週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

鍰煉瓦(からみれんが) 北区王子本町

鉱石から金属を精錬するときに生じる鉱物成分など含む物質をスラグもしくは鉱滓(こうさい)と呼ぶ。銅やアルミニウムなどの非鉄金属の精錬で生じたスラグの場合、鍰(からみ)とも呼ばれる。鍰煉瓦は鍰を型に流し込んで固めたもの。北豊島郡王子村(現豊島5丁目付近)の関東酸曹の製銅工場で製造した鍰煉瓦(商品名は鐡煉瓦)が近隣の北区、荒川区、足立区などで見つかる。今回は王子本町で見つけた鍰煉瓦を紹介する。軍用貨物線の土留めとかに使われていた鍰煉瓦かもしれない。

屋外の水道受けとして利用されていた鍰煉瓦

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駐車場の土留めとして利用されていた鍰煉瓦

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[1] 大久保幸治 1981「鍰煉瓦の話」『足立史談』160号

[2] 足立区立郷土博物館 2000「足立区風土記稿 地区編3 江北」足立区教育委員会

[3] 領塚正浩 2018「関東酸素(株)が製造した鍰煉瓦とその現況」『北区飛鳥山博物館研究報告』第20号

豊島をさぐる 《その7》鍰(からみ)煉瓦について 豊島区立郷土資料館便り かたりべ61 2001年3月

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憲兵の詰所(?) 北区滝野川

北区の豊島五丁目団地にかつて、国鉄東北本線貨物支線(通称:須賀線)の貨物駅の須賀駅があった。終戦まで、須賀駅から延びた軍用貨物線は、東京第一陸軍造兵廠十条工場内に入り、そこから南の東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の方に続いていた。この終点付近に置かれていた憲兵の詰所とされるコンクリート建造物がコルモピア滝野川店の前に残っている。詰所にしては開口部が少なく、動力室とか、炊事場とか諸説ある。

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すぐ南を流れる石神井川

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路地を探索すると塀の基礎に煉瓦

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さらに進むと陸軍用地の標石(境界石)。東京第一陸軍造兵廠十条工場の南端か?

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今回は「みみかき」さんのTwitterの投稿を参考にさせて頂いた。

東京第一陸軍造兵廠滝野川工場については以前に四本木稲荷古墳のブログ記事で取り上げた。

北区平和マップ

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中央公園文化センター 北区十条台

北区の生涯学習の場として利用されている北区立中央公園文化センターは、1930年(昭和5年)に東京砲兵工廠銃包製造所(1940年に東京第一陸軍造兵廠十条工場に改組)の本部事務所として建てられた。終戦後は占領軍に接収され、外壁は白く塗装され、米軍の保安司令部やベトナム戦争時には野戦病院(キャンプ王子)として使用されたのち、1971年(昭和46年)に返還された。

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文化センターの隣には、赤羽台4丁目の星美学園から移設された赤羽台古墳群の3号墳の石室と、東京砲兵工廠銃包製作所のボイラーと鋼製耐震煙突銘板が保存されている。

北区平和マップ

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