墓地
八木上遺跡の東側に隣接して笹井古墳群が展開する。 緑のネットの向こう側のソーラー発電施設のあたりに笹井古墳群(6基の円墳)が分布する。 ネット空間には、狭山パーキングエリア拡張工事の予定地に隣接する墓地のあたりに沢口上古墳群が分布するとの情報が…
白石古墳群の墳活の続き。 平井地区49号墳(平井村461号墳) 平井地区50号墳 平井村464号墳 平井地区49号墳-50号墳-57号墳-58号墳-平井村464号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記 にほんブログ村
梵天山古墳群で墳活の続き。 高山塚古墳(梵天山3号墳、円墳、径100m) 西天塚(梵天山4号墳、円墳、径30m) 【集中曝涼】中野冨士山古墳・星神社古墳・梵天山古墳群 | 常陸太田市公式ホームページ 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 | 古墳探訪記 常陸太田市:…
現地説明会の合間に梵天山古墳群で墳活。梵天山古墳群は、久慈川と山田川に挟まれた標高20~25m前後の台地上にあり、前方後円墳2基、円墳8基と、「島の百穴」と呼ばれる横穴墓群からなる。 阿弥陀塚古墳(梵天山2号墳) 梵天山古墳群 – 茨城県教育委員会 【集…
群馬県玉村町の古墳巡りの続き。 玉村町27号墳(綜覧古墳番号玉村町27)、番号211 [現状:×、墳形:円墳、径20.0m、埋葬施設:不明(削平)] 玉村町26号墳(綜覧古墳番号玉村町26)、番号210 [現状:○、墳形:円墳、径25.5m、埋葬施設:不明(未調査)] 群馬県佐波郡玉村町…
常名天神山古墳の約80m北の台地の南縁に古墳2基が遺存する山川古墳群を探索した。1990年(平成2年)に、この台地の常名地区に、川口運動公園にかわる新しい運動公園建設の計画(土浦市総合運動公園基本計画)が策定され、1991年3年3月に試掘調査、1993年度から本…
東京都の未訪問の古墳の1つの堤方権現台古墳を訪れた。 池上永寿院万両塚 芳心院墓所 芳心院墓所 万両塚に埋葬されている「芳心院殿妙英日春大姉」は、 徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘、鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室…
本庄市の旭・小島古墳群を巡った。 本庄市の遺跡番号139の元屋敷5号墳。文献[2]の小島諏訪神社古墳、円墳、径27m、神社境内、埴輪、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.77の小島諏訪神社古墳、円墳。 第80回伊勢神宮式年遷宮記念 諏訪神社 御由緒 本庄市小島4-4-14…
本庄市の古墳の続き。 本庄市の遺跡番号141。文献[1]の「三夜堂古墳、円墳」 本庄市指定史跡 小笠原掃部太夫信嶺公夫妻の墓 公は徳川氏の家臣で、もと印塔は古墳上に築かれてい信州松尾城主、天正18年 (1590年)豊臣氏の関 東攻めにより、本庄氏滅亡の後当城…
総社古墳群を墳活。2基目は、宝塔山古墳。 史跡 宝塔山古墳 一辺の長さ約55m、墳丘高11mの規模を誇る方墳である。この規模は方墳としては全国的にみても大きい。 主体部は墳丘基壇上に造られた横穴式石室で、羨道、前室、玄室の三室にわかれている。石室の壁…
金鑚神社古墳から北西に徒歩約15分の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にある本庄市指定文化財の平重衡の首塚を訪れた。平重衡(しげひら)は平清盛の五男、治承4年(1180年)12月、清盛の命により南都焼打、 寿永3年(1184年)2月の一ノ谷の戦いで平氏は源範頼・義経の鎌…
本庄早稲田の杜ミュージアムで企画展を鑑賞する前に深谷市の蛇喰古墳に立ち寄った。文献[2]によると蛇喰古墳は「径20mを測る円墳で、白山古墳群中唯一現存する古墳である」「白山古墳群は6世紀以降の築造と推定される古墳群で、白山遺跡の北西に展開する。(…
御廟塚(みびょうづか)古墳は、「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば「前方後円墳とされるが、未調査で、埋没している部分も多く、その規模は不明。景行天皇55年に東山道15か国の都督に任命されて赴任した豊城入彦(と…
天祥寺の墓地にある旧藩主松平家の墓をお参り。 行田市指定文化財 旧藩主松平家の墓 昭和47年11月9日指定 ここ海東山天祥寺は、忍城主松平下総守家の菩提寺で、文政6年(1823)に松平家が桑名城より忍城に移った後にこの地に移転されました。 この墓地には、向…
多胡碑周辺遺跡の多胡郡正倉跡から一段低い段丘面の多胡碑南東地区に分布する高木古墳群の7基を探索した。下記の[カッコ]内の情報は「群馬県古墳総覧2017」から。 吉井町103号墳 [現状:✖️、墳形:前方後圓、(177尺)] 吉井町104号墳 [現状:✖️、墳形:圓型、(36…
帰り道に塚本古墳の前を通りかかったので写真を1枚パシャリ。 古墳なう 大田原市 「塚本古墳」と消滅した「岩船台古墳群」 にほんブログ村
稲荷塚古墳(浅羽野2号墳)の次に浅羽野4号墳を訪れた。墳頂に高さ231cmの浅羽橋場の板石塔婆(坂戸市指定考古資料)が立つ。文献[1]では「浅羽野4号墳(大塚)、円墳、径24m」 坂戸市指定考古資料 浅羽橋場の板石塔婆 この橋場墓地内に建つ、緑泥片岩の板碑は、高…
厚木市の古墳巡りの続き。弘徳寺の墓所の善鸞上人墓を訪れた。 善鸞上人御墓所について 善鸞上人と二人という方は、浄土真宗の開祖親鸞聖人の 街嫡男であります 由あって真宗教国から遠ざけられ 常陸の国から 相州弘徳寺へ御畄錫(りゅうしゃく) 不遇のうちに…
厚木市の古墳巡りの続き。天神山古墳のすぐそばの寺ヶ岡古墳を訪れた。 寺ヶ岡古墳は、文献[2]では「寺ヶ岡古墳(457)てらがおかこふん [群] <N-15>·(尼寺原地区24号填) [所]厚木市戸室字寺ヶ岡837 付近 [立]台地上 [形]円墳? [周]不明 [規]不明 [埋]木棺葬? [副]鉄</n-15>…
聖山公園に保存されている将軍塚古墳を訪れた。聖山公園は宇都宮市が運営する公営霊園で、宇都宮市西部にある。将軍塚古墳は径約30mの円墳。聖山公園の墓園造成にあたり、1982年から1987年に5ヵ年計画で記録保存のための発掘調査が実施された。第4ヵ年目の19…
谷中の散歩の続き。気がついたら、また谷中霊園。 渋沢栄一家墓所 4年前から大きく変化していた。 にほんブログ村
桜に誘われて、谷中霊園を散歩。 川上音二郎の碑 天王寺五重塔跡 銅造釈迦如来坐像台座跡 鬱金桜(うこんさくら) 几号水準点 天王寺 歴史と文化の散歩道 「8.谷中コース(湯島天神―西日暮里駅/駒込駅、7.3km)」 歴史と文化の散歩道|東京都生活文化スポーツ…
昨年に引き続き、今年も神奈川県寒川町の大神塚(応神塚)古墳の発掘調査現場見学会に参加した。実際は、「小雨なら開催」のところ、小雨とは言えない雨で中止だった。中止を知らずに訪れたところ、見学させていただいた。ありがとうございます。昨年は後円部…
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木4号墳 文献[1]では「円墳、径7.1m、横穴式石室」 飯塚・招木9号墳? 文献[1]では「円墳、径13.3m、横穴式石室」 飯塚・招木3号墳 文献[1]では「円墳、規模不明」 飯塚・招木2号墳 文献[1]では「円墳、径12.6m」 飯塚・招…
飯塚・招木古墳群の続き。 飯塚・招木73号墳 文献[1]では「円墳、径7.0m」 飯塚・招木72号墳 文献[1]では「円墳、径5.0m」 飯塚・招木69号墳 文献[1]では「円墳、径19.3m」 耐火煉瓦「TAR SK30」 飯塚・招木66号墳 文献[1]では「円墳、径11.2m」 飯塚・招木6…
那珂川町の文化財(記念物)に指定されている駒形大塚陪塚2号墳と3号墳を探索した。 駒形大塚陪塚2号墳 駒形大塚陪塚3号墳 町指定文化財(記念物) | 史跡 | 那珂川町那珂川町駒形大塚古墳(那須小川古墳群 その1) | 趣味の案件古墳なう 那珂川町 「駒形大塚3…
4年前に初めて高崎市観音塚考古資料館を訪れた時に、観音塚古墳と八幡二子塚古墳と平塚古墳を巡った。その時、平塚古墳は平塚公園の埴輪のモニュメントとその背後の茂みを撮影して、引き上げた。その時は円墳かと思った。後で博物館の資料を見たら前方後円墳…
昨年夏に上郷台宿3号墳出土の石棺材のあるつくば市上郷の歓喜院を訪れたが、他にも石棺材があるとのことで再訪した。歓喜院から、南に徒歩16分の上郷台宿4号墳跡と思しき墓所の裏に石棺材らしい板石が積まれている。上郷台宿古墳群は文献[1]の「番号323、4基…
実穀(じっこく)古墳群は、乙戸川左岸の標高約22〜24mの台地上(だめき古墳から東に約450m)に位置し、南西に臨む乙戸川岸の水田との比高は約7m。1995年(平成7年)10月から翌年3月まで、住宅・都市整備公団の荒川本郷地区特定土地区画整理事業に伴う記録調査が行…
明治2年、新政府の初代水戸藩知事となった徳川昭武公は、明治維新の礎として殉難した志士の遺骸を収容して、常磐共有墓地の一角に埋葬し、同所に「殉難」碑を建立、慰霊顕彰した。大正3年、殉難志士の氏名を刻して建てたのが「水戸殉難志士の墓」である。 市…