週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

王塚古墳 中央市大鳥居

二子塚古墳見学会で二子塚古墳の前に、王塚古墳を見学した。合掌式石室や埴輪等について解説していただいた。

f:id:kofunmeguri:20230515034541j:image
f:id:kofunmeguri:20230515034544j:image
f:id:kofunmeguri:20230515034602j:image
f:id:kofunmeguri:20230515034551j:image
f:id:kofunmeguri:20230515034558j:image
f:id:kofunmeguri:20230515034538j:image

史跡 王塚古墳

本県では数少ない前方後円墳の一つである。石室は合掌型で、武具、武器類埴輪等を出土し、その特異の石室は日本考古学界から注目されている。

富村教育委員会

f:id:kofunmeguri:20230515034609j:image
f:id:kofunmeguri:20230515034605j:image
f:id:kofunmeguri:20230515034555j:image
f:id:kofunmeguri:20230515034548j:image
f:id:kofunmeguri:20230515034644j:image

市指定文化財 史跡 王塚古墳

所在地 中央市大鳥居4256

所有・管理者 大鳥居自治

指定年月日 昭和45年3月1日

王塚古墳は海抜342mの宇山平(うやまだいら)丘陵の頂点にある前方後円墳である。形式は前方後円墳であるが、特に前方部が短いために帆立貝式古墳と呼ばれるものである。時期は古墳時代中期の五世紀後半である。

現状の全長は61.2mで、後円部径約40m、高さ7mを測る。主軸を東西にとり、前方部は西を向く。造営当初は、墳丘上に円筒埴輪がめぐっていたと思われ、現在でも周辺から破片が出土する。

埋葬施設は天井部が柱状の石で屋根のように組まれる山梨県で唯一の合掌式石室の形態を有し、石室内部は赤く塗られていたという。石室の規模は長さ5.4m、幅1.9m、推定高1mで、副葬品としてのよろい、かぶと、刀、やじりなどの鉄製品が多数出土している。

平成二十二年三月 中央市教育委員会

二子塚古墳から王塚古墳を眺める

f:id:kofunmeguri:20230515195603j:image

山梨県/遺跡トピックスNo.452王塚古墳

王塚古墳(大鳥居自治会) [市指定]/山梨県中央市公式ホームページ

ColBase J-20520 頸甲   豊富王塚古墳出土 収蔵/東京国立博物館

ColBase J-20524 鉄鏃残欠 豊富王塚古墳出土 収蔵/東京国立博物館

ColBase J-20529 鉄鑿   豊富王塚古墳出土 収蔵/東京国立博物館

ColBase J-21446 衝角付胄 伝豊富王塚古墳出土 収蔵/東京国立博物館

ColBase J-21445 眉庇付胄 伝豊富王塚古墳出土 収蔵/東京国立博物館

文献

[1]  豊富村教育委員会 1997 『豊富村埋蔵文化財調査報告3:平成7・8年度村内遺跡発掘調査報告書』豊富村教育委員会

[2] 山梨県立考古博物館 2022「甲斐勇者 -その原像を探る-」

王塚古墳の土地を所有、管理する大鳥居自治会が、王塚古墳の中央市へ移管を求める要望書を、王塚古墳の近くで見学会の参加者に配っていた。高齢の方が配っていたのだが、一枚一枚、指を舐めるのには閉口した。舐めた指で触っていた部分はすぐにアルコール除菌シートで除菌した。

 

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村