続き。 南塚原52号墳(No.136)は、焼肉屋の敷地の隅にある規模不明の円墳。 南原塚53号墳(No.137)は径18mほどの円墳。すでに消滅。横穴式石室、葺石、周堀を確認。直刀、刀子、鉄鏃、玉、埴輪、土師器、須恵器を出土。 南塚原55号墳(…

南塚原9, 10号墳 神川町新里

青柳古墳群の南原塚支群の続き。南塚原9号墳(No.122)は青柳古墳群南塚原支群で唯一の前方後円墳。全長24.5m。横穴式石室。葺石。南塚原9号墳の後円部の東側の道路予定地にあった南塚原10墳(No.123)は、6世期末頃に築造された径19mほどの円墳。両袖式で6.6mの…

中河原古墳 川越市大袋新田

入間川街道沿いに分布する南大塚古墳群の中で、少し北の入間川の自然堤防の上にある中河原古墳。塚の可能性あり。 鯉のぼりが泳ぐ家の向こうの立木のあたり。 近づいてみると立木が数本を除いて伐採されていた。 墳丘の状態は不明。既に破壊された跡かも。 …

子の神社古墳 川崎市麻生区早野

早野川に沿った微高地に祀られた子の神社。 鳥居の西側に円墳(径12m余り、高さ1.2m)があったが社務所の建設によって消滅。 墳頂部に建てられていた日露戦役の記念碑は社殿の東側の空き地に移設された。 文献 佐藤善一・伊東秀吉 1989「川崎市内の高塚古墳に…

観音松古墳 横浜市港北区日吉

多摩川右岸の鶴見川下流域では鶴見川の支流の矢上川を挟んで対峙する白山古墳と観音松古墳が最初に出現した。その距離500m。どちらも前方後円墳。白山古墳は全長87m。観音松古墳は発掘調査の記録が公表されていないので詳細がわからない。どちらも出現期の前…

法界塚古墳 川崎市高津区梶ケ谷

梶が谷駅から南西に徒歩7分のJAセレサ川崎の敷地内に法界塚古墳の説明板と古墳らしき塚があるが、古墳はすでに破壊されているようだ。文献[2]によると「昭和40年代の初め頃にはまだ実存していたようで、その時の規模は径9m前後の円墳であったと思われます。…

高稲荷古墳 川口市東本郷

高稲荷(こういなり)古墳は毛長川左岸の大宮台地南端にかつてあった前方後円墳。1960年、土取りのため湮滅。明治大学考古学研究室が測量と発掘調査を実施。全長75m、後円部径50m、後円部高さ9.5m、前方部幅27m、前方部高さ6.5m。後円部の墳頂中央部下1.5〜1.7…

伊豆美神社 狛江市中和泉

兜塚古墳から西に徒歩2分の伊豆美(いずみ)神社の由来。889年(寛平元年)北谷村字大塚山に大國魂神社(府中市)を分祀して六所宮とした。1550(天文19)年、多摩川の洪水により社地が流されたため、二年後の1552(天文21)年に現在地へ遷座された。1868(明治元)年に…

一夜塚古墳 朝霞市岡

1943年に朝霞市立朝霞第二小学校の建設のために削平された一夜塚古墳。円墳。径50m。高さ7m。木炭槨。遺物は、方格規矩鏡、挂甲、馬具類が出土。6世紀前半の築造と考えられる。 石碑が立つ。 (正面) 一夜塚古墳趾 埼玉縣史編纂嘱託 稲村坦元書 (裏面) 北足立…

峡山古墳 朝霞市浜崎

新河岸川と黒目川に挟まれた台地の突端にある峡山(はけやま)古墳。黒目川を挟んで柊塚古墳と対峙する。前方後円墳。「峡(はけ)」は「崖(がけ)」の意味。朝霞市立第三小学校らか北に300m。2020年に湮滅。 南側は畑が広がる。 児童公園 柊塚古墳の方向の眺め。…

白山古墳と第六天古墳 川崎市幸区北加瀬

白山(はくさん)古墳は4世紀後半頃に築かれた武蔵国でも最も古い大形の前方後円墳。全長87m。1937年に発掘調査され、遺体を安置した主体部からは鏡類・玉類・鉄器類など多量の副葬品が発見された。多摩川流域では唯一の「初期」の三角縁神獣鏡が出土している…