週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

浅羽野1号墳(土屋神社古墳) 坂戸市浅羽野

浅羽野4号墳の次に浅羽野1号墳(土屋神社古墳)を訪れた。墳丘上に土屋神社の社殿と神木スギ(埼玉県指定天然記念物)が立つ。文献[1]では「浅羽野1号墳(土屋神社古墳)、円墳、径50m、横穴式石室(開口)」

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土屋神社神木スギ 埼玉県指定天然記念物

古墳時代の終わりごろ(1400年ぐらい前)に造られた円墳の上に、土屋神社の社殿があり、その後ろに神木スギが立っています。樹齢が千年を超えると言われ、古墳と神社を長い間、見守ってきました。

樹齢千年を超えると伝えられている神木スギは、高さ18m、幹まわり8.5m、根回り11.3mとまさに巨木と言えます。七世紀に築造された円墳の頂上に、土屋神社の社殿があり、この後ろに神木スギが立っています。円墳は七世紀後半に築造されていますので、樹齢千年を超えるというのも大げさではありません。

写真のように天上に張り出した枝の多くは葉をつけていないので、枯死したように見えますが、いくつかの枝には青々とした葉が息づいています。樹齢からかなり高齢のスギではありますが、坂戸の移り変わりを静かに見守ってきたのでしょう。

枯れ枝の伐採を行なったり、樹勢回復のために根元の土壌を栄養のある土に替えたり、根を保護するために柵を設けたりしました。

老木のため、太い幹といくつかの枝を残すだけになりましたが、春には新しい芽吹きも見られます。

平成二十年二月 坂戸市教育委員会

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「万葉遺跡」浅羽野歌碑
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「万葉遺跡」浅羽野歌碑

「浅羽野(あさばの)」の地名は、万葉集に歌われているよう古く、「和名抄」にも入間郡に「麻 羽」の名が記されている。

万葉集 巻十一 二七六三

 くれなゐの浅葉の野らに刈る草(かや)の

  束の間も吾を忘らすな

この歌は、「浅羽野の草は刈り取られてし まうが、その束の間も私を忘れないで夢と、 素朴な男女の心情を述べたものである。

このほか巻十二の二八六三には、

 浅羽野に立ち神さぶる菅(すが)の根の

  ねもころ誰ゆえ吾が恋なくに

の歌がある。 「浅羽野に長く根を張った菅のように、あなただけをずっと愛し続けます」 と、歌ったものである。

平成三年三月 坂戸市教育委員会

タイムカプセル
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坂戸の指定文化財(有形) - 坂戸市ホームページ

文献

[1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」

[2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 北足立・入間」さきたま出版会

[3] 櫻井準也 2017「18世紀初頭に修復された被災古墳 : 埼玉県坂戸市浅羽野1号墳の事例から」『総合政策論集』第24号 尚美学園大学

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