週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

穴薬師古墳 五霞町川妻

埼玉県杉戸市と茨城県五霞町で古墳巡りの最終目的地の穴薬師古墳を訪れた。この古墳は特異な構造の石室で有名で、教育委員会に事前連絡すると石室の扉の鍵を開けていただけると聞いていたが、今回は日曜日だったので、施錠された状態で見学した。なお、この石室は昭和47年に復元整備されていて、復元された姿のどこまでが学術的な裏付けがあって、どこからが想像(空想?)なのか、わかっているのか、わかっていないのか、それぐらいわかってから石室内部を見学したいと思う。行田市八幡山古墳石室が復元と知ってからナーバスになっている。ジェラシックパークのようにエンタメとして楽しめば良いのかもしれない。

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茨城県指定史跡 穴薬師古墳

指定年月日 昭和46年3月29日
所在地 五霞村大字川妻249番地
管理者 藤沼喜兵衛

この古墳は、直径30メートル、高さ4メートルを測る円墳であって、主体部は、羨道、前室、玄室の三室からなる横穴式石室である。

石室の構築にあたって、下段に人頭大な丸い自然石を並置して基礎をつくりその上に各面を整形した磚状を呈する軽石を積みあげて側壁とし、奥壁には五輪の塔を思わせる板状の石をあてるなど、すべてに特異な構造を示している。この種の古墳は古墳時代後期の造営と思考されるが、関東地方には例がなく学術上貴重な存在である。

なお、この古墳については、江戸時代赤松宗旦の「利根川図志」に川妻の隠里膳椀として紹介されている。

茨城県教育委員会 五霞教育委員会

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穴薬師古墳【茨城県指定文化財】 | 五霞町公式ホームページ

文献

[1] 茨城県教育委員会 1970「猿島郡五霞村川妻穴薬師古墳」『茨城県埋蔵文化財調査報告書 3』

[2] 茨城県考古学協会 2010「茨城の考古学散歩」東冷書房

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