神社
江戸袋貝塚は、旧入間川により形成された自然堤防上に位置し、沖積地に立地する貝塚として考古学上、地理学上貴重な遺跡。縄文時代後期の貝塚、集落跡。 東光院 川口新郷工場団地 氷川神社 江戸袋氷川神社 御由緒 □御縁起 (歴史) 川口市江戸3-28-22 当地は、…
横見神社の鳥居の隣の赤い鳥居が稲荷社が祀られた御所稲荷塚古墳と思われる。文献[1]では、規模不明の円墳。文献[2]では「昭和50年(1975年)に、大字御所字稲荷前の遺跡が発掘調査され、1基の円墳跡(御所稲荷塚古墳)が発見され」とあり、どうなんだろう。 文…
吉見丘陵の東側、荒川が形成した沖積地内の自然堤防上の御所古墳群。横見神社の本殿の土台部分が横見神社古墳か。文献[1]では、規模不明の円墳。文献[2]では「現在も石室の一部が露出」とあり、拝殿と本殿の間の部分か? 横見神社本殿/吉見町 文献 [1] 埼玉…
4月に熊谷市の埼玉県文化財収蔵施設で特別公開された北大竹遺跡の出土品を見学したが、その日は、熊谷市に行く前に、川島町、吉見町、東松山市に寄り道した。 最初に訪れたのは、市野川の自然堤防に位置する氷川神社境内の富士浅間塚古墳。文献[1]では、径15…
杉久保富谷児童公園の「杉久保遺跡・富谷横穴墓群」の説明板の地図に記されている豊受大神(豊受神社)を参詣した。 海老名郷土かるた「む」|海老名市公式ウェブサイト 神奈川県神社庁/神社検索/豊受大神 にほんブログ村
大神塚の説明板に明治41年の発掘調査の出土品(和鏡2面、漢鏡1面、直刀3振)や陪塚の出土品(金銀環、勾玉、管玉等)が寒川神社に展示されていると書いてあったので、参詣した。 寒川神社 大神塚古墳の出土品は方徳資料館に収蔵されているようなのだが、神嶽山神…
千年伊勢山台古墳の次に子母口(しぼぐち)富士見台古墳と橘樹神社を再訪した。 川崎市教育委員会:橘樹神社と富士見台古墳 にほんブログ村
「踊る埴輪」の出土地として有名な野原古墳群。「踊る埴輪」は1930年に畑を耕している時に偶然発見され、後藤守一さんが「踊る男女」と名付けた。東京国立博物館では「踊る人々」としている。また、馬を引き連れている姿との説もある。 八幡神社 早くも怪し…
建替工事中の東灌森稲荷神社を再訪したら、すでに棟上げしてた。屋根下葺材は、TAJIMAのタディス セルフ。その上に銅葺。鳥居も設置され、桜も咲いた。 数日後 屋根下葺材/仕様 | 田島ルーフィング株式会社 にほんブログ村
青柳古墳群の元阿保支群の元阿保稲荷神社古墳は、墳丘上に稲荷社を祀る。文献[1]では、全長約25mの前方後円墳とする。文献[2]では「伝承によると(中略)前方後円墳であった可能性があり、径約25mの墳丘が残存している」とする。 古墳の脇は「なかよしえん」と…
蟹ヶ谷古墳群の現地説明会の帰りに、武蔵中原駅チカの大戸神社に立ち寄った。ここには変わった狛犬がいる。砲弾を抱えている。日露戦争の勝利を祝い奉納されたという。明治40年(1907年)の建立。日露戦争は1904年2月に開戦、1905年5月に大日本帝国海軍の連合…
昨年12月に企画展を開催中の神川町多目的交流施設を訪れる前に、武蔵国二宮の金鑚(かなさな)神社を参詣した。金鑚神社は、御嶽山(みたけさん)の麓に鎮座し、拝殿後背 標高300メートルほどの御室山・御室ヶ嶽(みむろがたけ)を神体山として祀る。神川町二ノ宮…
那須小川古墳群の駒形大塚古墳は、4世紀初めごろに築造された全長60.5mの前方後方墳。画文帯四獣鏡(中国鏡)をはじめ、銅鏃、 直刀など多数の副葬品が出土。 墳丘の階段を登ろうとしたら古墳ネコに睨まれた。 那須小川古墳群|生涯学習|那珂川町 なす風土…
笠石神社のご本尊として祀られている那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)。徳川光圀の命により侍塚古墳で行われた学術的発掘調査の契機になった石碑。日本三碑。国宝。 日本考古学の原点 湯津上の侍塚古墳 那須の湯津上は国宝・那須国造碑、史跡・侍塚古墳…
判官塚古墳は、前方部が発達した典型的な古墳時代後期の中型の前方後円墳で、鹿沼市内では最大級。全長60.90m・後円部径31.30m・前方部幅39.15m後円部高さ5.15m・前方部高さ4.73m玄室長さ4.09m・同奥壁幅2.50m・同高さ1.40m羨道の長さ(現存)1.68m。 判官塚…
木の本4号墳は、平成2年に個人住宅建設工事に伴い、墳丘北脇部の調査が実施されたが、周溝、埴輪、版築等の古墳に関する遺構、遺物は検出されなかった。墳丘上に稲荷神社を祀る。文献[2]では径5mの円墳。 リンク 史跡/深谷市ホームページ 文献 [1] 深谷市教…
広瀬古墳群の4号墳。径25mの円墳。文献[1]の熊谷市の「No.92古墳」で墳丘上に天神神社を祀る。 右が宮塚古墳、左が広瀬2号墳、真ん中の茂みが文献[1]の熊谷市のNo.89古墳(規模不明の方墳)。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」…
大類古墳群の探索の続き。十社神社の社殿裏を探索。 22号墳(円墳、径13.6m) 20号墳(円墳、径12.7m) 19号墳(円墳、径11.6m) 21号墳(円墳、径11.8m) 23号墳(円墳、径11.8m) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「…
大類古墳群の探索の続き。 26号墳(円墳、径14.4m) 十社神社 27号墳(円墳、径14.8m) 25号墳(円墳、径22.2m) 24号墳(円墳、径17.9m、周堀確認) 苦林野合戦と伝承/毛呂山町 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「…
高麗川が形成した沖積地を望む台地に石上神社古墳を中心として分布する成願寺古墳群。石上神社古墳(成願寺2号墳)は、径50mの円墳。石上神社を祀る。入西(にっさい)のビャクシンは埼玉指定天然記念物。 坂戸の指定文化財(有形) - 坂戸市ホームページ 文献 […
善能寺古墳群は、毛呂山台地を東に流れる葛川沿いに分布する。善能寺1号墳は墳頂に金比羅大神を祀る径26.8mの円墳。金比羅権現は海上交通の守り神として信仰された。 文献[2]では善能寺古墳群・大河原古墳群・三福寺古墳群・北峰古墳群を総称して入西(にっさ…
稲荷神社の東側に北峰13号墳と14号墳。埼玉県川越農林振興センター林業部の「武蔵野の森再生事業」の看板が立つ。 北峰13号墳(円墳、径22.8m) 北峰14号墳(円墳、径17m) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼…
北峰1号墳の北の宅地脇のブロック塀で囲まれた墓域が北峰8号墳。径15〜16mの円墳。 すぐ近くの袖山稲荷。ここも怪しいが文献[1]には記載されていない。 もう1ブロック北の民家の敷地に北峰9号墳(円墳、径18m、耳環、葺石)があるようだが、敷地の外からは確認…
塚崎六所神社の向かいに塚崎1号墳。円墳。径32m、高さ1.7m。 なぜか入西(にっさい)地域交流センター玄関ではリアルなカバがお出迎え 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村
図那(ずな)浅間古墳は、全長80mの前方後円墳とされるが、現況では墳形ははっきりしない。墳丘上に浅間神社を祀る。 文献 [1] 千葉県教育委員会 1990年「千葉県所在古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村
勝呂古墳群は、越辺川(おっぺがわ)の沖積地に向かって飛び出した半島状の台地に形成された。勝呂1号墳(勝呂神社古墳)は、胴山古墳の東1Kmにあり、墳丘上に勝呂神社を祀る。径50〜55m、高さ4.2mの円墳。文献[1]には「墳頂に勝呂神社、石材露出」とあり、墳頂…
大宮住吉神社は、社伝によると天徳三年(955年)に長門国豊浦郡(現在の山口県下関市)の住吉神社の御分霊を山田長慶という人が勧請したことに始まるといわれ、祭神として、住吉三神(海・航海の神)、神功皇后、応神天皇を祀る。河川交通と軍事の要ということであ…
塚越3号墳(義家塚)は、塚越1号墳の西100mに所在する径9mの円墳。横穴式石室、葺石が確認されている。墳丘上に塚越神社の石祠を祀る。塚越神社は、義家塚ともいい、源義家が腰をかけた塚で、塚越の地名の由来、源頼朝の命で源義家の忠魂を勧請したと伝わる。 …
牛塚山古墳群の氷川神社周辺の4基(5〜8号墳)を探索。牛塚山5号墳は、氷川神社の社殿裏に所在する径16mの円墳。牛塚山5号墳の周辺からは、1989年から1990年に実施された道路改良工事に伴う小沼堀之内遺跡内の発掘調査で古墳跡3基(6号墳〜8号墳)を検出した。牛…
仙波氷川神社の境内に氷川神社古墳はある。円墳。径15m。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村