週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

被葬者

「徹底解剖!埼玉古墳群 〜副葬品から探る被葬者像〜」さきたま史跡の博物館

さきたま史跡の博物館の企画展「徹底解剖!埼玉古墳群 〜副葬品から探る被葬者像〜」を終了間際に見てきた。埼玉古墳群の中で副葬品が明らかになっている稲荷山古墳と将軍山古墳の2基を中心に、出土品や関連資料を紹介、被葬者像について考える。 展示資料一…

山王塚古墳 川越市大塚

川越市立博物館の企画展「山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る」を観覧した。平成24年度(2012年)から4次にわたり実施した発掘調査の成果だけでなく、武蔵の終末期古墳や各地の上円下方墳の解説と出土品、7世紀の武蔵国の解説と充実した内容だった。展示図録では…

中塚古墳 桐生市新里町新川

赤城山南麓の標高約200mの丘陵上に位置する中塚古墳。一辺約40mの方墳。1980年の発掘調査では径約37mの円墳とされていた。南に開口する横穴式石室は中に入れなかったが、以前は入れたようで、その当時の様子を伝えるサイトでは、切石組み石室の頂点に立つ古…

武蔵国造 物部連兄麿 八幡山古墳の被葬者?

先日のブログ記事「古墳の被葬者」で紹介した説明板の中で唯一、埼玉県行田市の八幡山古墳の説明板が被葬者の候補として具体名を挙げていた。そこで、八幡山古墳の被葬者の候補とされる物部連兄麿(兄麻呂、もののべのむらじえまろ)について調べた。物部連兄…

古墳の被葬者

古墳発掘の現地説明会の質問コーナーで地元の人から「誰の墓か?」という質問がよくある。答えは「残念ながらわからない」で「地元の有力者(または首長)の墓」となる。理由は、古墳の築造された時代の史料がない。同時代の史料としては、3世紀末に書かれた魏…

古墳と被葬者の謎にせまる 大塚初重

日本考古学協会会長も務めた日本考古学界の第一人者の大塚初重さん(90歳)の明治大学の社会人講座の講義録(2012年発行)。宮内庁管理の箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫陵)、佐紀陵山古墳(日葉酢媛陵)、天武・持統天皇合葬陵(檜隈大内陵)、治定されていない天皇陵とし…