墓地
市野川の自然堤防に位置する広徳寺境内の広徳寺古墳。文献[1]では、径8mの円墳、馬鈴が出土。墳丘上の「美尾屋廣徳碑」は安政7年(1860年)建立。 廣徳寺大御堂は国指定の重要文化財 廣徳寺大御堂(こうとくじ おおみどう)/ 川島町 文献 [1] 埼玉県教育委員会…
3月26日に寒川町で開催された大神塚(応神塚)古墳の発掘調査の現地説明会に参加した。事前予約制で各回10名で5回を予定していたが午後から雨予報で、午前のみの開催となった。大神塚(応神塚)古墳は、寒川町で唯一の墳丘を保った古墳で、寒川町では大神塚(応神…
青柳古墳群の元阿保支群の続き。 No.62古墳(円墳、規模不明、墓地) No.66古墳(円墳、規模不明、墓地) No.67古墳(円墳、規模不明、墓地) No.60号古墳(円墳、径約10m) 祀られている小祠が、埼玉古墳軍さんの「神川町の古墳(元阿保古墳群その3)」のNo.59古墳…
次に青柳古墳群の元阿保支群の古墳を探索した。No.268古墳(円墳、径約10m) No.48古墳(円墳、径約18m) No.53古墳(左、円墳、径約18m)とNo.52古墳(右) No.52古墳(円墳、径約15m) No.55古墳(円墳、規模不明) No.56古墳(円墳、規模不明) 文献 [1] 埼玉県教育委員…
青柳古墳群の関口支群の探索の続き。関口3号墳(No.70古墳、円墳、規模不明) 関口4号墳(No.71古墳、円墳、規模不明) 近くの道祖神 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 今日からリバウンド警戒期間 <#新型コロナウイルス感染症 …
坂戸市の塚原古墳群で1基だけ西に外れて所在する塚原14号墳。径28mの円墳。現在は墓地になっていて墳形はよくわからない。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほん…
石上神社の西に成願寺5〜8号墳の4基の円墳が所在する。現在は墓地になっていて、墳丘を確認することはできなかった。文献[1]では、4基とも径16mの円墳。8号墳が「石室用材出土、葺石、消滅」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」…
北峰1号墳の北の宅地脇のブロック塀で囲まれた墓域が北峰8号墳。径15〜16mの円墳。 すぐ近くの袖山稲荷。ここも怪しいが文献[1]には記載されていない。 もう1ブロック北の民家の敷地に北峰9号墳(円墳、径18m、耳環、葺石)があるようだが、敷地の外からは確認…
越辺(おっぺ)川を望む坂戸台地の東端、10基以上の円墳で構成される牛塚山古墳群。文献[4]によると法音寺境内に4基(1,2,9,10号墳)、氷川神社周辺に4基(5〜8号墳)、その中間に3号墳が分布する。牛塚山1号墳は、1994年に送電線鉄塔建設のため発掘調査後に削平さ…
臼井古墳群の続き。つくば道の西側のもう1基。諏訪山古墳? 近くに筑波庭石 つくば市臼井古墳群(後編) | 趣味の案件 にほんブログ村
池上本門寺の力道山の墓。力道山は空手チョップで体の大きな外人レスラーをなぎ倒し、新橋駅前の街頭テレビに2万人を集めた昭和のスーパースター。ブロンズ像の台座には百田光雄(次男)、三澤光晴、小橋健太、天龍源一郎、秋山準、佐山サトル、梶原一騎とプロ…
武者塚古墳や坂田塙台古墳群のある桜川左岸の対岸(右岸)の自然堤防上に位置する松塚古墳群。文献[1]の「松塚古墳群、番号103、前方後円墳2基、円墳1基」 松塚1号墳。前方後円墳。全長69m。くびれ部に食い込む形で鹿島神社を祀る。西から、左が後円部、右が前…
染井霊園の隣の天理教東京教務支庁の鍰煉瓦の塀。文献[1]によると1999年4月の研修棟改修の発掘調査で大量の鍰煉瓦(からみれんが)のを使った塀が確認された。 敷地の内側から隣の泰宗寺との境の鍰煉瓦の塀 十二地蔵。享保15年の大火による犠牲者の冥福を祈る…
時宗寺院の長徳寺。背後に品川区立城南小学校の校舎が見える。 長徳寺の墓地に煉瓦塀に囲まれた墓がある。 品川区立城南幼稚園の前に建つ「品川区立城南小学校」の立て札。城南小学校は明治7年に常国寺に開校。 標石。品川区のマークかと思ったが、西鉄のマ…
海徳寺の西側の塀の下部が鍰煉瓦(からみれんが)。 「奉納」と「明治四十三年十月」と記されている。 さらに進むと本覚寺の塀の角に「KHK」と記された京浜急行の標石(境界石)が見つかる。背後の高架に京急の電車と新馬場駅が見える。 鍰煉瓦についてはこちら…
谷中霊園の乙11号1側の渋沢家墓所に渋沢栄一の墓がある。渋沢栄一は「近代日本経済の父」とか「日本資本主義の父」とされる。煉瓦巡りでは渋沢栄一は避けては通れない。渋沢家の家風か、背面を除いて囲いもなくオープンな墓所。 左から2番目が渋沢栄一の墓 …
寛永寺谷中第一霊園のB2の区画に妻木頼黄(つまきよりなか)の墓がある。妻木頼黄は横浜赤レンガ倉庫の設計者。東京駅を設計した辰野金吾のライバルとされる。寛永寺谷中第一霊園は谷中霊園の中に飛び地のようにある。 「墓地」の標石(境界石) 向かいには谷中…
谷中霊園に煉瓦を積んだ墓がある。 脇には煉瓦が敷かれている 刻印も見つかる。丸にサ? 丸に「サ」の字の刻印は、神田駿河台の松山堂の蔵の煉瓦でも見つかる。 あとはよくわからない 近くでスクラッチタイルを貼った柱で囲われた墓を見つけた。 天王寺の大…
あらかわ遊園の西側の北区堀船にも煉瓦塀が残る。 延命寺裏の駐車場の煉瓦塀 延命寺の塀に残る煉瓦の柱 煉瓦塀の上からモルタルで補強されている。ところどころ煉瓦が現れている。 塀は内側にかなり傾いている 延命寺にある煉瓦積みで囲われた墓。尾久村上尾…
昨年9月に多胡薬師塚古墳のヒガンバナを見たときに、付近に群集する多胡古墳群を巡った。 左が多胡村195号墳? 右が多胡村194号墳? 右が多胡村195号墳? 左が多胡村194号墳? 多胡村206号墳?脇には太陽光発電の開発事業計画の看板 多胡村207号墳? 多胡村2…
宗永寺裏東塚古墳から東に80mに位置する薬師塚古墳(美土里村26号墳)。円墳。径24m。 北から 東から 南西から にほんブログ村
宗永寺の本堂の東に位置する宗永寺裏東塚古墳(美土里村6号墳)。前方後円墳。全長30m。墳丘の上は墓地として利用されているため、墳丘の形がよくわからない。標高80m。 北東から全景。左が後円部、右が前方部。 北から前方部 墳丘の上から前方部 南から前方部…
七輿山古墳の後円部の約150m東に位置する宗永寺の境内にある宗永寺裏西塚古墳(美土里村4号墳)。前方後円墳。全長48m。 東から、手前が前方部 南から前方部の墳頂に登る石段 石段下から後円部 石段下から前方部 前方部の墳頂 前方部の墳頂から後円部 後円部…
岩宿ムラ祭りの日に周辺の古墳を巡った。 天神山古墳群の天神山3号墳。円墳。径14m。竪穴式(石槨)。市史跡。 墓地のあたりに墳丘が残っているのかと思ったが、保存されているのは石室のみのようだ。 「3号墳の竪穴石室が覆屋内に保存されている」とされるの…
一戦塚古墳は牛伏4号墳の北200mの位置にある前方後円墳。前方部は墓地になっている。 にほんブログ村
線刻画がある石室の奥壁が露出する増井古墳。墳丘の西半分は旧水戸街道により切断され、墳形も規模も不明。 この細道が旧水戸街道? 城里町増井古墳: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
鴻巣市下忍の宝養寺の墓地になっている宝養寺古墳。方墳。一辺45m。 南西から。 南から。 南東から。 東から。 北東から。 にほんブログ村
元荒川左岸の自然堤防に築かれた安養寺(あんようじ)古墳群に属す安養寺南古墳。安養寺の北隣の安龍寺の墓地になっている。詳細不明だが前方後円墳の可能性あり。約80m×約43m、高さ1m。八幡神社古墳から北に徒歩9分。 安龍寺 元徳三年宝篋印塔。安龍寺の開祖…
大田区は横穴墓の密集地で、区内の台地斜面には500基をこえる横穴墓が存在したと推定される。国道1号線(第二京浜国道)の敷設工事の際に、大田区の塚越から馬込にかけて、台地が掘削され、多くの横穴墓が露出したという。大田区立馬込中学校の近くの墓地に「…
姿川左岸の段丘上にある本郷古墳。前方後円墳。 南東から。手前の墓地が前方部、奥が後円部。 後円部の墳頂から前方部。 後円部の墳頂から北西を望む。中央の電柱の右に琵琶塚古墳、左に摩利支天塚古墳、手前を姿川が流れる。 にほんブログ村