古墳
奈良市の富雄丸山古墳の大発見のニュースが、引き金となって、違法なお宝探しを誘発しないか心配。 3 被害状況 墳丘の盛土部分のき損(掘削) 墳頂中央部 直径約90cm、 深さ約250cmの円形 墳頂東側 縦約120cm、 横約60cm、 深さ約190cmの長方形 ※墳丘盛土の掘…
私は訪れていませんが、 1月25日の公表以降、各種報道やSNS等を賑わせせている奈良市の富雄丸山古墳。残念ながら1月28日と29日に開催された発掘調査現場公開には行けなかったので、皆さんのツイートで楽しませていただいた。 富雄丸山古墳の発掘調査現場を1…
早いもので1月もあと数日。今年はまだ古墳巡りを始めていない。そこで、ブログ記事の下書きは準備したけど、まだ、行けてなくて塩漬けになっている記事を放出する。初回は沼津市の高尾山古墳。保存の方針が決定された2017年12月より前に書いた記事なので内容…
武者塚古墳の現地説明会の後で、武者塚古墳から南東に徒歩6分の坂田台山古墳群の塚山古墳を探索。文献[1]では武者塚古墳群(2基)と、坂田台山古墳群(塚山古墳)と、坂田塙台古墳群(10基)と、坂田立野古墳群を合わせて坂田古墳群としている。今回、探索したのは…
武者塚古墳の現地説明会の会場に早めに到着したので、武者塚古墳から北西に徒歩12分の坂田立野古墳群を探索。文献[1]では武者塚古墳群(2基)と、坂田台山古墳群(塚山古墳)と、坂田塙台古墳群(10基)と、坂田立野古墳群を合わせて坂田古墳群としている。今回、…
水守桜塚古墳は、茨城県南部を代表する前期古墳の一つで、筑波山の西側を南流して霞ヶ浦に注ぐ桜川の西岸、筑波台地の舌状台地先端部の標高25mに立地する。1979年の筑波大学の発掘調査で墳頂部から長大な割竹形木棺を納めたとみられる粘土槨が検出され、変形…
水守古墳群の続き。ソーラーパネル群の中にある1基を探索した。 旧つくば市立田水山小学校の南南東約400mで発見。 ソーラーシェアリング つくば市水守(みもり)古墳群 | 趣味の案件埼玉古墳軍/茨城石づくし 「ソーラーシェアリングはなぜ普及しないのか」と…
武者塚古墳の現地説明会は午後から開催だったため、午前中につくば市の水守古墳群を探索した。水守古墳群は、筑波山の西側を南流して霞ヶ浦に注ぐ桜川の西岸、舌状台地に立地する。文献[2]の「番号140、水守古墳群、平成25・26年発掘調査、円墳6基、水守遺跡…
土浦市の武者塚古墳の現地説明会への行きの道中で、国道6号線の牛久駅西出口交差点の「河童の碑 4Km」の看板が以前から気になっていて、時間があるので左折した。突き当たりの刈谷第2街区公園の所まで来て、地図を確認したら、刈谷自治会館の裏に刈谷古墳が…
11月19日に開催された史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」の続き。若王子古墳跡の次に白山古墳と白山愛宕山古墳を訪ねた。 白山古墳 白山古墳 この古墳は、埼玉古墳群の北端に位置する直径約50m、高さ5.7mの円墳です。墳丘の一部に白山姫神社がまつられていて…
11月19日に開催された史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」の続き。八幡山古墳石室の次に若王子古墳跡を訪ねた。途中、八幡山古墳の墳丘を削平して埋め立てた小針沼の跡地である埼玉県行田浄水場や埼玉県水質管理センターの前を通り、旧忍川沿いに中川の碑や弁…
11月19日に開催された史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」の続き。八幡山古墳石室は、説明板に「昭和52年から54年に発掘調査と復元整備が行われて現在の姿になっています。」と説明があり、整備前の姿が石室実測図に記載されていたが、そこまで理解していなか…
今年もよろしくお願いします。新年最初のブログ記事は、昨年11月19日に開催された史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」で訪れた地蔵塚古墳。過去に2回訪れていて、線刻壁画がある横穴式石室の閉ざされた扉の中を、いつか見学したいと思っていた。2020年3月の北…
岩谷内横穴古墳の次に那須八幡塚古墳群の富士山古墳を訪れた。那須八幡塚古墳群は、駒形大塚古墳、吉田温泉神社古墳群とともに那須小川古墳群として国の史跡に指定されている。富士山古墳は、株式会社吉野工業所の那須小川工場の敷地内ある。許可を得て見学…
那須官衙遺跡の次に首長原古墳を訪れた。 首長原古墳(しゅちょっぱらこふん) 首長原古墳について この古墳は那珂川町三輪字七所原にあり、那珂川により形成された中位の河岸段丘上面である小川面の東端に位置しています。周辺には7基の古墳からなる七所原古…
二荒神社古墳群の続き。 一番南の1基 少し北にもう1基 古墳なう 大田原市 「二荒神社古墳群 その1」古墳なう 大田原市 「二荒神社古墳群 その2」 北に見える森の中に観音塚古墳と二ツ室塚古墳 にほんブログ村
12月の上侍塚古墳の発掘調査の現地説明会の後で、二荒神社古墳群の5基を探索。 二荒神社 二荒神社の社殿裏に1基 少し北にもう1基 すぐに北にもう1基 古墳なう 大田原市 「二荒神社古墳群 その3」古墳なう 大田原市 「二荒神社古墳群 その4」 にほんブログ村
那珂川町の文化財(記念物)に指定されている駒形大塚陪塚2号墳と3号墳を探索した。 駒形大塚陪塚2号墳 駒形大塚陪塚3号墳 町指定文化財(記念物) | 史跡 | 那珂川町那珂川町駒形大塚古墳(那須小川古墳群 その1) | 趣味の案件古墳なう 那珂川町 「駒形大塚3…
12月の上侍塚古墳の発掘調査の現地説明会の前に駒形大塚古墳を再訪した。 那須小川古墳群/駒形大塚古墳/吉田温泉神社古墳群那須八幡塚古墳群 文化遺産オンラインとちぎの文化財【那須小川古墳群 駒形大塚古墳 吉田温泉神社古墳群 那須八幡塚古墳群】とちぎい…
吉田温泉神社古墳から南に約200mの観音堂古墳(吉田温泉神社21号墳)。墳丘は規模が約31mの不整形な隅丸方形。 観音堂古墳 観音堂古墳は、 墳丘の規模が約31mの不整形な隅丸方形を示し、南側には小さな張出しをもっている。墳丘は当時の表土上に周囲を削った土…
那須八幡塚古墳から北に約500mの吉田温泉(ゆぜん)神社古墳を訪れた。吉田温泉神社古墳は、駒形大塚古墳・那須八幡塚古墳よりやや後出する4世紀末から5世紀初頭頃に築造された前方後方墳。推定墳丘は全長約50m弱で南面する。 この地域は国指定史跡 那須小川古…
11月の上侍塚古墳での発掘体験の前に、那須小川古墳群を探索した。那須小川古墳群は、那珂川支流の権津川(ごんずがわ)流域に展開する古墳時代前期に築造された古墳群。駒形大塚古墳、吉田温泉(ゆぜん)神社古墳、那須八幡塚古墳の3基の前方後方墳と21基の方墳…
明治時代に封土が取られ横穴式石室の一部が残存している大渕古墳。文献[1]では「墳形不明、規模不明、横穴式石室、須恵器が出土」 青木巡査殉難の地、背後は蓑山(581.5m) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「…
稲荷塚古墳は、文献[2]によれば、高さ1.2mの円墳で、大正5年(1916)に石槨が発掘され、環頭大刀1と、刀子1、須恵器の提瓶(ていへい)1、坩(かん)1が発見されている。このうち、環頭大刀1と刀子1は東京国立博物館に収蔵され、ほかの遺物は地元で保管されること…
次に、金崎神社の由緒書に書いてあった「国造知知夫彦命・知知夫姫命の古塚」を訪れた。国造知々父彦命の墓の脇に植えられた伝わる埼玉県指定天然記念物「国神の大イチョウ」は、樹齢約700年と推定される。宝登山の麓、皆野町の中心部を一望する妙見平の地に…
金崎古墳群の天神塚古墳(大堺4号墳、氷雨塚)。文献[1]では「大正年間に発掘、直刀」「石室は袖無型、南に開口、全長6.00m、幅1.20m、側壁は変成岩(板石)を互目積」文献[2]では「県指定史跡、大境4号墳、氷雨塚、円墳、径13m、横穴式石室、直刀・埴輪が出土」…
金崎古墳群の大堺2号墳。文献[1]では「宅地のため墳丘損壊」「石室は袖無型、南に開口、全長3.40m、幅1.98m、側壁は変成岩(岩石)を互目積」文献[2]では「県指定史跡、円墳、径16m、横穴式石室」 文献 [1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥…
金崎古墳群の1号墳。文献[1]では「未開口」文献[2]では「県指定史跡、円墳、径16.5m」 南西から左手前が大堺3号墳、右奥が大堺1号墳 文献 [1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」 [2] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調…
荒川橋梁から国道140号線(彩甲斐街道)に出て、金崎古墳群を散策した。金崎古墳群は、宝登山(ほどさん)の山裾が、南東方向にのびた河岸段丘に所在する。かつては10基以上の円墳があったといわれているが、現在は埼玉県指定史跡に指定されている大堺1〜3号墳と…
10月に長瀞町を訪れた。埼玉県立自然の博物館で開催中の企画展「The 蛇紋岩」を鑑賞するつもりで館内を一回りしたところで、開催前だったことに気がついた。 博物館前のパレオパラドキシア 日本地質学発祥の碑(赤鉄石英片岩) 間違って、今日、行ってしました…