週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

小山田1号遺跡 町田市小山田桜台

町田市考古資料室の次に小山田桜台こぶし公園の小山田1号遺跡を訪れた。平安時代末期から室町時代にかけての有力武士の館跡。桜と白木蓮(シロモクレン)の共演。

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東京都指定史跡 小山田1号遺跡

所在 町田市小山田桜台二丁目 16-32

指定 1985年(昭和60年)3月18日

小山田遺跡群は、小山田桜台団地造成に先がけて1970〜1972年、1978〜1982年に発掘調査が行われました。遺跡群のうち小山田1号遺跡は最も北側に面した南向き斜面地に位置しており、平安時代末期から室町時代にかけての有力武士の館跡と考えられています。12世紀後半に1〜3号地下式横穴(ちかしきよこあな)が構築された後、斜面を3mほど垂直に削って東西約60m、南北約15m、面積約800㎡の平坦地がつくられ、15世紀中頃に至るまで掘立柱建物群、大形竪穴状遺構、柵柱列(区画用の柵) などが構築されたとわかりました。掘立柱建物群のうち3号掘立柱建物跡からは97枚の銭貨がヒモで束ねられた状態(さし銭状)で出土しました。また、天目茶碗(てんもくちゃわん)が出土した大形竪穴状遺構(12×6m、深さ1m)と柵柱列を伴い南北の二面に庇をもつ5号掘立柱建物跡は、15世紀中頃に構築されたと推定されています。

古代から中世にかけて、谷が複雑に入り組んだ地形を利用し多摩丘陵の各地には馬牧(うままき、馬の飼育施設)が営まれ、武士団が台頭する一因となりました。小山田遺跡群の中に「窄場(さくば)」、「牧畠(まきはた)」という地名が残る当地周辺は、平安時代末期に秩父平氏小山田有重が馬牧経営と開墾によって開発された小山田荘の中心地にあたります。小山田1号遺跡の墓地と考えられる南方約100mのNo.2遺跡からも13〜15世紀の地下式横穴、墓壙、板碑が発見されました。1号遺跡も含め小山田遺跡群内の中世遺構が成立する過程には小山田氏との関連が考えられます。

現在、本遺跡はガラス繊維と樹脂セメントで遺構面を覆う造形保存がなされており、多摩丘陵における 中世武士の館の臨場感が再現されています。

2023年1月設置 町田市教育委員会

小山田・小野路地区から三輪・能ヶ谷地区の文化財/町田市ホームページ

多摩市史 通史編1 > 平姓秩父氏(テキスト) | 多摩市立図書館/多摩市デジタルアーカイブ

小山田/山梨県都留市立図書館

秩父平氏について知りたくなった。

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