鍰煉瓦
2021年1月に「荒川区西尾久の小台橋付近でも鍰煉瓦を発見」とブログに書いた鍰煉瓦が湮滅。 ありし日の鍰煉瓦(2020年12月撮影) 鍰煉瓦があった場所は更地に(2023年7月撮影) 解体中(2023年6月撮影) 鍰煉瓦は教会の裏にあった(2023年3月撮影) 教会の掲示板に貼…
北区栄町の煉瓦塀と鍰煉瓦。 都電荒川線の踏切とJRのマンホールの蓋 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。 にほんブログ村
北区飛鳥山博物館の展示「Made in 北区を探せ!」を鑑賞したついでに北区豊島の鍰煉瓦を探索。2年前に見落としていた鍰煉瓦をいくつか発見。 (1)竹箒の柄の下に鍰煉瓦(2年前は自転車の前輪の下に鍰煉瓦だった) (2)歩道の植え込みに三角コーンと鍰煉瓦 (3)鉢…
北区飛鳥山博物館で開催中の夏休みわくわく展示「Made in 北区を探せ!」を鑑賞した。150年前から100年前、100年前から80年前、80年前から50年前、50年前から10年前のそれぞれの時代で、北区で生産・製造されたものを紹介する。「滝野川にんじん」に代表され…
北区志茂の北清掃工場のあたりにかつて電車運行の給電を担う火力発電所があったそうだ。荒川から水を引き込むための水路があった志茂東公園に赤羽発電所跡のモニュメントと説明板が立つ。現在は北清掃工場の排熱を利用した室内温水プールの元気ぷらざが市民…
2年前に探訪した下川煉瓦の煉瓦塀が消滅したと知り確認してきた。確認するまでもなく消滅していた。工事中のビニールシートの重石は煉瓦と鍰煉瓦だった。 こないだの残念賞。知る人ぞ知る足立区のスキマ。煉瓦はどこへ。 pic.twitter.com/av7vXHb71K— Stray …
以前に豊島区駒込の天理教東京教務支庁の鍰煉瓦の塀をブログ記事で取り上げたが、足立区梅田の天理教浅草大教会にも鍰煉瓦があると聞いて訪れた。今回は敷地内には立ち入らなかったが敷地内にも鍰煉瓦があるそうだ。 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参…
以前、北区の鍰煉瓦巡りで訪れた若宮八幡神社は豊島清光ゆかりの社と聞いて再訪した。 前回の写真も再掲。 若宮八幡神社 | 歩きたくなる街東京都北区 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。 豊島清光については にほんブログ村
北区堀船の大型マンション建設地の脇で見つけた鍰煉瓦。 路地でも鍰煉瓦を発見。 白山堀公園の『堀船』の名前の由来の説明版 『堀船』の名の由来堀船の名は、堀之内村と船方村とが合併してできたものである。 江戸時代から明治22年まで、このあたりは梶原堀…
ガードフェンスの脇で鍰煉瓦を発見。なぜか一個だけ。 こちらのお宅にも。 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。 にほんブログ村
(仮称)西尾久六丁目東防災スポットの整備工事中の現場をのぞいたら怪しい石材。よく見ると鍰煉瓦。 完成後 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。 にほんブログ村
足立区宮城の民家の駐車スペースで鍰煉瓦を発見。 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。 にほんブログ村
1936年(昭和11年)に文京区白山から北区堀船に移転してきた東京書籍印刷の工場はダイヤモンドトラストという当時の先進的な工法が使われた。立体トラスト工法の一種で昭和初期に日本で発明された。柱のない広い空間に印刷や製本の機械を効率よく配置できた。…
あらかわ遊園の西隣の船方神社を再訪。 十二天塚 明治三十七八年役(日露戦争)凱旋記念の碑。「丗」は30の漢数字。 水神社 煉瓦造の神輿蔵 鍰煉瓦を発見 荒川区西尾久の小台橋付近でも鍰煉瓦を発見。 残念なことに、こちらの鍰煉瓦は 鍰煉瓦についてはこちら…
3年前に古墳巡りを始めた頃に訪れた十条冨士塚。古墳を利用した富士塚とされる。日光御成道(旧岩槻街道、都市計画道路補助第83号線)の拡幅工事が塚の手前まで迫っていると聞いて再訪した。 今年7月の十条冨士塚神社の大祭の後に石碑移設・除去工事。12月頃か…
隅田川を挟んだ北岸の足立区に残る山形の鍰(からみ)。 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。 にほんブログ村
王子の地名の由来になった王子神社。旧称は王子権現。東京十社巡りの1社。1322年(元享2年)、領主の豊島氏が紀州の熊野権現を勧請して若一王子宮と奉斎、王子の名称が起る。 社殿の右脇から音無親水公園に降りる参道に鍰煉瓦(からみれんが)が埋め込まれている…
鍰煉瓦は鍰(からみ)を箱形に固めたものだが、鍰を山形に固めたものもある。 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。 にほんブログ村
宗派を問わずに葬儀ができる会館を併設する豊栄寺。鍰煉瓦が目当てで訪れた。 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。 にほんブログ村
北区の鍰(からみ)煉瓦巡りの続き。 (1)角の車避け(いけず石)の鍰煉瓦 (2)敷地隅の鍰煉瓦 (3)煉瓦造の花壇前の鍰煉瓦 (4)建物の隅に鍰煉瓦 (5)鍰煉瓦の欠片 (6)電柱脇に鍰煉瓦 (7)玄関脇に煉瓦on鍰煉瓦 (8)駐車場に埋め込まれた鍰煉瓦 (9)植木鉢の下に鍰煉瓦 …
北区の鍰(からみ)煉瓦巡りの続き。 (1)自転車の前輪の下に鍰煉瓦 (2)ブロック塀の角に鍰煉瓦 (3)ホースに絡まれた鍰煉瓦 (4)店舗前に鍰煉瓦 (5)コンクリートに守られた鍰煉瓦 (6)看板の足を守る鍰煉瓦 (7)外階段と鍰煉瓦 (8)ブロック塀の角に鍰煉瓦 (9)給湯…
北区の豊島5丁目団地の周辺に分布する鍰煉瓦(からみれんが)を探して歩いた。豊島5丁目団地は、1972年(昭和47年)から翌年に竣工した公団住宅で、千葉県袖ヶ浦市に移転した日産化学工業王子工場の跡地に建設された。日産化学工業王子工場は、1895年(明治28年)…
染井霊園の隣の天理教東京教務支庁の鍰煉瓦の塀。文献[1]によると1999年4月の研修棟改修の発掘調査で大量の鍰煉瓦(からみれんが)のを使った塀が確認された。 敷地の内側から隣の泰宗寺との境の鍰煉瓦の塀 十二地蔵。享保15年の大火による犠牲者の冥福を祈る…
西ヶ原みんなの公園の西側の下瀬坂。 下瀬坂はかつてこの地にあった海軍下瀬火薬製造所に由来する。下瀬火薬は、海軍技師下瀬雅允(しもせまさちか)が実用化した石炭酸を硝化して作るピクリン酸を主成分とする爆薬。1893年に日本海軍に採用され、日露戦争(190…
紀州通りの煉瓦造の蔵がある邸宅。 豊島にはかつて斎藤煉瓦製造工場があった。 にほんブログ村
海徳寺の西側の塀の下部が鍰煉瓦(からみれんが)。 「奉納」と「明治四十三年十月」と記されている。 さらに進むと本覚寺の塀の角に「KHK」と記された京浜急行の標石(境界石)が見つかる。背後の高架に京急の電車と新馬場駅が見える。 鍰煉瓦についてはこちら…
新橋駅から南に徒歩6分の新橋住友ビルは、エントランスに愛媛県の四阪島銅製錬所で自家用に鋳造して使用していた鍰煉瓦(からみれんが)を敷石としている。新橋住友ビルには住友金属鉱山の本社が入居している。その関係か。 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記…
東京国税局王子税務署の西の通りに東京第二陸軍造兵廠王子工場(板橋火薬製造所王子工場)の標石(境界石)が残る。 「陸軍」の文字が刻まれている。よく見たら、隣の段差スロープにローマ字でことわざが書かれている。 塀に沿って鍰煉瓦(からみれんが)が並ぶ こ…
鉱石から金属を精錬するときに生じる鉱物成分など含む物質をスラグもしくは鉱滓(こうさい)と呼ぶ。銅やアルミニウムなどの非鉄金属の精錬で生じたスラグの場合、鍰(からみ)とも呼ばれる。鍰煉瓦は鍰を型に流し込んで固めたもの。重い、衝撃に弱い(脆い)とい…