2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧
常磐線の三河島駅南の西日暮里一丁目広場の正面に煉瓦造の倉庫が残る。明治時代後半に北星鉛筆の倉庫として建築された。北海道から運ばれてくる鉛筆材料の木材を保管するために倉庫まで引込み線が引かれていたとのこと。文献[1]によると明治期に建てられ、も…
常磐線の南千住駅と三河島駅の間に、1896年(明治29年)開通の日本鉄道土浦線の煉瓦造のガード(架道橋)が3本残る。 第3三の輪ガード(南千住駅寄り)。アーチ型の橋梁。トンネル上部の笠石には、「雁木(がんぎ)」といわれる煉瓦を傾けて凹凸をつける装飾的な煉瓦…
ライフ南千住店の東側に千住製絨所の煉瓦塀の一部が保存されている。 ゴミの回収のない日に再訪 煉瓦の刻印、小菅のサクラ単弁+漢数字“一”。東京集治監製 @東京都 荒川区 pic.twitter.com/ncENr9oBUV— (旧 Stray bk 停止) (@stray_brick_old) 2019年9月1…
1972年(昭和47年)まで、プロ野球の(毎日大映・東京・ロッテ)オリオンズの本拠地だった東京スタジアムがあった南千住に、千住製絨所(せんじゅせいじゅうしょ)の煉瓦塀が残る。千住製絨所は、1879年(明治12年)に創業された官営の羊毛工場。それまで輸入に頼っ…
地蔵堀児童公園の東約70mに残る煉瓦塀。文献[1]によると「戦前から麹商を営んでいた加藤家で使用されていた炭蔵の跡。加藤家の敷地内には、麹室が備えられた煉瓦塀なども残されている。」 文献 [1] 荒川区教育委員会 2011「煉瓦のある風景 -あらかわの建築と…
三河島水再生センターに隣接する荒川自然公園の荒川8丁目口の正面に残る煉瓦塀。煉瓦塀には「一般廃棄物の処理施設」の掲示板が掲げられている。医療廃棄物(胞衣)を処理する施設のようだ。医薬品として利用されているのであろうか。かつては化粧品にも利用さ…
荒川区、北区、足立区の隅田川流域に煉瓦工場が幾つも創業した理由として、煉瓦に適した土が挙げられる。荒木田土と呼ばれる田んぼの耕土下や河川敷などの下層でみられる灰色または灰褐色の粘土質の土で、腐植質が少なくよく粘り、田土とも呼ばれる。町屋1丁…
舎人ライナーの熊野前駅付近から荒川区の煉瓦巡りを再開。首都大学東京荒川キャンパスの西約70mの洋風の屋敷に煉瓦塀が残る。 首都大学東京荒川キャンパス 大学名が変わりました。 pic.twitter.com/AbB3szB0c1— Toshio Ohnuki (@t_ohnuki) 2020年3月31日 に…
東京大学のシンボルの赤門。前田家上屋敷の御守殿門として1827年(文政10年)に建造。国指定重要文化財。 総合図書館前広場のベンチ 医学部薬局(明治45年)の煉瓦基礎。セメントを流した上に煉瓦積み。イギリス積み。煉瓦は小菅収監製。 旧前田侯爵邸(懐徳館)西…
本郷通りの東大農学部前の中山道(国道17号)と日光御成街道(都道455号)の分岐に本郷追分一里塚があった。今は説明板があるのみ。 角の酒屋は江戸時代から続いている。 根津神社にあった塞の大神碑は、道路拡張でここから立ち退いた。 本郷弥生交差点を渡ると…
せっかくなので、本郷追分を目指すと、気になるオブジェを発見。 ここは東大の地震研究所正門で、オブジェは安田講堂裏にあった地震研究所の玄関近くに置かれていた地震計を型どった石飾りだった。建築学科の岸田日出刀先生の作品。説明板に書かれている日月…
もとの道に戻って、さらに進んで、右の東京聖テモテ教会を回り込み路地に入ると煉瓦塀が現れる。長手積み。 もとの道に戻って、塀の裏を確認すると 文京区弥生1『東京聖テモテ教会』の牧師館裏手の煉瓦外壁。○にチの刻印。千葉煉瓦かな(*´ω`*) pic.twitter.…
根津神社の表参道口から新坂(権現坂・S坂)を登って東大野球グランドの先を右に曲がると低い煉瓦塀がある。イギリス積み。 にほんブログ村
根津神社の煉瓦塀については昨日のブログ記事で書いたので、それ以外について。 表参道口 近くに根津遊郭の説明板があった 根津遊郭の跡地 根津八重垣町(昔は門前町と言った)から 根津神社まで遊郭があった そして昔根津 は不寝と書かれていたようだ 小石…
次は根津神社。東隣の日本医科大学基礎医学大学院棟との境に煉瓦塀が残る。 表参道口 煉瓦塀 左が日医大、右が根津神社。神社側の塀が煉瓦積み。 北口近くの煉瓦塀の終端 石段の脇にも煉瓦が見える もう少し壁が伸びる にほんブログ村
不忍通りを根津神社入口交差点の手前を左折すると日本基督教団根津教会がある。今年は教会創立120年、礼拝堂100周年とのこと。礼拝堂は1919年(大正8年)に竣工。煉瓦積みの門と塀を含め文化庁登録有形文化財。 長手積み。 HOME|根津教会 日本基督教団根津教会…
不忍通りの池之端2丁目交差点の手前の池之端児童園に都電車両「都電7500形(7506号車)」が展示されている。 かつて東京の都心部には都電が縦横に走っていた。都電(路面電車)は自動車との競争に敗れ、現在は荒川線のみ営業している。荒川線が残ったのは、競争…
谷中七福神巡りの大黒天(護国院)、都立上野高校の前を通って高校を回り込むように左に曲がって進むと、右カーブの手前に煉瓦造の建物がある。イギリス積み。 外壁にハシゴがある オヤコフンさんにコメントで教えて頂いたので調べたら、2010年にブラタモリで…
東京藝術大学。煉瓦造の建物が残る。 音楽学部正門 赤レンガ1号館(東京都選定歴史的建造物)。1880年(明治13年)竣工。教育博物館の書庫として建てられた。都内最古の煉瓦建築。 赤レンガ2号館(東京都選定歴史的建造物)。1886年(明治19年)竣工。東京図書館書籍…
谷中6丁目交差点の一乗寺まで戻ったら、芸大正門の手前の市田邸の勝手口を目指す。市田邸は明治40年築。勝手口の隣の石蔵の下部が煉瓦造。イギリス積み。 表門 たいとう歴史都市研究会 景観重要建造物及び景観重要樹木 台東区ホームページ にほんブログ村
先ほどの煉瓦造の建物から言問通りの向かい側にある妙情寺に煉瓦塀が残る。 焼き過ぎ煉瓦。小口積み。 隣の上聖寺の手前にフランス積みの煉瓦塀。 にほんブログ村
言問通りの善光寺坂を少し登ると、右手に煉瓦造の蔵と煉瓦塀がある。 善光寺坂 にほんブログ村
言問通りに戻って、谷中で創業60有余年のやきとり丸井。煉瓦塀が残る。目隠しで見えない。 隣の玉林寺には千代の富士の銅像がある。千代の富士は1984年に国民栄誉賞受賞(34歳)。 にほんブログ村
釜揚げうどんとざるうどんのお店「根津 釜竹」ミシュランのビブグルマンの常連。建築家の隅研吾氏の設計で、明治43年にこの地に建てられた煉瓦造の石蔵(東京都選定歴史的建造物)を移築・改装。 商い中の札がかかる 焼き過ぎ煉瓦で覆輪目地。高級感が漂う。イ…
メタセコイヤマンション裏のシケインのようにクランクする裏路地にある煉瓦擁壁。擁壁の向かいには煉瓦塀が残る。 長手積みの煉瓦塀 イギリス積みの煉瓦擁壁 民家の裏に煉瓦塀が残る 井戸が残る にほんブログ村
山中旅館手前の煉瓦塀。以前は旅館の手前まで壁が続いていた。イギリス積み。 近くのお家にも煉瓦 にほんブログ村
谷中清水町公園の左の階段を降りて進むと、洋館風建物に煉瓦塀。イギリス積み。 庭の先にも煉瓦塀 よく見ると井戸の手押しポンプがある。 にほんブログ村
谷中のヒマラヤ杉の分岐を左に進み、右に曲がると突き当りの壁がモルタルで塗られているが煉瓦塀と気づく。大法山一乗寺の煉瓦塀。イギリス積み。 一乗寺の門 境内の煉瓦塀。フランス積み。 煉瓦塀を内側から 谷中のヒマラヤ杉の分岐を右に進むと谷中富士が…
昨日の朝のニュースで、フィリピンのパラワン島沖の約1850mの海底で重巡洋艦摩耶が発見されたと報じられた。発見したのは故ポール・アレンが設立した米国の調査隊。4年前には戦艦武蔵を発見している。実は私の祖父の弟(大叔父)が摩耶の乗組員だった。太平洋…
荒川区の煉瓦巡りで、南千住の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)をお詣りしたら富士塚の山開きだった。 瑞光石(ずいこういし) 富士塚 後日、素盞雄神社を再訪 荒川ふるさと文化館。松尾芭蕉の3Dアート。 素盞雄神社(すさのお神社)素盞雄大神と飛鳥大神が御祭神…