宝萊山古墳を再訪、都内に残る数少ない大型の前方後円墳。
西側(多摩川側)から宝萊山古墳の後円部
西側(多摩川側)から宝萊山古墳の前方部
西側(多摩川側)から宝萊山古墳をパノラマで
東京都指定史跡 宝萊山古墳(ほうらいさんこふん)
宝萊山古墳は、多摩川下流域左岸の台地上、大田区立多摩川台公園西端の標高37.5m付近に築造された前方後円墳である。国史跡亀山古墳に次ぐ全長約97mの規模をもち、古墳時代前期前半(四世紀前半)に築かれたこの地域最古の前方後円墳である。前方部は東南に向き、この地域最大規模を誇る全長約107mの亀甲山古墳の前方部と向き合う位置に造られている。
昭和9年に後円部が土取り工事で削平された際に、粘土槨の埋葬施設が発見され、仿製四獣鏡、紡錘車形碧玉製品、玉類、剣、槍等が出土している。現在、この出土品は、慶應義塾大学と大田区立郷土博物館に展示・保管されている。また、レプリカは、多摩川台公園内の古墳展示室に展示されている。
平成7年の公園整備にともなう確認調査において、前方部にも埋葬施設のあることが推定され、前方部の先端が「状」に広がる形をとり、前方部南側の墳丘裾から台地の際まで張り出していることが明らかにされた。墳丘は、後円部三段、前方部二段に築かれ、墳丘の周囲は削り出しによる一段のテラスが設けられている。この古墳は、多摩川流域の古墳時代を解明する上で重要な遺跡として、平成8年3月18日付けで、東京都指定史跡に指定された。
古墳の規模
全長 97m
後円部径 52m
前方部幅 37m
後円部高 11m
前方部高 8m
埋葬施設 後円部 粘土槨 出土品
仿製四獣鏡1、紡錘車形碧玉製品1、硬玉製勾玉4、碧玉製管玉68、ガラス製丸玉173、ガラス製小玉392、鉄剣身残欠6、ヤリ形鉄器残欠2、直刀残欠8、刀子1
埋葬施設 前方部 未発掘のため不明
後円部
前方部
東側から
東京都指定史跡 宝萊山古墳(ほうらいさんこふん)
所在地 大田区田園調布4-4 指定 大正15年4月 (平成8年3月18日種別変更)
宝萊山古墳は、多摩川下流域左岸の台地上、標高37.5メートル付近に築造された全長約97メートルの前方後円墳で、四世紀に築かれたこの地域最古のものである。前方部は東南に向き、この地域最大規模を誇る全長約107メートルの亀甲山古墳(かめのこやまこふん)の前方部と向き合う位置に造られている。
昭和9年に後円部が土取り工事で削平された際に、粘土槨(ねんどかく)の埋葬施設が発見され、四獣鏡、紡錘車形碧玉製品、玉類、剣などの武器類が出土している。
平成7年の公園整備にともなう確認調査において、前方部にも埋葬施設のあることが推定され、前方部の先端が「撥(ばち)状」に広がる形をとることが明らかにされた。墳丘は、前方部二段、後円部三段に築かれ、墳丘の周囲は削り出しによる一段のテラスが設けられている。この古墳は、多摩川流域の古墳時代を解明する上で重要である。
平成10年3月 建設 東京都教育委員会
南側の第二広場から宝萊山古墳の前方部を眺める
カバの遊具の内臓で英単語のお勉強
文献[1]より
文献
[1] 古庄浩明 他 2014「[研究ノート] 宝莱山古墳の測量実習について」『駒澤史学』82号