市町村指定 文化財・記念物
埒免(らちめん)古墳を再訪。 正面に2005年に閉鎖恵泉短大伊勢原キャンパスの校舎が見える 齋藤家住宅 齋藤家住宅 | 伊勢原市 松山古墳 この先元宮 埒免古墳 埒免(ちちめん)古墳 埒免古墳は昭和三十九年に建物の建設中に発見されました。その際、石室内から飾…
十条冨士塚のその後が気になって再訪した。再整備工事は3月16日までとのこと。 3月21日に東京都立埋蔵文化財調査センターで開催される「遺跡発掘調査発表会2022」で北区十条台遺跡群の十条冨士塚の発掘調査について発表がある。 3/21(火・祝)の遺跡発掘調査…
南池袋遺跡の遺跡公開から埼玉県立さきたま史跡の博物館のほるたま展2022をハシゴ。JR池袋駅から電車とバスでさきたま古墳公園に向かった。途中、稲荷山古墳を造形化した古墳モニュメントと見つけ、道案内に従って大日塚古墳を再訪した。 にほんブログ村
首長原古墳の次に那珂川町指定文化財(記念物/史跡)の岩谷内横穴古墳を訪れた。全長4.8m、主室中央高さ2.3m。周辺に複数の横穴が存在していたらしい。 付近には養蜂の巣箱 町指定文化財(記念物) | 史跡 | 那珂川町岩谷内横穴古墳 | 町指定文化財11〜15 | …
那珂川町の文化財(記念物)に指定されている駒形大塚陪塚2号墳と3号墳を探索した。 駒形大塚陪塚2号墳 駒形大塚陪塚3号墳 町指定文化財(記念物) | 史跡 | 那珂川町那珂川町駒形大塚古墳(那須小川古墳群 その1) | 趣味の案件古墳なう 那珂川町 「駒形大塚3…
15日に茨城新聞が「約40年前の調査で国重要文化財の副葬品などが発見された茨城県土浦市上坂田の武者塚古墳の形状が、これまで推定されていた円墳ではなく方墳だったことが14日、同市教委と筑波大の共同調査で明らかになった。」「市教委と同大は18日午後1時…
天神塚古墳から国道140号線(彩甲斐街道)を戻って長瀞町の民俗文化財に指定されている「オショウジンと大ワラジ」を見学。 オショウジンと大ワラジ 長瀞町指定民俗文化財 七月末の日曜日上長瀞区では公会堂に集まり、長い竹の先に御幣をつけたボンデン(梵天)…
晩秋の夕刻に田端環状石積遺構(田端遺跡)を再訪。田端遺跡の東の多摩ニュータウン通り(都道158線)が田端東遺跡、北の小山白山公園が多摩ニュータウンNo.245遺跡、その北西に多摩ニュータウンNo.248遺跡。田端環状石積遺構は、京王相模線の多摩境駅から徒歩7…
岩名天神前遺跡に立ち寄ってから山崎ひょうたん塚古墳を目指した。小道脇の草むらに佐倉市教育委員会の説明板を見つけたが、肝心の古墳が見当たらない。後でわかったが、この説明板の右側の耕作地の奥に古墳はあったようだ。作業中の方がおられたので写真は…
佐倉市市民体育館から佐倉市の史跡に指定されている山崎ひょうたん塚古墳に向かった。途中、岩名天神前遺跡に立ち寄った。現在は、宮前中央公園になっている。佐倉市教育委員会が建てた標柱によれば、1963年(昭和38年)、耕作中に偶然土器が発見、土器は関東…
群馬県立歴史博物館の次に多胡記念館に移動して、開催中の企画展「多胡郡正倉」を鑑賞した。群馬県高崎市に所在する上野三碑のユネスコ「世界の記憶」登録5周年を記念して、多胡碑周辺遺跡と上野国多胡郡正倉跡を掘り下げて紹介する。711年(和銅4年)の多胡郡…
次に中根八幡前遺跡を訪れた。中根八幡前遺跡は、1951年に野田市で初めて発見された竪穴住居跡(5m X3.85mの長方形)で、その後の研究で古墳時代初頭(4世紀頃)の遺跡とされている。かつて復元住居があったが老朽化により1998年に解体された。床に柱穴がなく、…
幸手市の有形民俗文化財に指定されている「マリア地蔵」を見学。撮影前に合掌。この作法でよいのかは疑問。 マリア地蔵 幸手市権現堂 文政三年(一八二〇)に作られた子胎延命地蔵(こそだてえんめいじぞう)で、キリストを抱いたマリアに見立てられています。 …
笠間市の一本松古墳群の散策の続き。 山王塚古墳は帆立貝形古墳だったが、1889年(明治22年)に水戸線敷設のため、前方部が削られ、径50mの後円部だけが残った。墳丘は3段築成。後円部墳頂には日枝神社が祀られているが、神社の参道も鉄道で分断されていて、参…
笠間市の一本松古墳群の散策の続き。 諏訪古墳は一本松古墳から北西250mほどにある全長33.6mの前方後円墳。後円部墳頂に諏訪神社が祀られている。墳丘部にはスギやサワラが林立。昭和の終わりころに墳丘外の発掘調査が行われ、幅4.8mの周溝が確認された。 市…
笠間市の一本松古墳群の3基を散策。 一本松古墳は、径28mの円墳。墳頂はかなり平らに削平されている。周溝は不明で、埴輪や葺石もみあたらない。 墳頂の三角点 市指定文化財 [一本松古墳(いっぽんまつこふん)] | 笠間市公式ホームページ にほんブログ村
明治2年、新政府の初代水戸藩知事となった徳川昭武公は、明治維新の礎として殉難した志士の遺骸を収容して、常磐共有墓地の一角に埋葬し、同所に「殉難」碑を建立、慰霊顕彰した。大正3年、殉難志士の氏名を刻して建てたのが「水戸殉難志士の墓」である。 市…
愛宕山古墳群の南東に隣接する常磐共有墓地を訪れた。常磐共有墓地は、1666年(寛文6年)に、水戸藩第2代藩主徳川光圀が命じて開設させた藩士共有の儒教式の墓地。 常磐共有墓地 | 水戸市ホームページ 郷土いいとこ再発見 安積澹泊(格さんのモデル)の墓 関鉄之…
旧第一銀行 横浜支店は、関東大震災復興期の1924年(昭和4年)に、多くの銀行建築を設計したことで知られる西村好時の設計で、古典主義様式として建てられた。4本の重厚なトスカナ式円柱と半円形のバルコニーが特徴。1980年からは横浜銀行本店別館として使用さ…
おふじ権現古墳の次に、「埼玉古墳軍」さんの「古墳軍ニュース特別編 茨城県石づくし」に紹介されている「田村神社内石造物(桜川市・旧真壁町)」を確認したくて田村神社を訪ねた。 真壁小学校との間にあるとのことだが見つからなかった。真壁小学校は、2018…
平沢古墳群は、平沢官衙遺跡北方500mの小丘陵斜面に所在し、方墳2基と5〜6基の小型の円墳で構成されていたと考えられる。このうち4基は横穴式石室が確認されている。1号墳の佐都ケ岩屋古墳は市指定史跡で、東西35m、南北25mの方墳。筑波国際カントリークラブ…
こちらは、平国香供養塔と伝わる安楽寺の飛地に立つ石造宝篋印塔。安楽寺は国香の息子貞盛が父の供養のため建立したと伝わる。この地域は、平安時代後期から南北朝時代にかけて「相馬御厨」と呼ばれる荘園に属し、そこを実質的に支配していたのが平将門の子…
取手市に残る将門伝説の地を散策。 平将門の墓との伝説がある仏島山古墳。1895年(明治28年)に古墳は開墾され、土は学校建設予定に運ばれた。この時、多数の埴輪と石棺が出土し、石棺からは人骨・刀剣・勾玉・鏃などが発見され、帝室博物館(現在の東京国立博…
関東三大弁天の一つ、布施弁天 東海寺の妙見大菩薩が祀られた弁天古墳。東海寺の南側の利根川(古鬼怒川)の氾濫により下総台地から切断された独立丘陵を利用して築造されている。全長35mの北面する前方後円墳。弁天古墳出土遺物(石枕、立花、石製模造品斧、石…
江戸袋貝塚は、旧入間川により形成された自然堤防上に位置し、沖積地に立地する貝塚として考古学上、地理学上貴重な遺跡。縄文時代後期の貝塚、集落跡。文献[2]の市内遺跡地図の番号133、時代は縄文時代後期、古墳時代前期、種別は集落跡、出土遺物・遺構は…
吉見丘陵の東側、荒川が形成した沖積地内の自然堤防上の御所古墳群。横見神社の本殿の土台部分が横見神社古墳か。文献[1]では、規模不明の円墳。文献[2]では「現在も石室の一部が露出」とあり、拝殿と本殿の間の部分か? 横見神社本殿/吉見町 文献 [1] 埼玉…
今年も5月24日に行われた安行原の蛇造り。梅雨の合間に見学した。 コレミテ(8)安行原の蛇造り(あんぎょうはらのじゃづくり)今年も昨日、5月24日に行われました「安行原の蛇造り」。口の中にはお札、台座の掲示板には安行小学校の子どもたちが書いた…
川島中学校敷地内に移設保存された箱式石棺。6枚の緑泥片岩を組み合わせて箱形にしたもの。文化年間(1804〜1818年)に東大塚の古墳上の神明社修理の際に出土。1965年5月に移設された。 石棺(せっかん)/ 川島町 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳…
埼玉県文化財収蔵施設で北大竹遺跡の展示を見学後に、熊谷市の文化財(有形文化財・建造物)に指定されている根岸家長屋門と長屋門の一部を整備して根岸家の歴史についての紹介展示する友山・武香ミュージアムを見学した。根岸家長屋門は、冑山村の名主であ…
3月26日に寒川町で開催された大神塚(応神塚)古墳の発掘調査の現地説明会に参加した。事前予約制で各回10名で5回を予定していたが午後から雨予報で、午前のみの開催となった。大神塚(応神塚)古墳は、寒川町で唯一の墳丘を保った古墳で、寒川町では大神塚(応神…