週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

坪井正五郎

園生貝塚 千葉市稲毛区園生

次に訪れた園生貝塚(そんのうかいづか)は、縄文時代中期末葉から晩期前半にわたり形成された大型貝塚で、南北径135m、東西径110m、北側に開口する馬蹄形を呈する。花見川と都川の間の標高30mの洪積台地上、南に千葉都市モノレール穴川駅、東に京葉道路穴川イ…

友山・武香ミュージアム 熊谷市冑山

埼玉県文化財収蔵施設で北大竹遺跡の展示を見学後に、熊谷市の文化財(有形文化財・建造物)に指定されている根岸家長屋門と長屋門の一部を整備して根岸家の歴史についての紹介展示する友山・武香ミュージアムを見学した。根岸家長屋門は、冑山村の名主であ…

大神塚(応神塚)古墳発掘調査現場説明会 (3/26) 寒川町岡田

3月26日に寒川町で開催された大神塚(応神塚)古墳の発掘調査の現地説明会に参加した。事前予約制で各回10名で5回を予定していたが午後から雨予報で、午前のみの開催となった。大神塚(応神塚)古墳は、寒川町で唯一の墳丘を保った古墳で、寒川町では大神塚(応神…

相川考古館 伊勢崎市三光町

相川考古館を見学した。創始者の相川之賀(しが)の経歴や考古学コレクションを説明していただいた。之賀は1885年(明治18年)に19歳で単身渡米。坪井正五郎の東京人類学会に入会。戦前に考古学館建設を計画。1950年(昭和25年)没後、長女が意思を継ぎ相川郷土館…

東山貝塚遺跡 目黒区東山

目黒川をのぞむ台地縁辺から斜面にかけて集落のあった東山貝塚遺跡。縄文時代後期・晩期を主体とする集落跡であるが、縄文時代中期や弥生時代後期の集落跡も発見されている。この斜面地部分に貝殻や、魚、動物の骨などを捨てた貝塚が存在する。東山貝塚は明…

「愛で育て屠る 家畜」展 東京大学総合研究博物館

遠藤秀紀展示監督作品「愛で育て屠る 家畜」展を東京大学総合研究博物館で観覧した。 ウシやウマってこんなに大きいのね、鶏ってこんなに種類があるのね、とか観るとわかる。これらを収蔵する博物館ってすごい。展示台の下のケヅメリクガメの標本が気になっ…

コロボックルの碑(目赤不動尊) 文京区本駒込

文京区本駒込の目赤不動尊に坪井正五郎博士のコロボックル説にちなむ碑が建っていると聞いて訪れた。 目赤不動尊 これがお目当ての碑。 「コロボックル人種」「人類学教授 坪井正五郎君」の文字が読める。 寛永年間に下駒込にあった「赤目不動尊」が徳川家光…

コロボックルの碑 富士見市山室

昨年、ららぽーと富士見でほるたま展を見たときにナビのマップで「コロボックルの碑」なるものを見つけたので興味を持って見てきた。 コロボックルの碑(貝塚稲荷旧跡碑)が建立された1912年はコロボックル説を唱えた坪井正五郎博士が亡くなる前年。この頃はす…

坪井正五郎博士 日本初の人類学者(2)

コロボックル論争について調べた。コロボックル(コロポックル)はアイヌの伝承に登場する小人。アイヌ語で「蕗の葉の下の人」という意味。 1884(明治17)年、東京大学理学部植物学教室で開催された「じんるいがくのとも」第二寄合にて渡瀬庄三郎は「さっぽろ …

坪井正五郎博士 日本初の人類学者

東京近郊で古墳巡りをすると坪井正五郎博士の足跡に出会う。坪井正五郎博士は日本初の人類学者で、日本における考古学、人類学の普及と確立に尽力。経歴を紹介すると、1863年両国生れ、1884年日本人類学会の前身の「じんるいがくのとも」を結成、1886年に帝…

吉見百穴 比企郡吉見町北吉見

吉見百穴は古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓群で、1923年に国の史跡に指定された。現在確認できる横穴の数は219基。 併設された吉見町埋蔵文化財センターで三ノ耕地遺跡4号墳と和名埴輪窯跡群出土の人物埴輪を見学した。 吉見百穴 | 観光地…

府中愛宕山古墳 石岡市北根本

府中愛宕山古墳は、舟塚山古墳の北東約300mに位置する前方後円墳。全長96.6m。6世紀初め頃の築造。 南西から後円部。 後円部の周溝は大根畑。 後円部から前方部。 後円部。 後円部から前方部。 後円部の墳頂はだいぶ変形している。 前方部。 前方部の端。 後…

堀之内貝塚 市川市堀之内

堀之内貝塚は千葉県北部の下総台地の西南端に位置する縄文時代後期前半から晩期中ごろの馬蹄形貝塚。1904年10月に堀之内貝塚で行われた東京人類学会創立満20周年記念遠足に坪井正五郎博士が参加している。 市立市川考古博物館 堀之内貝塚公園の木にすっかり…

弥生土器の発見地 文京区弥生

1884年3月2日、当時、東京大学予備門の学生だった有坂鉊蔵(しょうぞう)が根津の谷に面した貝塚から赤焼きの壺を発見した。翌日、東京大学の学生だった坪井正五郎、白井光太郎を現場に連れて行き、壺は坪井にあずけられた。後年になって、これが縄文土器とは…

瓢箪山古墳(お穴様) 横浜市鶴見区駒岡

明治の末ごろ、京浜電鉄(現京浜急行)の軌道をつくる土をとるために瓢箪山を切り崩していたところ、丘の中腹で2m四方の大きな横穴が発見され、その穴の中から人骨、埴輪、土偶、勾玉、刀剣などがたくさん出てきた。穴の入口に格子戸を立て「お穴さま」として…

亀塚古墳 港区亀塚公園

JR田町駅の西口(三田口)の改札を出て、第一京浜(国道15号線)を品川方面に進み、札の辻の歩道橋を渡り、住友不動産三田ツインビル西館の裏にあるエレベータで三田台を登り、済海寺の墓所の隣の細い道を進むと、亀塚公園の前の道に出る。私はエレベータに気づ…

芝丸山古墳 港区芝公園

東京タワーから見下ろせる芝公園の中に芝丸山古墳はある。前方後円墳。全長106m、後円部の直径64m、くびれ部の幅が約22mと都内最大級。前方部の広がりと高さのない形態から5世紀の築造と推定される。標高22m。築造当時は芝の潟の港を見下ろす位置に古墳はあ…

西ヶ原貝塚 北区西ヶ原

飛鳥山丘陵の斜面にある北区立飛鳥中学校の校庭を中心とする東西約150m、南北約180m、平面が馬蹄形のムラ貝塚。中里貝塚から、JR京浜東北線を挟んで、西に約1.5km。住居跡や墓壙、縄文土器や石器、骨角器なども多数出土。大森貝塚発見の翌年、1878年に発見さ…