週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

五街道・脇街道

草加松原遊歩道 草加市

草加市の中心部を南北に流れる綾瀬川右岸沿いに整備された草加松原遊歩道。約1.5kmの松並木(草加松原)で、旧日光街道の旧草加宿の北側に位置する。「おくのほそ道」で松尾芭蕉が粕壁へ日光街道を北上する途上に通過した草加宿。札場河岸公園に芭蕉像が建つ。…

十条冨士塚 (再訪) 北区中十条

3年前に古墳巡りを始めた頃に訪れた十条冨士塚。古墳を利用した富士塚とされる。日光御成道(旧岩槻街道、都市計画道路補助第83号線)の拡幅工事が塚の手前まで迫っていると聞いて再訪した。 今年7月の十条冨士塚神社の大祭の後に石碑移設・除去工事。12月頃か…

日野市の煉瓦巡り

東京都立埋蔵文化財調査センターでの講演会の後に日野市の煉瓦巡り。日野市立日野第一中学校の角の空間。 足元に敷かれた煉瓦は大阪窯業の八王子工場(1932年に火災により操業停止)でつくられた煉瓦で、1932年に甲州街道の歩道の舗装として敷かれたもの。「大…

品川宿本陣跡 品川区北品川

東海道品川宿の本陣跡。1872年(明治5年)に宿駅制度が廃止された後は警視庁品川病院が建てられた。病院は東品川に移転。1938年(昭和13年)に区立聖蹟公園として整備された。場所は、山手通りと八ツ山通りの交差点近く。聖蹟公園の名は1868年(明治元年)の明治天…

善福寺 品川区北品川

北品川の煉瓦巡りの2カ所目は、善福寺。 名工「伊豆の長八」こと入江長八の作の龍 「分銅」印の刻印。 「分銅」印と「ハ」の刻印。 「分銅」印の刻印は、文献[2]によると、かつては横浜市内で発掘される「分銅」印の煉瓦は小菅集治監製と推測されていたが、2…

六郷神社と六郷橋 大田区東六郷、仲六郷

六郷水門の帰りは京急の六郷土手駅まで歩いた。 途中で見つけたアンティーク風煉瓦 三和耐火煉瓦? 明知耐火煉瓦? 大阪耐火煉瓦? 昭和耐火? 昭和窯業? 六郷神社 1910年架橋の六郷橋の親柱 旧東海道跡 北野天神 1925年架橋の六郷橋の橋門と親柱 1984年架…

谷根千 煉瓦巡り(24) 東京大学 文京区向丘、本郷

本郷通りの東大農学部前の中山道(国道17号)と日光御成街道(都道455号)の分岐に本郷追分一里塚があった。今は説明板があるのみ。 角の酒屋は江戸時代から続いている。 根津神社にあった塞の大神碑は、道路拡張でここから立ち退いた。 本郷弥生交差点を渡ると…

正徳寺と天竜寺の煉瓦塀 品川区北品川、南品川

大井町駅の西口駅前にあった東京毛織・品川工場が、1965年に閉鎖され、取り壊された後の廃煉瓦は、北品川の正徳寺と南品川の天竜寺に運ばれ、煉瓦塀として積み直された。 正徳寺の煉瓦塀。フランス積み。 天竜寺の煉瓦塀。イギリス積み。 ⑪-1東京毛織・大井…

旧明治製糖の護岸壁 川崎市幸区堀川町

1906年(明治39年)に川崎駅西口に横濱製糖川崎工場が開設された。1912年に明治製糖と合併。川崎工場裏手の多摩川沿いにレンガ造りの護岸壁が建設され、横浜港から水揚げされた原料をはしけで運んだ。現在、護岸壁は多摩川親水公園の一部として市民に親しまれ…

増井古墳 城里町増井

線刻画がある石室の奥壁が露出する増井古墳。墳丘の西半分は旧水戸街道により切断され、墳形も規模も不明。 この細道が旧水戸街道? にほんブログ村

御岳塚 川口市石神

九重神社の御嶽山から北西西に4Km。埼玉県道105号(日光御成道)にある御岳塚。 南から。 北西から。 にほんブログ村

下谷保1号墳 国立市谷保

武蔵府中熊野神社古墳から西に徒歩12分。甲州街道(国道20号線)の国立インター交差点近くにある下谷保(しもやぼ)1号墳。円墳。径23m。高さ2m。7世紀前半中頃の築造。1985年の調査で、河原石積みの横穴式石室を検出。玄室は胴張り。床には扁平な石を敷く。玄室…

十条冨士塚 北区十条

江戸時代に富士信仰に基づき、各地に造営された富士塚は「お富士さん」とも呼ばれ庶民に親しまれてきた。十条冨士塚(冨士塚古墳)は、冨士神社境内にあり、円墳と推定される塚の上に富士山の溶岩を配置し、頂の上に富士山の御神体の分霊の石祠を祀っている。…