塚
あらかわ遊園周辺デジタルスタンプラリーを巡った際に、下尾久石尊を再訪した。 下尾久石尊 暦応(1338〜42)の頃、しばしば起こる地震に、村人が不思議に思ってこの地を訪れたところ、地より二尺(約60センチメートル)ばかりの異形な石が生えていたという。一…
早稲田大学の會津八一記念博物館の企画展「下総龍角寺」を鑑賞した後で、早稲田大学9号館西側の富塚跡を訪ねた。富塚(とみづか)は新宿区戸塚の地名の由来になった塚。新宿区教育委員会の説明板によれば、かつてこのあたりにあった水稲荷神社の境内に「富塚と…
歴博の加耶展に行く前に佐倉市の土浮(つちうき)古墳群を探索。ふさの国文化財ナビゲーションによると土浮古墳群は、1号墳から10号墳まで番号が付与されているが、古墳とされているのは4号墳(円墳、箱式石棺)と10号墳(円墳、11xh1m)、7号墳と8号墳の古墳時代…
6月30日、7月1日のニ日間、大祭「お冨士さん」が開催された十条冨士塚のその後が気になって訪れた。なんとも、かつての面影が微塵もない姿になっていた。来年の大祭は再整備(現状変更)した冨士塚で行うそうで、元の冨士塚の面影をどこまで取り戻せるのか。ウ…
野田市郷土博物館で令和4年度企画展を鑑賞した後で、野田市堤根の神北公園に保存されている堤根古墳を訪れた。堤根古墳は平成10年度に確認調査が実施されたが、遺構、遺物は検出されず、古墳であることが確認できなかった。一辺25m、高さ2.4m、方形、3段築造…
さいたま市立博物館で「さいたま市最新出土品展2022」を鑑賞した後に、さいたま市岩槻区のNo.166古墳を訪れた。人間総合科学大学 蓮田キャンパスの正面に位置する。文献[1]では、径20mの円墳、塚の可能性あり。 人間総合科学大学 蓮田キャンパス 庚申塔 文献…
取手市に残る将門伝説の地を散策。 桔梗塚は、平将門の愛妾であった桔梗御前が、将門の討死後ここまで逃れてきて、追っ手の手にかかり亡くなったと伝わる。非業の死を遂げた桔梗御前の恨みで、桔梗を植えても花が咲かないとか、桔梗を植えてはいけないと伝わ…
3年ぶりに十条冨士神社の大祭「お冨士さん」が開催された。冨士塚は再整備中なので、今年は仮宮での開催となった。猛暑の中、短時間だが、お参りした。 #十条冨士神社 の大祭、通称「#お冨士さん」が明日、明後日の2日間で開催されます昨年度は中止となってし…
田の中にぽつんと残るトウカンモリ古墳。文献[1]には未記載のため古墳ではないのかも。吉見町遺跡地図ではNo.115久保田古墳群として備考に「115-01トウカンモリ古墳」と記載があるが、種別は「古墳群」「古墳」「経塚」、時代区分は「古墳」「戦国」に印があ…
今年2月に十条冨士塚を再訪した。十条冨士塚は、昨年9月に埋蔵文化財調査が終了して、3月18日までの予定で冨士塚再整備(現状変更)工事が行われている。 5枚目の写真中央の切株は、塚の頂に生えていたスダジイか? 十条冨士塚|東京都北区 十条地区-十条冨士…
加曽利貝塚の発掘調査の現地説明会の後で、近くの古墳をお仲間と探索した。 千葉都市モノレールみつわ台駅前に所在する大塚と呼ばれる古墳。調査されていないので詳細不詳。塚の可能性も残る。ふさの国文化財ナビゲーションでは中近世の塚として登録されてい…
龍角寺107号墳も再訪した。 朝早かったので房総のむらの駐車場は閉鎖されていた。 にほんブログ村
あらかわ遊園の西隣の船方神社を再訪。 十二天塚 明治三十七八年役(日露戦争)凱旋記念の碑。「丗」は30の漢数字。 水神社 煉瓦造の神輿蔵 鍰煉瓦を発見 荒川区西尾久の小台橋付近でも鍰煉瓦を発見。 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。 にほ…
さいたま市の真福寺貝塚の発掘調査現地説明会の前に、Google Mapsに地点登録されている里塚古墳に立ち寄った。さいたま市地図情報では遺跡番号「12-365」遺跡名「里塚古墳(C-18)」種別「古墳」として登録されている。さいたま市の古墳を網羅的に紹介する文献…
岩屋古墳(龍角寺105号墳)の西石室の特別公開の前にみそ岩屋古墳(龍角寺106号墳)と龍角寺107号墳を再訪。 みそ岩屋古墳(龍角寺106号墳)。方墳。南東辺35m。高さ4.7m。三段築成。横穴式石室。7世紀後半の築造。石室の入り口はブルーシート(グリーンシート?)で…
あきる野市役所のトイメンの大塚公園の南にある大塚古墳。1982年(昭和57年)の測量調査で一辺約33mの方墳の可能性があるとされた。1993年(平成5年)の発掘調査では塚の可能性を示唆する結果だった。地下レーダー探査では墳頂下に埋納物の存在を示唆する結果で…
常名(ひたな)天神山古墳は桜川左岸の台地の端に築造された前方後円墳。現在は全長約70m、復元長は約90m。低平な前方部から古墳時代前期(5世紀初め頃)の築造と推定。後円部には常名神社を祀る。土浦市指定史跡。 前方部に石造宝篋印塔(安土桃山時代、市指定文…
昨年末に、近くに来たので将門首塚をお参りした。一昨年11月には周囲のビル工事のため囲われていたが、取り払われていた。何組もお参りしていた。 何かと言い伝えの多い大手町の「将門の首塚(将門塚)」は4月下旬まで工事中。現在、代わりに参詣するための…
簗瀬二子塚古墳の前方部の南西に接する旧原市町12号墳(梁瀬首塚古墳)。円墳(径約24m)。横穴式石室。首塚として祀られている。昭和6年に墳丘に埋められた頭蓋骨が見つかり、昭和27年の調査で150体分の頭蓋骨を確認。戦国時代に埋葬された頭蓋骨を江戸時代中期…
柳田國男の「ダイダラ坊の足跡」で関東を中心に広く伝わる巨人伝説・ダイダラボッチが紹介されている。東京都内には、多くのダイダラボッチ伝承地がある。北区と足立区との境界を流れる隅田川が、大きく蛇行する「天狗の鼻」と呼ばれた地形の突端の「豊島の…
狭山市立博物館の「縄文時代のさやまとつなん展」を見学後に狭山市柏原の富士塚を訪れた。狭山市の富士塚公園の隣にフェンスで囲われている。富士塚公園はまるで売れ残った分譲地のように何もない。ネットでは「富士塚古墳」とされるが、狭山市遺跡地図では…
荒川区の煉瓦巡りの際に、古墳との関連が指摘される場所を訪ねた。旭電化通りの南約140mの区画整理されていない歴史的な路地裏に石神を祀る下尾久石尊(しもおぐせきそん)はある。祀られている石は掘っても掘っても掘り返すことが出来ないといわれる。また、…
根津神社の煉瓦塀については昨日のブログ記事で書いたので、それ以外について。 表参道口 近くに根津遊郭の説明板があった 根津遊郭の跡地 根津八重垣町(昔は門前町と言った)から 根津神社まで遊郭があった そして昔根津 は不寝と書かれていたようだ 小石…
荒川区の煉瓦巡りで、南千住の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)をお詣りしたら富士塚の山開きだった。 瑞光石(ずいこういし) 富士塚 後日、素盞雄神社を再訪 荒川ふるさと文化館。松尾芭蕉の3Dアート。 素盞雄神社(すさのお神社)素盞雄大神と飛鳥大神が御祭神…
「馬さん煉化工場跡」の碑が、あらかわ遊園から隅田川を挟んだ対岸にある。碑には「煉化発祥地」とある。 明治時代のはじめに下川馬次郎が宮城村に煉瓦工場(下川煉瓦)を創設。1877年(明治10年)の第一回内国勧業博覧会に煉瓦を出品して褒状(足立区郷土博物館…
あらかわ遊園(荒川遊園)の創設に尽力した広岡幾次郎(広岡勘兵衛)が奉納した煉瓦造の神輿蔵があらかわ遊園の西隣の船方神社に残る。広岡幾次郎は広岡煉瓦工場の経営者だった。 船方神社 1938(昭和13年)に氏子が立てた天下太平の碑。3年後、真珠湾攻撃により太…
谷中のヒマラヤ杉から20mのお寺に囲まれた三角地にある谷中富士。アンティークショップ千寿庵の敷地内にあった古い小さな富士塚を誰でもお参りできるように整備した。6月23日山開き。 にほんブログ村
山王塚古墳を見学したあとで南大塚古墳群の現存する古墳を巡った。 関越自動車道の川越インター近くの廃業したラブホの庭にある西中原1号墳。円墳。 ここから北東方向に関越道をまたぐように古墳11基が群集していた。その中の南大塚4号墳は、全長36mの前方後…
王禅寺牛塚。谷本川に合流する早野川の狭い沖積地に築営された円墳。径2.2m、高さ1m。 王禅寺狐塚。牛塚の南西150m。お稲荷さんを祀る。 文献 佐藤善一・伊東秀吉 1989「川崎市内の高塚古墳について-現状確認調査を踏まえて-」『川崎市文化財調査集録』24 …
東武大師線の大師前駅から西に徒歩6分の環七のすぐ北にある西新井浅間神社。文献[1]では「円墳?」「1万分の1地形図(昭和12年)に墳丘が認められる。墳丘の削平がいちじるしい。頂部に祠を置く。古墳とするよりも塚である可能性が高い。」とする。 西新井大師…