階段・裏路地
東京都23区内の最高峰の愛宕山(標高26m)の山頂に鎮座する愛宕神社。1603年(慶長8年)、徳川家康公の命により防火の神様として祀られた。「出世の石段」は講談で有名な「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎の故事にちなむ。詳しくは「愛宕神社トリビア | 愛宕神社」…
えんぴつロードを後にして、三菱鉛筆本社の裏を回り込もうとしたら、気になる裏路地を見つけ、足を踏み入れた。裏路地の先には階段。左折して進むと東大井公園。 近く塀や掲示板で見つけたポスター にほんブログ村
1905年(明治38年)に、梅木小学校付近一帯に東京砲兵工廠(のちの造兵廠)の射場が設けられ、火薬の爆破実験、銃砲の実射実験が行われた。かつて、射撃場を囲んでいた外壁の一部が残っている。 環七から裏路地に降りる歩道橋 陸軍稲付射場跡の外壁 裏から 梅木…
舎人ライナーの熊野前駅から北西に徒歩6分の区画整理されていない歴史的な路地裏に残る煉瓦塀。文献[1]によると「戦時中に敷地内に防空壕を造った際、一部が取り壊された」とのこと。 文献 [1] 荒川区教育委員会 2011「煉瓦のある風景 -あらかわの建築と煉瓦…
西ヶ原みんなの公園の西側の下瀬坂。 下瀬坂はかつてこの地にあった海軍下瀬火薬製造所に由来する。下瀬火薬は、海軍技師下瀬雅允(しもせまさちか)が実用化した石炭酸を硝化して作るピクリン酸を主成分とする爆薬。1893年に日本海軍に採用され、日露戦争(190…
荒川区の煉瓦巡りの際に、古墳との関連が指摘される場所を訪ねた。旭電化通りの南約140mの区画整理されていない歴史的な路地裏に石神を祀る下尾久石尊(しもおぐせきそん)はある。祀られている石は掘っても掘っても掘り返すことが出来ないといわれる。また、…
メタセコイヤマンション裏のシケインのようにクランクする裏路地にある煉瓦擁壁。擁壁の向かいには煉瓦塀が残る。 長手積みの煉瓦塀 イギリス積みの煉瓦擁壁 民家の裏に煉瓦塀が残る 井戸が残る にほんブログ村
日蓮大聖人御入滅之霊場、日蓮宗本山池上大坊本行寺の「ご臨終の間」は、日蓮聖人がお亡くなりになられた池上宗仲公邸の仏間であったお部屋の跡に建てられたお堂。鎌倉を去り甲斐国身延山に宗教活動の場を移されていた日蓮聖人が、弘安5年(1282年)、病の悪化…
1888年に発見された貝塚。JR日暮里駅北口改札から谷中の夕焼けだんだんと呼ばれる階段を降りたところに説明板がある。発見当時は延命院の寺地だったため日暮里延命院貝塚と名付けられた。