総社古墳群を墳活。4基目は、二子山古墳。
豊城入彦命石碑
史跡 二子山古墳(総社)
二段に築造された前方後円墳である。その規模は現状で全長約90m、前方部前幅61m、後円部径44mであり、前方部が大きく張り出している。
埋葬主体部は前方部と後円部に各一つずつ横穴式石室が確認されている。後円部の石室は、榛名山二ッ岳から噴出したと考えられる角閃石安山岩を加工して使用して おり、その規模は現状で全長約8.6m、玄室長約7mである。前方部の石室は、自然石を使用したもので、全長8.7m 玄室長4.2m、同幅2.1mであり、両石室ともに規模は大きい。
石室に使用している石材などから 前方部の石室がやや古く、六世紀末期に構築されたものと考えら れる。
国指定史跡 二子山古墳推定復原図
この古墳は6世紀後半から終末に造られた前方後円墳で、周囲には堀がめぐらされています。 前方部の自然石を積んだ横穴式石室と、後円部の加工した石を使用した横穴式石室を持つ全国的にも珍しい古墳です。
文献
[1] 前橋市教育委員会事務局文化財保護課 2022 『6:東国の雄 総社古墳群』前橋市教育委員会事務局文化財保護課
[2] 前橋市教育委員会 2023 『総社古墳群範囲内容確認調査報告書』前橋市教育委員会
[3] 前橋市教育委員会 2023 『総社古墳群総括報告書』前橋市教育委員会
総社古墳群の『総社二子山古墳』。
— 古墳にコーフン協会 (@kofun_ni_kohfun) 2016年12月3日
前方後円墳がきれいな形で残ってました。
前方部と後円部にそれぞれ横穴式石室が開口。もちろん入りますよね〜。入り口は狭かったですが、中は立てるくらい広い!
(もう一つの石室は、崩れていて危険なため立入禁止でした) pic.twitter.com/L6USFPaSPL
群馬県前橋市総社二子山古墳頂上 豊城入彦命碑
— 石碑探訪 (@sekihitanbo) 2019年3月16日
総社二子山古墳は、6世紀末に造営された古墳。かつては、崇神天皇の皇子で東国を平定した豊城入彦命の墓だとされていた。
金銀で装飾された太刀(行方不明)が出土したとの記録もあり、かなりの立場の人物の墓であることは間違いない。 pic.twitter.com/1OqI6qAqaa
群馬県前橋市総社二子山古墳頂上 豊城入彦命碑②
— 石碑探訪 (@sekihitanbo) 2019年3月16日
碑は、隷書体で書かれ、書者は碑側に正三位刑部卿藤原朝臣貞直謹書とあることから、幕末の公卿、富小路貞直(1761〜1837)である。また、彼が刑部卿だったのは1805〜1812なので、その間の建碑。
貞直は、本居宣長と交友もあり、陵墓への関心は強かった。 pic.twitter.com/a1Qwqvw3af
3.総社二子山古墳【群馬県前橋市】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2019年7月12日
6世紀後半に築造された全長90mの前方後円墳。墳丘も見応え抜群ですが、前方部に開口する県内最大級の横穴式石室は必見です。後円部にはこれより大きな石室が開口していましたが、古くに崩落し埋もれています。 pic.twitter.com/TD4POhy2t1
総社二子山古墳【群馬県前橋市】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2020年1月3日
6世紀後半に築かれた全長90mの前方後円墳。2基の横穴式石室が開口していましたが、後円部の石室は古くに崩壊して見学できません。前方部の石室は全長8.7m、小さめの自然石を積み上げて築かれています。墳丘も石室も見応え抜群です! pic.twitter.com/2ZLFeFRJVa