奈良時代遺跡
丸塚山古墳の前に上野国佐位郡正倉跡を訪れた。 史跡上野国佐位郡正倉跡(こうずけのくにさいぐんしょうそうあと) 八角形倉庫(はっかくけいそう) 八角形倉庫は約1200年前に造られた建物で、2005年にこの小学校の校庭から見つかったよ。高床式倉庫で壁は校倉造…
厚木市及川伊勢宮遺跡の見学会でご一緒したお仲間と古墳巡り。最初に訪れたのは、鳶尾中央公園の天台塚古墳。天台塚古墳は、文献[2]では「天台塚古墳(鳶尾古墳) (728) てんだいづかこふん(とびおこふん) [群] <O-13> (荻野 三田地区3号墳) [所] 厚木市鳶尾2 [立] </o-13>…
鴻巣市の宮前遺跡の第3次発掘調査の見学会に参加した。宮前遺跡は、荒川左岸に細く伸びる大宮台地の北縁部に立地する縄文時代から近世にかけての集落遺跡で、一般国道17号(上尾道路II期区間)建設事業に伴って、2021年7月からの第1次調査、2022年度の第2次調…
深谷市の欠下台古墳の南東約700m、市境を跨いだ熊谷市の湯殿神社を参拝して、西別府祭祀遺跡を見学した。 湯殿神社 幡羅官衙遺跡群(はらかんがいせきぐん) 所在地 熊谷市西別府字西方、天神、瀧下 幡羅官衙遺跡群は、古代幡羅郡家(ぐうけ)に係わる遺跡群で、…
1982年から1987年に5ヵ年計画で記録保存のための発掘調査が実施された聖山公園遺跡は、最終年度の調査で、予想しなかった縄文時代前期集落跡と思われる遺構を確認して、1ヵ年調査を延長することになった。2ヵ年の調査の結果、検出された遺構は、縄文時代前期…
並木1号墳を訪れた際に、佐倉市役所の海隣寺於茶屋遺跡にも立ち寄った。縄文時代から奈良・平安時代までの複合遺跡。 文献 [1] 佐倉市教育委員会文化課 2012 『平成22年度 佐倉市埋蔵文化財発掘調査報告書』佐倉市教育委員会 [2] 印旛郡市文化財センター他 2…
北区田端の芥川龍之介旧居跡を訪れた。芥川龍之介は東京帝国大学学生であった1914年(大正3年)から亡くなる1927年(昭和2年)まで、この地に住んでいた。この時期に、小説「羅生門」などを執筆した。田端は、明治中頃までは閑静な農村だったが、上野に東京美術…
つくば市北条の露盤石。北条中台遺跡と重複して中台の台地東側に所在したと想定されている北条中台廃寺の石造露盤と考えられている。露盤とは塔の屋根頂部に置いて雨仕舞の役割を果たす建築部材のこと。北条中台廃寺は、寺院的遺構が未発見だが、平沢官衙遺…
武蔵国最大の勝呂廃寺は、入間郡の北端に位置し、すぐ東には東山道が北上し、北には比企郡との郡境がある。文献[1]では「群馬県山王廃寺、千葉県龍角寺のように、大型古墳に後続するように造営された地域と異なり、小古墳群しかない地域に東日本最古の寺院が…
大宮住吉神社は、社伝によると天徳三年(955年)に長門国豊浦郡(現在の山口県下関市)の住吉神社の御分霊を山田長慶という人が勧請したことに始まるといわれ、祭神として、住吉三神(海・航海の神)、神功皇后、応神天皇を祀る。河川交通と軍事の要ということであ…
平沢官衙遺跡は、奈良・平安時代の常陸国筑波郡の郡役所跡と想定される遺跡。校倉、土倉、板倉の3棟の高床倉庫を復元して古代空間を再現。案内所を併設。遺物の出土量は発掘調査面積の割に多くなく、米等を保管した倉庫だったこと等によると考えられる。1975…
大谷瓦窯跡は瓦を専門に焼いた奈良時代後期(7世紀後半)の頃の窯跡。雑木林に包まれた丘の傾斜を利用した全長約7mの半地下式の登り窯。平瓦、竹瓦、蓮花文様のある瓦当(がとう)などが出土。 大谷瓦窯跡/東松山市ホームページ 大谷瓦窯跡 文化遺産オンライン…
2月11日に東松山市高坂の高坂館跡・高坂二番町遺跡の遺跡見学会に参加した。 昨年5月から始まった第9次調査では、縦穴住居跡46軒、古墳跡7基、溝跡64条、掘立柱建物跡3棟、土坑161基、柱穴734基が検出された。調査区は南北約150m、東西約40m、北側が高坂館跡…
2015年に川崎市初の国史跡に指定された橘樹官衙遺跡群の全容解明に向けて川崎市教育委員会が実施した影向寺遺跡の発掘調査の現地見学会に参加した。橘樹郡衙遺跡群は橘樹官衙跡及び影向寺遺跡から構成されている。今回、影向寺境内南西側を調査した。横一列…
国府台(こうのだい)遺跡第192地点の現地説明会に参加した。京成線国府台駅から北に徒歩10分。今回の発掘では、両側に側溝をもち、路面幅が9mほどの古代の道路跡が、南北長さ45mにわたって発見された。東の側溝は深さ0.7m、西の側溝は一番深いところで1.8mあ…