桜
山上古墳に先行する首長墓の山名古墳群の山名伊勢塚古墳。 高崎市指定史跡 山名古墳群(やまな こふんぐん) 山名古墳群は、古墳時代後〜終末期(六〜七世紀)に形成された群集墳(有力者の集団墓地)である。烏川との合流点に近い鏑川北岸にあり、背後には岩野谷…
山上碑と山上古墳の続き。 上山碑 山ノ上碑および古墳 所在地 高崎市山名町山上谷2104 昭和29年3月20日 特別史跡指定 碑石の保護と碑面の劣化・風化から文字の消滅を防ぐために国および群馬県の補助を受け覆屋を新築した。 平成四年三月 高崎市教育委員会 日…
上野三碑巡りの続き。 山上碑と上山古墳 吾が恋は まさかも悲し草枕 多胡の入野の おくも悲しも 万葉巻14-3403 「私の恋しく思う心は現在も悲しい、ずっとさきも胸のつまる思いです」 三郡坂東の札所 窟堂址(馬頭観音) 江戸時代の中頃、旅をおほえた民衆は、…
漆山古墳の説明板の周辺マップに記載のあった上野三碑の金井沢碑と山上碑を巡った。 金井沢碑 特別史跡 金井沢碑 所在地 高崎市山名町2334 指定年月日 (史跡)大正10(1921年3月3日、(特別史跡)昭和29(1954)年3月20日 ■銘文(口は欠字) 上野国群馬郡下賛郷高田…
漆山古墳の周辺の古墳を散策。 佐野村28号古墳、番号1638[現状:x、墳形:圓型、(25尺)] 定家神社 高崎市指定重要文化財 定家神社社宝(縁起一巻ほか) 定家(ていか)神社は、鎌倉時代初期に活躍した歌人藤原定家(ふじわらのさだいえ、1162〜1241)を祭神とする。…
佐野古墳群の盟主、漆山古墳を訪れた。 漆山古墳(綜覧古墳番号佐野村27)、番号68[現状:○、墳形:前方後円、全長61.2m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 高崎市指定史跡 漆山古墳(うるしやまこふん) 漆山古墳は、佐野古墳群の中に位置する前方後円墳です。…
安楽寺周辺の古墳巡りの続き。 大鶴巻古墳(綜覧古墳番号倉賀野2)、番号580[現状:○、墳形:前方後円、全長123m、埋葬施設:不明(未調査)、国史跡] 史跡 大鶴巻古墳 この古墳は、烏川左岸の段丘上に築かれた全長123mの前方後円墳で平坦地に土を二段に盛り上げて…
高崎市倉賀野の安楽寺のご本尊、七仏薬師が壁面に彫られた安楽寺古墳の横穴式石槨は、12年に一度、巳年の花まつりにご開帳されるということで、4月8日に仕事を休んで訪れた。次の公開は12年後ということで、この日は多くのお仲間がこの地を訪れたようだ。 安…
発掘60周年記念の馬渡埴輪製作遺跡を訪れた。 国指定史跡 馬渡埴輪製作遺跡(まわたりはにわせいさくいせき) 馬渡埴輪製作遺跡は、5世紀末から6世紀頃(1,400〜1,500年前)に、古墳に立てる埴輪を製作していた遺跡である。 この遺跡は昭和38年に発見され、昭和4…
国立科学博物で開催中の特別展「古代DNA−日本人のきた道−」を鑑賞した。遺跡から発掘された古代の人々の骨に残るごく僅かなDNAを解読し、人類の足跡をたどる古代DNA研究。近年では、技術の発展とともに飛躍的な進化を遂げ、ホモ・サピエンスの歩んできた道の…
道の駅 おかべの桜。 道の駅 おかべ 渋沢栄一めぐり旅|埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉 渋沢栄一ゆかりの地を巡る - 埼玉県 にほんブログ村
桶川市歴史民俗資料館で開催中の令和6年度企画展示『ようこそ はるばる おけがわへ ~縄文時代のモノと移動~』を鑑賞した。桶川市域は、古くから交通の要衝として栄えてきた。本展では、桶川市内の縄文時代の遺跡から出土した、他地域にルーツをもつ「モノ…
北区飛鳥山博物館で開催中の春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」を鑑賞した。北区では、縄文時代中期〜晩期の丸木舟が合計4艘見つかっている。そのうちの1艘の中里遺跡出土の縄文時代中期初頭(約5400〜5300年前)につくられた丸木舟は…
越中島支線の煉瓦造の橋台群を散策の続き。 大島架道橋(ガード) 山崎架道橋(ガード) 庚申架道橋(ガード) 江東区登録史跡 庚申道跡 明治通りから横十間川へ向かうこの道は、庚申道と呼ばれていました。明治44年(1911)の東京逓信管理局作成の地図を見ると「字…
米満横穴墓群の続き。 横穴墓を探索する探検隊。 米満横穴墓群Ⅳ-1支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-1支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-2支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-2支群の3基目? 今回の米満横穴墓群の探索はここまで 米満横穴墓群Ⅳ-1小支…
次にすぐ南の長南町の米満(よねみち)横穴墓群に移動。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査…
3月30日の玉川野毛町公園拡張予定地一部開園イベントで開催された「古墳散策ツアー」に参加した。野毛大塚古墳の約1/150の縮尺の復元模型で、野毛大塚古墳の概要を、野毛大塚の墳頂に登り、4つの埋葬施設と埋葬遺物について説明していただいた。埋葬順は第1,…
三ツ目山公園に移築復元された多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓(久保ヶ谷戸横穴墓)を見学した。多摩ニュータウン地域とその周辺からは12群46基の横穴墓が発見されている。横穴墓は群集して複数基が築かれることが通常だが、No.313遺跡1号横穴墓は1基のみ…
木更津市郷土博物館金のすずで開催中の春の企画展「古墳時代の謎の木の道具たち」を鑑賞した。本展では、菅生(すごう)遺跡と松面(まつめん)古墳周溝から出土した古墳時代の木製品などを紹介する。菅生遺跡は自然堤防上に位置した遺跡で旧小櫃川の流路変更の…
英国大使館の付近を散策した。 英国大使館 サトウ公使植桜の地 サトウ公使植桜の地 アーネスト・サトウ(1843〜1929)はイ ギリス出身の外交官です。幕末に通訳官・書記官として来日し、流暢な日本語を生かして討幕派だけでなく佐幕派とも広い交友関係を作りま…
北区飛鳥山博物館で開催中の小学3年生対応展示「来て、見て、知って!昔のくらし」展を鑑賞した。博物館が収集してきた資料のうち、大正・昭和と北区地域に暮らしてきた人々が使用したさまざまな生活用具を約70点と地図、写真などを展示。 令和5年度 小学3年…
町田市考古資料室の次に小山田桜台こぶし公園の小山田1号遺跡を訪れた。平安時代末期から室町時代にかけての有力武士の館跡。桜と白木蓮(シロモクレン)の共演。 東京都指定史跡 小山田1号遺跡 所在 町田市小山田桜台二丁目 16-32 指定 1985年(昭和60年)3月18…
大神塚(応神塚)古墳の発掘調査現場見学会の前に十三塚を見学した。十三塚は、村境や街道筋に沿って、ほぼ一直線に並ぶものが多く、こちらの十三塚もその一例。 十三塚(②小僧塚) 十三塚(③おこり塚) 十三塚(おこり塚) 十三塚は、北は岩手県、南は鹿児島県まで…
トーハクの「コレクションの探求 はにわ展から50年」を鑑賞した後で桜に誘われて上野公園から谷中を散歩した。そのときに、蒲生君平の墓のある臨江寺を訪れた。 蒲生君平は、寛政の三奇人の一人、天皇陵(古墳)を初めて体系的に調査した江戸時代の儒学者。京…
3月の蟹ヶ谷古墳群の現地見学会の前に、史跡公園の整備中の橘樹官衙遺跡群の橘樹郡家[郡衙]跡 (千年伊勢山台遺跡)を訪れた。 北側の空き地でも 東側の空き地でも 千年伊勢山台古墳 桜と菜の花 川崎市教育委員会:国史跡橘樹官衙遺跡群川崎市教育委員会:…
「貝塚周辺の文化財を歩く会」で訪れた般若寺(はんにゃじ)は、見どころ満載だった。本堂で住職にお話をうかがった。寺伝によれば、天暦元年(947年)平将門の次男将氏の娘、安寿姫(如蔵尼)様により尼寺として創建。鎌倉時代に北条氏の保護を受け七堂がらん、五…
聖山公園に保存されている将軍塚古墳を訪れた。聖山公園は宇都宮市が運営する公営霊園で、宇都宮市西部にある。将軍塚古墳は径約30mの円墳。聖山公園の墓園造成にあたり、1982年から1987年に5ヵ年計画で記録保存のための発掘調査が実施された。第4ヵ年目の19…
壬生町と鹿沼市の2ヶ所の金売り吉次の墓をお参り。 金売り吉次の墓(壬生町上稲葉) 金売り吉次の墓(伝説) 金売り吉次は、鎌倉時代の初め頃、源義経に仕えた金売り(砂金などの売買を商売とした者)と言われています。 義経は平家を壇ノ浦に滅ぼした後、兄頼朝と…
壬生城本丸跡のお隣の精忠神社を参詣。 精忠神社 畳塚 畳塚 (たたみづか) 鳥居元忠は慶長五年(1600)の関ヶ原の戦に先立ち、徳川家康の命により伏見城を守りました。石田三成方の大軍を引き受けよく戦いましたが、約1ヶ月の攻防戦の末、伏見城にて自刃しまし…
次に壬生町立歴史民俗資料館を訪れた。壬生町立歴史民俗資料館は壬生城の本丸跡にある。 吾妻古墳石室部材「玄門石」 吾妻古墳石室部材「天井石」 壬生町立歴史民俗資料館 ミニ企画展を鑑賞した。 にほんブログ村