週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

群馬県

平井地区2号古墳と平井地区2号北古墳 (再訪) 藤岡市三ツ木

平井地区2号古墳と平井地区2号北古墳も再訪した。 平井地区1号古墳の墳頂から左が平井地区2号北古墳、右が平井地区2号古墳 皇子塚古墳の墳頂から手前に平井地区2号古墳、その奥に平井地区2号北古墳 平井地区2号古墳 平井地区2号北古墳 にほんブログ村

皇子塚古墳 (再訪) 藤岡市三ツ木

平井地区1号墳の次に皇子塚古墳を再訪。 県指定史跡 皇子塚古墳 指定日 平成4年5月15日 所在地 藤岡市三ツ木字東原247番地ほか 所有者 藤岡市 本墳は直径31m、高さ6mが、四段に築かれた円墳である。内部構造は両袖型横穴式石室で、羨道、前室、玄室からなる…

平井地区1号古墳 (再訪) 藤岡市三ツ木

平井地区1号古墳と皇子塚古墳を再訪した。 平井地区1号古墳 県指定史跡 平井地区1号古墳 所在地 藤岡市三ツ木字東原249-9番地ほか 所有者 藤岡市 本墳は直径24m、高さ3.5m、二段に築かれた円墳で、幅広の基壇を有する。石室は北に開口する横穴式両袖型石室で…

古墳時代の祈りのカタチ 藤岡歴史館

藤岡歴史館で開催中の秋季企画展「古墳時代の祈りのカタチ -白石稲荷山古墳と群馬の石製模造品-」を鑑賞した。本展は、藤岡市域、また群馬県域の資料を中心に石製模造品を用いたマツリの導入と盛行のようすについて考える。石製模造品は、古墳時代のマツリ…

塚原古墳群 (その2) 高崎市吉井町池

塚原古墳群の続き。吉井町164号墳に河原石が沢山積まれている。河原石を見ると葺石や石室の石材かと思う。多胡碑周辺遺跡現地説明会で見学したトレンチに河原石がゴロゴロしていた。これらの河原石について質問したところ、この辺りは鏑川の三段の河岸段丘の…

塚原古墳群 (その1) 高崎市吉井町池

高木古墳群の南側、上信電鉄と矢田川を渡った台地に分布する塚原古墳群を探索した。下記の[カッコ]内の情報は「群馬県古墳総覧2017」から。 吉井町126号墳 [現状:✖️、墳形:圓型、(34尺)] 吉井町129号墳 [現状:✖️、墳形:圓型、(34尺)] 吉井町130号墳 [現状:△…

高木古墳群 高崎市吉井町池

多胡碑周辺遺跡の多胡郡正倉跡から一段低い段丘面の多胡碑南東地区に分布する高木古墳群の7基を探索した。下記の[カッコ]内の情報は「群馬県古墳総覧2017」から。 吉井町103号墳 [現状:✖️、墳形:前方後圓、(177尺)] 吉井町104号墳 [現状:✖️、墳形:圓型、(36…

古代山部郷を探る 多胡碑記念館

多胡碑記念館で10月21日から始まった企画展「古代山部郷を探る」を鑑賞した。本展では、山部郷を含む古代片岡郡の遺跡について、奈良時代を中心に概観する。古代の山部郷は、おおむね現在の高崎市南八幡地区の山名町、木部町、阿久津町、根小屋町と推定され…

多胡郡正倉跡 高崎市吉井町池

多胡碑周辺遺跡の現地説明会の後で、段丘上の多胡郡正倉跡を見学。高崎市では平成23年度(2011年)より、特別史跡多胡碑周辺において、多胡碑に記された古代多胡郡の役所跡(多胡郡衙)に関連する遺跡を確認するための調査を実施。岡地区の調査で、2014年3月に瓦…

多胡碑周辺遺跡 現地説明会 (10/21) 高崎市吉井町池

10月21日に群馬県高崎市で開催された令和5年度多胡碑周辺遺跡第13次調査現地説明会に参加した。高崎市では平成23年度(2011年)より、特別史跡多胡碑周辺において、多胡碑に記された古代多胡郡の役所跡(多胡郡衙)に関連する遺跡を確認するための調査を、継続し…

平塚古墳 (再訪) 高崎市八幡町

4年前に初めて高崎市観音塚考古資料館を訪れた時に、観音塚古墳と八幡二子塚古墳と平塚古墳を巡った。その時、平塚古墳は平塚公園の埴輪のモニュメントとその背後の茂みを撮影して、引き上げた。その時は円墳かと思った。後で博物館の資料を見たら前方後円墳…

「地方から見た継体朝とその前後~6世紀前半期の群馬の古墳時代~」高崎市観音塚考古資料館

この日のシメは企画展「地方から見た継体朝とその前後~6世紀前半期の群馬の古墳時代~」を開催中の高崎市観音塚考古資料館。全国的に畿内系の横穴式石室が普及するなど考古学的にも大きな変革が認められる6世紀前半の継体朝とその前後の期間にスポットを当て…

「多胡郡正倉」多胡記念館

群馬県立歴史博物館の次に多胡記念館に移動して、開催中の企画展「多胡郡正倉」を鑑賞した。群馬県高崎市に所在する上野三碑のユネスコ「世界の記憶」登録5周年を記念して、多胡碑周辺遺跡と上野国多胡郡正倉跡を掘り下げて紹介する。711年(和銅4年)の多胡郡…

「上野三碑の時代」群馬県立歴史博物館

藤岡市の白石稲荷山古墳の現地説明会に参加した日に、高崎市の博物館で開催されている3つの企画展をハシゴした。この日の1番に訪れたのは企画展「上野三碑の時代」を開催中の群馬県立歴史博物館。群馬県高崎市に所在する上野三碑のユネスコ「世界の記憶」登…

白石稲荷山古墳 現地説明会(10/16) 藤岡市白石

藤岡市の白石古墳群の白石稲荷山古墳の発掘調査の現地説明会に参加した。藤岡市では、現在、七輿山古墳を北、白石稲荷山古墳を南とする範囲で白石丘陵公園の整備を進めている。その一環の史跡整備にあたって古墳の調査を実施している。令和元年度に早稲田大…

頼母子横穴墓 板倉町海老瀬

次に頼母子(たのもし)横穴墓を訪れた。 頼母子横穴墓群(たのもしおうけつぼぐん) - 板倉町 板倉町で書籍を受け取り、ついでに板倉町の古墳めぐり。①頼母子横穴墓②稲荷神社古墳③大塚山古墳④松ノ木古墳 pic.twitter.com/zYwhX5IMp7— 岩宿の石器 (@tGyWsAtnF9…

一峯貝塚 板倉町海老瀬

3県境を見学後、群馬県板倉町の一峯貝塚を訪れた。板倉町海老瀬の権現沼の南に位置する一峯貝塚と北に位置する離山貝塚を合わせて権現沼貝塚群と呼ばれ、縄文海進時の縄文時代前期(約7,000年前)に営まれた。 一峯貝塚(いちみねかいづか) - 板倉町 離山貝塚…

3県境と渡良瀬遊水地と熱気球

昨年12月の栃木県小山市の摩利支天塚古墳の現地説明会の日に早起きして埼玉県と群馬県と栃木県の3県境を訪れた。道の駅「かぞわたらせ」から南東に450m。3県境は全国40ヵ所以上あるが、ほとんどが山の尾根や河川の中にあり、簡単に訪れることができるのはこ…

恐竜の足跡と化石発掘体験地 神流町

群馬県神流町の波によってできた水底の紋様が石化した「瀬林の漣痕(せばやしのれんこん)」と化石発掘体験地。瀬林の漣痕には恐竜の足跡が残る。 瀬林の漣痕(さざ波岩) 恐竜の足跡 神流町の文化財 - 神流町オフィシャルサイト 化石発掘体験地 化石発掘 | 神流…

「古墳大国群馬へのあゆみ」 群馬県立歴史博物館

群馬県立歴史博物館の企画展「古墳大国群馬へのあゆみ」は9月5日で閉展。行きたかったが行けなかった。 「古墳大国群馬へのあゆみ」群馬県立歴史博物館。古くからの群馬の古墳研究。江戸時代の記録。宮内庁の資料。そして群馬大学の研究。尾崎先生の足跡。貴…

群馬の古墳で大コーフン!古代の王様と巡る夜の博物館リモートツアー

群馬県立歴史博物館では企画展「古墳大国群馬へのあゆみ」を9月5日まで開催中。本日、19時から博物館内を専門のスタップが案内するリモートツアーを開催。参加には事前登録が必要。本日12時まで。 古墳大国の群馬県がお届けするオンラインイベント「群馬の古…

日本全国の古墳の総数と都道府県の比較

日本全国の古墳の総数に関しては諸説あるが、「古墳にコーフン協会」のブログ(最新全国古墳の数、多い順ランキング!(平成28年度調査) | 古墳にコーフン協会)では文化庁の平成28年度の「埋蔵文化財関係統計資料」の「参考資料:平成28年度 周知の埋蔵文…

富士重工業伊勢崎製作所第二工場の煉瓦塀 伊勢崎市平和町

伊勢崎ショッピングモールの駐車場の片隅にモニュメントとして移設された富士重工業伊勢崎製作所第二工場の煉瓦塀。富士重工業伊勢崎製作所第二工場は昭和30年台に日本のモータリゼーションの先駆けとなった軽自動車「スバル360」の誕生の地である。1912年(…

元設楽外科医院の塀 伊勢崎市大手町

8月15日の上毛新聞の電子版は「1945年8月14日深夜から15日未明にかけての群馬県の伊勢崎空襲で、爆撃の痕跡が残る伊勢崎市大手町のれんが塀について、市は本年度、一部を同市曲輪町の市有地に移設し保存する事業を進めている。」と報じた。太平洋戦争末期の1…

旧時報鐘楼 伊勢崎市曲輪町

鉄筋コンクリート煉瓦張りの旧時報鐘楼は、三光町出身で横浜で薬種商を営んでいた小林桂助氏の寄付で大正4年着工、翌年に竣工した。高さ14.56m。楼上部に中台寺の釣鐘を移転して市民に時を告げていた。 旧時報鐘楼/伊勢崎市 にほんブログ村

相川考古館 伊勢崎市三光町

相川考古館を見学した。創始者の相川之賀(しが)の経歴や考古学コレクションを説明していただいた。之賀は1885年(明治18年)に19歳で単身渡米。坪井正五郎の東京人類学会に入会。戦前に考古学館建設を計画。1950年(昭和25年)没後、長女が意思を継ぎ相川郷土館…

小松屋煉瓦倉庫 玉村町下新田

太田市から群馬県立歴史博物館に向かう途中、玉村八幡宮の鳥居から東に500mの県道142号線(日光例幣使街道)沿いで煉瓦造の建物を見つけた。文献[1]によると小松屋煉瓦倉庫の2階建と平家の2棟で建造は1926年。日本煉瓦製造。 文献 [1] 石田真弥, 関崇夫 2019「…

軍配山古墳 玉村町角渕

軍配山古墳は古墳時代前期(4世紀)の円墳。径約40m。縦穴系(粘土槨)。1930年(昭和5年)に地元の人たちにより墳丘が掘り起こされた際に、鏡などの出土品が多く発見された。それらは東京国立博物館に収蔵されている。軍配山(ぐんばい)古墳の名前は、1582年(天正1…

綿貫観音山古墳 (再訪) 高崎市綿貫町

#古墳擬人化クリアファイルにはこのような解説ペーパー(?)を同封しております! pic.twitter.com/d4mcXqJ7J9— ヨスミナミ (@yosumi_kofun) 2021年11月24日 元島名町から玉村町を目指したが、国道354号を東進中に綿貫観音山古墳の案内板が目につき、寄り道した。前…

将軍塚古墳 高崎市元島名町

元島名町の将軍塚古墳は、全長95mの前方後方墳で、4世紀前半の築造。前方部墳頂に彦狭島王(ひこさしまおう)を祀る島名神社が鎮座する。彦狭島王は豊城入彦命(崇神天皇皇子)の孫で、御諸別王(みもろわけのおう)の父。豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は上…