2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
西新井大師 總持寺(真言宗豊山派 五智山 遍照院)の三匝堂(さんそうどう)を見学した。三匝堂は栄螺堂(さざえどう)とも呼ばれ、内部が二重螺旋構造になった御堂。一匝に八十八体大師像、二匝に十三佛、三匝に五智如来と二十五菩薩をまつる。外観のみ公開。 門…
東田端公園と与美ガードに設置されている鉄道モニュメントと玉石アート、壁面アート。「平成17年度全国都市再生モデル調査選定事業」として東田端まちづくり協議会が取り組んだ「東田端鉄道八景」の「与美夕照(よみせきしょう)」と命名された。 東田端公園の…
昔、購入した本を再読した。奥付けでは2006年10月の第1版第1刷で、2009年の企画展の栞が挟まっていたので、2009年に購入したのかもしれない。読んだ形跡がないくらいの美品なので未読かも。 本書は、戦後60年の考古学の歩みをわかりやすく解説することを意図…
山田康弘著の『縄文時代の歴史 (講談社現代新書)』を了読。古墳巡りを始めてから、縄文時代についても、貝塚や遺跡や博物館の企画展などに足を運んだので断片的な知識は得られたが、なかなか全体像がつかめない。そこで、縄文時代について学びたいと考えてい…
神崎遺跡は、神奈川県中央部、相模川の支流となる河川付近の標高24mの台地上に立地する弥生時代後期の環濠集落跡。土器は西遠江産が95%以上を占め、当該地域から集団移住があったと考えられている。弥生時代後期の南関東地域の社会のあり方を知る上で重要…
杉久保富谷児童公園の「杉久保遺跡・富谷横穴墓群」の説明板の地図に記されている豊受大神(豊受神社)を参詣した。 海老名郷土かるた「む」|海老名市公式ウェブサイト 神奈川県神社庁/神社検索/豊受大神 にほんブログ村
伊勢山古墳群は、東名高速道路海老名サービスエリアから約700m南の座間丘陵の最南端に位置し、発掘調査により崖線に沿って南北に2基の古墳が確認されている。1号墳は円墳と見られているが、周溝のごく一部が確認されているのみ、2号墳は周溝の約1/3と墳丘の…
東名自動車道海老名サービスエリアのすぐ南の杉久保富谷児童公園に「杉久保遺跡・富谷横穴墓群」の説明板が立つ。説明板の地図によると富谷横穴墓群は杉久保富谷児童公園の西側のそうてつローゼン杉久保店前の駐車場辺りにあったようだが、整地されたのか、…
平塚市の真土大塚山公園を訪れた。この公園は1996年に市が民有地を買収して開設。この公園には、すぐ南にあった真土大塚山古墳(現在は消滅)を再現したものがある。真土大塚山古墳は、砂丘上(標高8m)に造られていたため、発見時より墳丘の残りは良くなく、円…
牛山古墳は、2000年に東海大学が測量調査を実施(文献[2])、2016年に平塚市教育委員会と東海大学が2か所にトレンチを設定して実地調査して、高さ4.9m、一辺(南北)28m前後の規模を持つ隅丸方形墳と判定された。 リンク 「大神の史跡紹介 ①牛山古墳」『大神公民…
大神塚の説明板に明治41年の発掘調査の出土品(和鏡2面、漢鏡1面、直刀3振)や陪塚の出土品(金銀環、勾玉、管玉等)が寒川神社に展示されていると書いてあったので、参詣した。 寒川神社 大神塚古墳の出土品は方徳資料館に収蔵されているようなのだが、神嶽山神…
下寺尾官衙遺跡群は、小出川を望む標高約13mの相模原台地頂部に位置する相模国高座郡家(郡衙)と考えられる下寺尾官衙遺跡(西方遺跡)と台地の南裾に位置する下寺尾廃寺跡(七堂伽藍跡)を中心として、隣接する遺跡も含めた複数の遺跡からなる。官衙は約1300年前…
岡田遺跡の所在する台地の東向き小出川の谷に面する斜面中腹(標高13m前後)に越の山横穴墓群がある。1953年8月に赤星直忠氏による発掘調査で6基の横穴墓が確認された(文献[1])。また、1985年12月に6基の横穴墓から南側に約200mの斜面でも3基の横穴墓が確認さ…
相模川の支流の目久尻川と小出川に挟まれた標高24mの相模野台地上に所在する岡田遺跡は、縄文時代から弥生時代の遺跡で、特に縄文時代中期の集落址は、環状集落で、勝坂式期から加曽利E式期の竪穴住居址が600軒以上確認され、未調査を含めると推定1,000〜1,5…
3月に開催された大神塚(応神塚)古墳の発掘調査の現地説明会では、寒川駅前公園に集合して、地元のボランティアで方々が現地まで案内してくださった。その時に途中で立ち寄ったのが大塚古墳公園で、大神塚(応神塚)古墳の周辺にあった大神塚周辺古墳群の1基のE…
国指定重要文化財の修復完了を記念して、茨城県立歴史館で開催中の企画展「ビフォー・アフター三昧塚古墳」を鑑賞した。 あるカフェからのつぶやきシリーズ☕✨5月!晴れた日の緑が力強さを増してきました本日は、こんなに可愛らしい来館者もありましたよ~☺️ …
神奈川県立歴史博物館で野外展示されている旧山下居留地90番地中から出土した帝政ロシア製32ポンド砲。1959年にオランダ製11ポンド砲とともに出土。オランダ製11ポンド砲は横浜開港資料館の脇に野外展示されている。 博物館の前にあるこの大砲、上部に鎖が付…
都電荒川線の小台停留所と荒川遊園地前停留所の間の専用軌道のバラの垣根がきれいに咲いていた。 この時期、都電荒川線沿いには、ボランティアの皆様の活躍により色とりどりのバラが咲き誇っています。あらかわ遊園の最寄、荒川遊園地前をはさんだ小台から荒…
子母口貝塚から蟹ヶ谷古墳群に向かう途中で、蟹ヶ谷四方之嶺横穴墓と西田原横穴墓群の跡地を探索した。私のGoogle Mapでは、集合住宅「アデニウム日吉」の位置に「蟹ヶ谷四方之嶺横穴墓」が、「ヒューマンスクエア日吉ウルビノ」の裏辺りに西田原横穴墓群が…
橘樹神社の次に子母口(しぼぐち)貝塚を再訪した。 眼下の神奈川県道14号(尻手黒川道路)と矢上川の先にこの後に訪れる蟹ヶ谷古墳群が分布する丘陵が望める。 子母口貝塚は、今から約8,100年前の縄文時代早期後半の貝塚で、「子母口式土器」の標式遺跡としても…
千年伊勢山台古墳の次に子母口(しぼぐち)富士見台古墳と橘樹神社を再訪した。 川崎市教育委員会:橘樹神社と富士見台古墳 にほんブログ村
影向寺の次に、橘樹郡衙跡の北東の送電線の鉄塔の側の千年(ちとせ)伊勢山台古墳を探索。千年伊勢山台古墳は、通称伊勢山台と呼ばれる標高約40mの丘陵東北端に築造された円墳。文献[1][2]によると「径約12.5m」で「崖崩れによって約3/5が破壊」、文献[3]によ…
3月に開催された蟹ヶ谷古墳群の現地説明会の前に奈良時代の創建とも伝わる古刹・影向寺(ようごうじ)を再訪した。過去、2回訪れているが、影向石(ようごういし)を見学していない。今度こそと再訪したが、境内には見当たらず。本堂正面の門の手前の駐車場の隅…
昨年2月に撤去工事が突如開始されたと報じられたJR北王子線(廃線)の跡地を再訪した。遊歩道として整備されるとのこと。 2022年10月に再訪 #これを見た人は引退した線路を貼れ日本製紙十條工場北王子線。 pic.twitter.com/QM7lRaZ4F3— 歩鉄の達人(接種4回終…
今年2月に十条冨士塚を再訪した。十条冨士塚は、昨年9月に埋蔵文化財調査が終了して、3月18日までの予定で冨士塚再整備(現状変更)工事が行われている。 5枚目の写真中央の切株は、塚の頂に生えていたスダジイか? 十条冨士塚|東京都北区 十条地区-十条冨士…
子供のときに趣味で集めた切手を紹介する。 ポーランド人民軍20周年記念(ポーランド、1963年) ポーランド人民軍25周年記念(ポーランド、1968年) Marian Moskwa "Błyskawica" 駆逐艦「Błyskawica(雷光)」ORP Błyskawica – Wikipedia, wolna encyklopedia Mich…
「踊る埴輪」の出土地として有名な野原古墳群。「踊る埴輪」は1930年に畑を耕している時に偶然発見され、後藤守一さんが「踊る男女」と名付けた。東京国立博物館では「踊る人々」としている。また、馬を引き連れている姿との説もある。 八幡神社 早くも怪し…
やねや塚古墳(三ヶ尻林遺跡4号墳)は、径18mの円墳。上越新幹線建設工事に先立つ発掘調査で、横穴式石室から水晶玉などの装飾品や鉄製武器など豊富な遺物が発見された。特に銀象嵌された鉄刀「頭椎大刀(かぶつちのたち)」は優れた工芸品。石室は移築保存され…
TBSテレビの『世界ふしぎ発見!』の4月30日放送は「落花生だけじゃない おもしろ半島 千葉の逆襲」、ブログのアクセス数の上昇で見逃したことを知る。ちなみに千葉県が前方後円墳の数で日本1位の理由は紹介されたかな。答えは、当時の千葉県が『僻地』だった…
お茶の水から横浜に移動して、神奈川県立歴史博物館で4月29日から開催中の「洞窟遺跡を掘る」を鑑賞した。ゴールデンウィーク中の私の休みと明治大学博物館の開館日が合うのが土曜日の午前中だけだったのでこの日を選んだが、ありがたいことに、神奈川県立歴…