週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基

坪井正五郎

「愛で育て屠る 家畜」展 東京大学総合研究博物館

遠藤秀紀展示監督作品「愛で育て屠る 家畜」展を東京大学総合研究博物館で観覧した。 ウシやウマってこんなに大きいのね、鶏ってこんなに種類があるのね、とか観るとわかる。これらを収蔵する博物館ってすごい。展示台の下のケヅメリクガメの標本が気になっ…

コロボックルの碑(目赤不動尊) 文京区本駒込

文京区本駒込の目赤不動尊に坪井正五郎博士のコロボックル説にちなむ碑が建っていると聞いて訪れた。 目赤不動尊 これがお目当ての碑。 「コロボックル人種」「人類学教授 坪井正五郎君」の文字が読める。 寛永年間に下駒込にあった「赤目不動尊」が徳川家光…

コロボックルの碑 富士見市山室

昨年、ららぽーと富士見でほるたま展を見たときにナビのマップで「コロボックルの碑」なるものを見つけたので興味を持って見てきた。 コロボックルの碑(貝塚稲荷旧跡碑)が建立された1912年はコロボックル説を唱えた坪井正五郎博士が亡くなる前年。この頃はす…

坪井正五郎博士 日本初の人類学者(2)

コロボックル論争について調べた。コロボックル(コロポックル)はアイヌの伝承に登場する小人。アイヌ語で「蕗の葉の下の人」という意味。 1884(明治17)年、東京大学理学部植物学教室で開催された「じんるいがくのとも」第二寄合にて渡瀬庄三郎は「さっぽろ …

坪井正五郎博士 日本初の人類学者

東京近郊で古墳巡りをすると坪井正五郎博士の足跡に出会う。坪井正五郎博士は日本初の人類学者で、日本における考古学、人類学の普及と確立に尽力。経歴を紹介すると、1863年両国生れ、1884年日本人類学会の前身の「じんるいがくのとも」を結成、1886年に帝…

吉見百穴 比企郡吉見町北吉見

吉見百穴は古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓群で、1923年に国の史跡に指定された。現在確認できる横穴の数は219基。 吉見百穴 | 観光地 | 吉見町観光・見どころガイド 文献 [1] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会 [2] 埼玉…

府中愛宕山古墳 石岡市北根本

府中愛宕山古墳は、舟塚山古墳の北東約300mに位置する前方後円墳。全長96.6m。6世紀初め頃の築造。 南西から後円部。 後円部の周溝は大根畑。 後円部から前方部。 後円部。 後円部から前方部。 後円部の墳頂はだいぶ変形している。 前方部。 前方部の端。 後…

堀之内貝塚 市川市堀之内

堀之内貝塚は千葉県北部の下総台地の西南端に位置する縄文時代後期前半から晩期中ごろの馬蹄形貝塚。1904年10月に堀之内貝塚で行われた東京人類学会創立満20周年記念遠足に坪井正五郎博士が参加している。 市立市川考古博物館 にほんブログ村

弥生土器の発見地 文京区弥生

1884年3月2日、当時、東京大学予備門の学生だった有坂鉊蔵(しょうぞう)が根津の谷に面した貝塚から赤焼きの壺を発見した。翌日、東京大学の学生だった坪井正五郎、白井光太郎を現場に連れて行き、壺は坪井にあずけられた。後年になって、これが縄文土器とは…

瓢箪山古墳(お穴様) 横浜市鶴見区駒岡

明治の末ごろ、京浜電鉄(現京浜急行)の軌道をつくる土をとるために瓢箪山を切り崩していたところ、丘の中腹で2m四方の大きな横穴が発見され、その穴の中から人骨、埴輪、土偶、勾玉、刀剣などがたくさん出てきた。穴の入口に格子戸を立て「お穴さま」として…

亀塚古墳 港区亀塚公園

JR田町駅の西口(三田口)の改札を出て、第一京浜(国道15号線)を品川方面に進み、札の辻の歩道橋を渡り、住友不動産三田ツインビル西館の裏にあるエレベータで三田台を登り、済海寺の墓所の隣の細い道を進むと、亀塚公園の前の道に出る。私はエレベータに気づ…

芝丸山古墳 港区芝公園

東京タワーから見下ろせる芝公園の中に芝丸山古墳はある。前方後円墳。全長106m、後円部の直径64m、くびれ部の幅が約22mと都内最大級。前方部の広がりと高さのない形態から5世紀の築造と推定される。標高22m。築造当時は芝の潟の港を見下ろす位置に古墳はあ…

西ヶ原貝塚 北区西ヶ原

飛鳥山丘陵の斜面にある北区立飛鳥中学校の校庭を中心とする東西約150m、南北約180m、平面が馬蹄形のムラ貝塚。中里貝塚から、JR京浜東北線を挟んで、西に約1.5km。住居跡や墓壙、縄文土器や石器、骨角器なども多数出土。大森貝塚発見の翌年、1878年に発見さ…