神社
足立区宮城の荒川土手すぐ近くに鎮座する氷川神社に「宮城氏居館之趾」の碑がある。宮城の地名は中世の宮城氏に由来する。宮城氏は豊島氏の庶流。始祖は葛西清重の子朝清とも清重の4代後の豊島重信の子八郎重中とも伝わるが定かでない。宮城の氷川神社は、19…
あらかわ遊園の西隣の船方神社を再訪。 十二天塚 明治三十七八年役(日露戦争)凱旋記念の碑。「丗」は30の漢数字。 水神社 煉瓦造の神輿蔵 鍰煉瓦を発見 荒川区西尾久の小台橋付近でも鍰煉瓦を発見。 にほんブログ村
「茅の輪(ちのわ)くぐり」は、6月30日頃に行われる「大祓(おおはらえ・おおはらい)」「夏越の祓(なごしのはらえ・なごしのはらい)」に行われる神事で、茅(かや)で作った大きな輪をくぐることによって心身を清め、無病息災や厄除け、家内安全を願う。 江北氷…
かつては筑波山の登山口の駅だった筑波鉄道筑波駅跡から西南西に160mに沼田八幡塚古墳はある。桜川流域で最大規模の前方後円墳。前方部は遺存状況が悪く推定復元されている。後円部墳頂に八幡社を祀る。全長約90m。文献[2]の「沼田古墳群、番号141、前方後円…
さいたま市の真福寺貝塚の発掘調査現地説明会の前に、Google Mapsに地点登録されている里塚古墳に立ち寄った。さいたま市地図情報では遺跡番号「12-365」遺跡名「里塚古墳(C-18)」種別「古墳」として登録されている。さいたま市の古墳を網羅的に紹介する文献…
田土部稲荷古墳の南東250mの香取神社の本殿裏にある田土部明神古墳。円墳。土浦市の遺跡番号N111(旧新治村域)。 山ノ神 針供養 庚申塚 にほんブログ村
東金野井貝塚は江戸川と五駄沼に挟まれた南北に伸びる台地の西端にある馬蹄形貝塚。130m×110mほどの弧状になる二つの大きな貝塚と、二か所の斜面貝塚で構成。貝塚の主体は、縄文時代中期から晩期。 東金野井貝塚|野田市ホームページ 東金野井貝塚出土遺物 -…
誉田別尊を祀り元応2年(1320年)の創建と伝わる八幡神社の裏に所在する八幡神社裏古墳。円墳。径17m。詳細不明。 文献 [1] 千葉県教育委員会 1990年「千葉県所在古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村
元島名町の将軍塚古墳は、全長95mの前方後方墳で、4世紀前半の築造。前方部墳頂に彦狭島王(ひこさしまおう)を祀る島名神社が鎮座する。彦狭島王は豊城入彦命(崇神天皇皇子)の孫で、御諸別王(みもろわけのおう)の父。豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は上…
太田市立九合小学校の道路を挟んで南隣の長良(ながら)神社の鳥居脇に、東京国立博物館蔵の国宝の埴輪「挂甲の武人」のレプリカが立つ。文献[1]によるとマツバラ(旧群馬県新田郡九合村大字飯塚字松原)の長良神社の境内に小高い塚があった、松原の長良神社は明…
源頼朝が奥州藤原泰衡追討に際して1189年(文治5年)に神明を祀り創建したと伝えられる駒込天祖神社。 駒込富士塚に鎮座する駒込富士神社は駒込天祖神社の兼務社。 駒込天祖神社公式サイト | 駒込天祖神社公式サイト にほんブログ村
鎌倉時代の1200年(正治2年)に大宮の氷川神社を勧請して創建したと伝わる舎人氷川神社。現在の社殿は1836年(天保7年)の建築で総けやき造り。「舎人(とねり)」とは、飛鳥時代から奈良時代に存在した名代(なしろ)の一つで、皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに…
川崎駅西口前のラゾーナ川崎プラザの北側の温泉通りに位置する女体神社(女体大神)。伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る。東日本大震災の復興祈願のためのシンボルとして、やなせたかし氏によるアンパンマンの巨大絵馬が置かれている事でも知られる。創建年代は不…
中山神社は、武蔵一宮氷川神社と氷川女体神社を結ぶ線上のほぼ中間に位置することから、中氷川神社と呼ばれていた。 毎年12月8日に鎮火祭で炭火の上を素足で歩く特殊神事が行われる御火塚 さいたま市/文化財紹介 中山神社旧本殿 昼に参拝したさいたま市の中…
氷川女体神社では、かつて御船祭(みふねまつり)と呼ばれる祭礼が行われていた。御船祭は9月8日に御座船に乗せられた神輿が見沼を渡って御旅所に渡御する。芝川第一調整池の建設の際の発掘調査で、790を数える竹の突きささった跡や祭礼に伴うとみられる銭など…
武蔵一宮 氷川女体神社は、旧見沼を一望できる台地の突端「三室」に鎮座する。見沼は神沼として古代から存在した沼で、1727年(享保12年)の新田開発までは、12平方キロメートルという広大なものであった。武蔵一宮を名乗る神社は大宮の氷川神社と氷川女体神社…
大宮の地名の由来にもなった武蔵一宮 氷川神社。東京、埼玉に約280社ある氷川神社の総本社。氷川信仰に基づく氷川神社は旧武蔵国足立郡を中心に分布する。 楼門 戦艦武蔵の碑 さざれ石 大絵馬 三の鳥居 由緒 氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天…
1934年(昭和9)に埼玉県招魂社として設立された埼玉縣護國神社。埼玉県関係の英霊を祀る。 艦砲弾。径24糎(センチ)。全長約90糎(センチ)。艦名は不明。 にほんブログ村
1869年(明治2年)に東京招魂社として創建された靖国神社。1879年(明治12年)に靖国神社に改称。ペリー来航(1853年)から太平洋戦争(1941-1945年)までの国内外の戦乱・事変・戦争等の国事に殉じた軍人・軍属等の戦没者246万6千余柱を「英霊」として祀る。 大村益…
太田山公園のある太田山は別名「恋の森」とも呼ばれる。神代の昔、日本武尊東遷の折、相模から上総へ東京湾を渡ろうとしたとき、にわかに強風が起こり、船が難破しそうになり、妃の弟橘媛は尊の命を救おうと、海中に身を投じ、海神を慰めたのでたちまち、波…
平安初期の849年(嘉祥2年)に草創の白岡八幡宮。八幡太郎義家が奥州征伐の途中、戦勝祈願のため立ち寄ったと伝わる。 義家が馬をつないだと伝わる神木(駒継ぎの杉) マンホール蓋 白岡八幡神社(公式サイト) 白岡八幡宮棟札/白岡市 白岡八幡宮梵鐘/白岡市 白…
ご〜ご〜ひでりんさんの「古墳なう」で紹介されている田中稲荷塚を訪れた。田中橋の交差点近くの三角地に稲荷様が祀られている。 田中橋の交差点の斜向かいで変わった神社を見つけた。羽田の穴守稲荷神社の分社とのこと。参道が螺旋階段。 かつて田中橋の南…
ご〜ご〜ひでりんさんの「古墳なう」で紹介されている前原下峡塚・猪方稲荷塚・猪方767番地古墳?を訪れた。 前原下峡塚 猪方稲荷塚 猪方767番地古墳? 狛江百塚 - 狛江市役所 近くの駐車場にあった撮影用のパトカー 痛車 県をまたぐ移動の自粛要請解除を受…
江北氷川神社は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る。旧江北村(沼田、鹿浜、鹿浜新田、加賀皿沼、高野、谷在家、宮城、小台、堀之内)九ヵ村の総本社。 東京都足立区で安産・厄祓い・初宮参り|ご祈願・お参りは《江北氷川神社へ》 (2007年6月24日撮影) 県ま…
応神天皇を祀る八幡様。尾久八幡神社は、正確な創建の年は不詳だが、鎌倉時代末期の1312年(正和元年)に尾久の地が鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進された頃にさかのぼると考えられている。神社の前を都電荒川線が走る。 馬場子育稲荷神社 緊急事態宣言の解除を受け、…
北区豊島の紀州神社は、鎌倉時代後期、紀州和歌山にある紀伊国一之宮 伊太祁曽(いたきそ)神社を勧請したのがはじまりで水の神様として知られている。五十猛命(いそたけるのみこと)、大弥津姫命(おおやつひめのみこと)、柧津姫命(つまつひめのみこと)を祀る。…
七社神社は、江戸時代には七所明神社といい、西ヶ原村の鎮守で、別当である無量寺の境内に所在した。祭神は、紀伊国高野山四社明神を移し祀り、これに天照大神・春日・八幡の三神を合祀したものという。神仏分離によって、明治初年に現在地である神明宮社地…
上野東照宮は徳川家康公(東照大権現)を祀る神社で1627年(寛永4年)の創建。金色殿(社殿)などの豪華な建造物は、貴重な江戸初期建築として国の重要文化財に指定されている。現存する社殿は1651年(慶安4年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたもの。 唐門(…
久能山東照宮は徳川家康公を祀る全国東照宮の創祀。家康公は1616年6月1日(元和2年4月17日)に駿府城で死去。柩は久能山に運ばれ、遺言に従って江戸幕府は翌年1月(同年12月)に久能山に東照社を創建した。朝廷は、神社としての東照社に「東照大権現」の神号を宣…
鎌倉幕府を開いた源頼朝の重鎮であった千葉常胤(つねたね)の父・常重(つねしげ)が1126年(大治元年)に居館(亥鼻城)を構えた亥鼻山(いのはなやま)。1455年(康正元年)に千葉胤直(たねなお)が原胤房(たねふさ)に追われるまで約330年に渡り千葉氏の拠点であった。…