週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

長持形石棺 (王者の石棺)

天慶塚古墳の石棺が関東で5例しかない長持形石棺といことで、長持形石棺について調べた。長持形石棺は、近世の日本で用いられた民具(衣料の収納具)の「長持(ながもち)」に似ていることから命名された。長持には、長端部に棹(さお)を通すための金具があり、運搬時にはここに太い棹を通して二人で担ぎ持ち運ぶ。長持形石棺にもこの棹のような突起物(縄掛け突起)がある。ここで厄介なのは、縄掛け突起がある石棺が長持形石棺なのかというとそうではない。縄掛け突起のある石棺の例として、藤井寺市の長持山古墳の石棺をあげると、文献[2]によれば「長持山古墳の石棺」は家形石棺の初現期とされるそうだ。文献[4]に2基の長持山古墳の石棺の写真と説明があり、1号石棺には身と蓋の小口に一対の縄掛け突起がある。文献[2]に戻ると「(長持形石棺は)現在全国で50例を数えるほどしか確認できていません。また、東北から北九州にかけての古墳で発見されていますが、特に、畿内およびその周辺に集中している傾向にあります。その使用年代は古墳時代前期後半から中期の約100年間に限定できます。」とのこと。文献[3]には「石材には組み合わすための溝、または段を作るものが多くみられます。」「長持形木棺と呼べるものがあった可能性が考えられます。」「小口部に認められる方形突起はこの木棺の木板に貫通した方形の穴に木栓を挿入した形態に近いことが指摘されています。」とある。

東京国立博物館のバックヤードに保管されている上野国群馬郡岩鼻村の火藥製造所構内出土の石棺(岩鼻二子山古墳の石棺)には縄掛け突起があるが長持形石棺ではなく縄掛け突起付き舟形石棺。岩鼻二子山古墳に先行してすぐ北に築かれた不動山古墳も縄掛け突起付き舟形石棺。

群馬県高崎市の岩鼻二子山古墳の石棺
f:id:kofunmeguri:20210202084253j:image

群馬県高崎市の不動山古墳の石棺
f:id:kofunmeguri:20210202085906j:image
f:id:kofunmeguri:20210202085910j:image

群馬県藤岡市の七輿山古墳の東隣の宗永寺に保管されている宗永寺裏東古墳出土の舟形石棺も身の長側板に楕円形の縄掛け突起が2個づつ付いている。

f:id:kofunmeguri:20210203074832j:image

関東を代表する長持形石棺は群馬県伊勢崎市のお富士古墳の石棺で墳頂に展示保存されている。

f:id:kofunmeguri:20210202090613j:image
f:id:kofunmeguri:20210202090610j:image

お富士山古墳所在長持形石棺/伊勢崎市

伊勢崎市教育委員会のパンフレットによると「長持形石棺は、底石(そこいし)、側石(がわいし)と小口石(こぐちいし)で箱形をつくり、かまぼこ形の蓋石(ふたいし)」と6枚で構成され、その形は衣服を入れた長持ににています。」「関東地方ではお富士山古墳と太田市天神山古墳のほか、千葉県で2例知られているだけです。」とする。太田天神山古墳の石棺は小口の突起物の一部の破片が出土している(文献[5])。文献[1]によれば「(お富士山古墳と太田市天神山古墳の石棺の)形態は畿内の中心部で用いられた竜山石の典型的な長持形石棺と同様のもので、使用している砂岩の色調まで竜山石(全体として淡い黄色)に類似するという。ここまで類似すると、畿内から石棺作りの工人まで招聘するような緊密な関係を畿内の中心勢力との間にもっていた被 葬者像が浮かんでくる。 」とする。また、「(千葉県の)豊浦大塚山、高柳銚子塚の2例は、畿内王権の棺である長持形石棺を意図して製作されたことは明らかで、それぞれ長持形石棺の一類型であると考える。ただし、毛野のように直接畿内の石棺作り工人が関与するには至らなかったため、典型的な長持形石棺にはならなかったのであろう。」とする。

さて、世田谷区教育委員会によれば関東で5例目とする天慶塚古墳の石棺は一昨年の野毛古墳まつりの会場で発掘調査時の写真がパネル展示されていた。発見されたのは石棺の石材片で、この石材片から石棺をどう復元するのか興味深い。報告書の発行が待たれる。

f:id:kofunmeguri:20210131130537j:plain

天慶塚古墳の次に王位を継いだと考えられる野毛大塚古墳の3番目の被葬者が埋葬された組合式の箱形石棺は、レプリカが世田谷区立郷土資料館に展示されている。石材は千葉県富津付近もしくは神奈川県三浦半島付近の磯石。厚さ15cmほどの板石を使って、底石2枚、長側板4枚、短側板2枚で蓋石1枚の9枚で構成。小口は短側板が長側板に挟まれる型式。

f:id:kofunmeguri:20210202173552j:image

長持形石棺は別名「王者の石棺」と呼ばれ、一昨年、伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館の特別展示「王者の石棺」を拝見した。展示されていたのはお富士古墳の石棺のレプリカで、この石棺のレプリカは2個つくられ、1個は群馬県立歴史博物館に常設展示されている。

太田天神山古墳の説明板に「後円部南裾付近に大型の長持形石棺の一部が露出している。」とあったので探して見つけたのが下の写真だが、これが長持形石棺の一部なのかは自信がない。

f:id:kofunmeguri:20210202102915j:image
f:id:kofunmeguri:20210202102910j:image

千葉県富津市の弁天山古墳は後円部から竪穴式石室が検出され、石室の天井石には縄掛け突起があり、東日本では唯一。類例は奈良県の大王陵級に限られる。

f:id:kofunmeguri:20210203072424j:image

津堂城山古墳出土長持形石棺の実物大レプリカの展示をおこなっています。/藤井寺市

文献

[1] 白井久美子 1995「高柳銚子塚古墳をめぐる諸問題」『日本考古学 』 2 巻 2 号

[2] 藤井寺市教育委員会 1995「津堂城山古墳の石棺/藤井寺市」 教育広報『萌芽』第10号平成7年2月号

[3] 藤井寺市教育委員会 1995 「長持形石棺のこと/藤井寺市」教育広報『萌芽』第11号:平成7年7月号

[4] 藤井寺市教育委員会 1999「長持山古墳の石棺/藤井寺市」教育広報『萌芽』第19号:平成11年8月号

[5] 太田市教育委員会 「天神山古墳・女体山古墳リーフレット

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村