古道
毛呂山(もろやま)町歴史民俗資料館の展示に川角(かわかど)古墳群古墳分布図があったので、写メを撮らせていただき探索した。川角古墳群は資料館からすぐの鎌倉街道の東西に分布する。毛呂山町の鎌倉街道は、県内でも保存状態がとてもよく、文化庁の「歴史の…
大宮住吉神社は、社伝によると天徳三年(955年)に長門国豊浦郡(現在の山口県下関市)の住吉神社の御分霊を山田長慶という人が勧請したことに始まるといわれ、祭神として、住吉三神(海・航海の神)、神功皇后、応神天皇を祀る。河川交通と軍事の要ということであ…
ご〜ご〜ひでりんさんの「古墳なう」で紹介されている田中稲荷塚を訪れた。田中橋の交差点近くの三角地に稲荷様が祀られている。 田中橋の交差点の斜向かいで変わった神社を見つけた。羽田の穴守稲荷神社の分社とのこと。参道が螺旋階段。 かつて田中橋の南…
飯田塚古墳の西隣の白井塚古墳。雑木林に覆われた墳頂の上に稲荷が祀られている。径36mほどの円墳。狛江古墳群のなかでは初期の5世紀後半から6世紀前半の築造。土地の所有者にお願いして見学したいところだが、今は接触機会を増やすことは避け、またの機会と…
国府台(こうのだい)遺跡第192地点の現地説明会に参加した。京成線国府台駅から北に徒歩10分。今回の発掘では、両側に側溝をもち、路面幅が9mほどの古代の道路跡が、南北長さ45mにわたって発見された。東の側溝は深さ0.7m、西の側溝は一番深いところで1.8mあ…
二子の地名の由来になった古墳。すでに湮滅している。二子塚公園に1915年(大正4年)建立の「二子塚舊磧」と1968年(昭和43年)建立の「史蹟二子塚之碑」がある。はっきりしないが60m以上の前方後円墳だったらしい。1915年には削平されていた可能性がある。「舊」…
兜塚は、1457年に太田道灌が支城地の調査ため、加瀬の台(川崎市幸区)を候補地として一夜を過ごした時、道灌の兜を鷲が奪って、本地に落とし、そして鷲が兜を埋めたいう伝説から、その名が付いた。墳丘は僅かしか残っていない。1938年に土取り工事によって削…