週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

南塚原9, 10号墳 神川町新里

青柳古墳群の南原塚支群の続き。南塚原9号墳(No.122)は青柳古墳群南塚原支群で唯一の前方後円墳。全長24.5m。横穴式石室。葺石。南塚原9号墳の後円部の東側の道路予定地にあった南塚原10墳(No.123)は、6世期末頃に築造された径19mほどの円墳。両袖式で6.6mの…

南塚原14, 15, 16, 35号墳 神川町新里

大塚稲荷古墳の前に立てられた説明板で「現存された古墳」と記された南塚原14号墳、15号墳、16号墳。大塚稲荷古墳の南東に一列に並ぶ。 南塚原14号墳(No.111)は径10mほどの円墳。 南塚原15号墳(No.112)は径10mほどの円墳。藪の中で現状不明。 南塚原16号墳(N…

大塚稲荷古墳 神川町新里

青柳(あおやぎ)古墳群は、群馬県との県境を流れる神流川右岸の河岸段丘上の旧青柳村を中心に展開する大規模な群集墳で、11支群から成り、群内には総数293基の古墳が確認され、土地改良事業などの開発で発掘調査された古墳は100基以上、墳丘が残存する古墳は…

埴輪が川口にやってきた! 川口市立文化財センター分館郷土資料館

特別展示「埴輪が川口にやってきた!」を開催中の川口市鳩ヶ谷本町の郷土資料館を訪れた。埼玉県埋蔵文化財調査事業団から借り受けた埴輪9点と青木中央小学校6年生のみなさんが描いた埴輪のスケッチ149点を展示。埴輪が川口市にやってくるのは、なんと初との…

中新里諏訪山古墳 神川町中新里

中新里(なかにいさと)諏訪古墳。前方後円墳。全長約41m、高さ3.5m。6世紀中頃の築造。前方部を南に向ける(N-177°-W)。盾型の周溝。後円部の周溝幅は最大4.5mで、前方部の周溝は明瞭でない。1935年ごろに大々的に盗掘された。馬具、直刀、勾玉などが出土した…

田園風景 横浜市都筑区荏田南町・荏田東町

国道246号(厚木街道)から横浜市立歴史博物館に向かう途中で、稲架掛け(はさかけ)と藁ボッチ(わらぼっち)を見かけた。この風景を未来に継なぐことはできるのだろうか。場所は横浜市都筑区荏田南町と荏田東町にかけて。荏田(えだ)は横浜市青葉区と都筑区にまた…

神明貝塚 春日部市西親野井

神明貝塚は、奥東京湾(おくとうきょうわん)最北部の汽水域に形成された縄文時代後期前半の馬蹄形貝塚(ばていけいかいづか)を伴う集落遺跡の中でも最大級の規模を持つ遺跡。集落域と貝層がほぼ全体が良好な状態で保存されている。今年3月の官報で文部科学大臣…

東金野井貝塚 野田市東金野井

東金野井貝塚は江戸川と五駄沼に挟まれた南北に伸びる台地の西端にある馬蹄形貝塚。130m×110mほどの弧状になる二つの大きな貝塚と、二か所の斜面貝塚で構成。貝塚の主体は、縄文時代中期から晩期。 東金野井貝塚|野田市ホームページ 東金野井貝塚出土遺物 -…

親野井古墳 野田市親野井

江戸川左岸の流山街道(日光東往還)沿いに所在する親野井古墳。円墳。径15.5m。詳細不明。墳丘の真ん中を横切る土地の区画の境で管理状況が異なる。 江戸川の土手。対岸(右岸)は国の史跡に指定された神明貝塚(春日部市西親野井)。 文献 [1] 千葉県教育委員会 …

八幡神社裏古墳 野田市新田戸

誉田別尊を祀り元応2年(1320年)の創建と伝わる八幡神社の裏に所在する八幡神社裏古墳。円墳。径17m。詳細不明。 文献 [1] 千葉県教育委員会 1990年「千葉県所在古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

八龍神塚古墳 境町金岡

利根川(旧一ノ谷沼)を望む舌状台地上に立地する八龍神塚古墳(はちりょうじんづかこふん)。円墳。もとは径25m、高さ4m。主体部は砂岩切石を積み上げた横穴式石室。玄室は両袖式胴張り、奥行き2.65m、幅2.3m、高さ2.4m。1909年(明治42年)、開墾の際に発掘され…

「モノで読む古事記」 國學院大学博物館

雨の土曜日に横浜市歴史博物館と國學院大学博物館をハシゴした。國學院大学博物館では、企画展「モノで読む古事記」を開催中。時節柄、木金土曜日の12時から16時までの短縮開館。会期中はオンラインでも公開。ミュージアムトークもオンライン。会期は10月31…

明治・大正 ハマの街 横浜市歴史博物館

雨の土曜日に横浜市歴史博物館と國學院大学博物館をハシゴした。横浜市歴史博物館では企画展「明治・大正 ハマの街」を見学した。横浜市の新市庁舎建設地の洲干島(しゅうかんじま)遺跡から出土したガラス瓶や洋食器、レンガや西洋瓦、土管や便器などの品や当…

『武蔵国の旗本』を振り返る 埼玉県立歴史と民俗の博物館

埼玉県立歴史と民俗の博物館で、幻となってしまった話題の特別展「武蔵国の旗本」を追悼する特集展示「特別展『武蔵国の旗本』を振り返る」を会期終了間際に見学。豪華図録も購入。 修理を終えて華麗に甦った埼玉県指定文化財「太平記絵巻」巻第六、十をお披…

富士重工業伊勢崎製作所第二工場の煉瓦塀 伊勢崎市平和町

伊勢崎ショッピングモールの駐車場の片隅にモニュメントとして移設された富士重工業伊勢崎製作所第二工場の煉瓦塀。富士重工業伊勢崎製作所第二工場は昭和30年台に日本のモータリゼーションの先駆けとなった軽自動車「スバル360」の誕生の地である。1912年(…

元設楽外科医院の塀 伊勢崎市大手町

8月15日の上毛新聞の電子版は「1945年8月14日深夜から15日未明にかけての群馬県の伊勢崎空襲で、爆撃の痕跡が残る伊勢崎市大手町のれんが塀について、市は本年度、一部を同市曲輪町の市有地に移設し保存する事業を進めている。」と報じた。太平洋戦争末期の1…

旧時報鐘楼 伊勢崎市曲輪町

鉄筋コンクリート煉瓦張りの旧時報鐘楼は、三光町出身で横浜で薬種商を営んでいた小林桂助氏の寄付で大正4年着工、翌年に竣工した。高さ14.56m。楼上部に中台寺の釣鐘を移転して市民に時を告げていた。 旧時報鐘楼/伊勢崎市 にほんブログ村

相川考古館 伊勢崎市三光町

相川考古館を見学した。創始者の相川之賀(しが)の経歴や考古学コレクションを説明していただいた。之賀は1885年(明治18年)に19歳で単身渡米。坪井正五郎の東京人類学会に入会。戦前に考古学館建設を計画。1950年(昭和25年)没後、長女が意思を継ぎ相川郷土館…

小松屋煉瓦倉庫 玉村町下新田

太田市から群馬県立歴史博物館に向かう途中、玉村八幡宮の鳥居から東に500mの県道142号線(日光例幣使街道)沿いで煉瓦造の建物を見つけた。文献[1]によると小松屋煉瓦倉庫の2階建と平家の2棟で建造は1926年。日本煉瓦製造。 文献 [1] 石田真弥, 関崇夫 2019「…

軍配山古墳 玉村町角渕

軍配山古墳は古墳時代前期(4世紀)の円墳。径約40m。縦穴系(粘土槨)。1930年(昭和5年)に地元の人たちにより墳丘が掘り起こされた際に、鏡などの出土品が多く発見された。それらは東京国立博物館に収蔵されている。軍配山(ぐんばい)古墳の名前は、1582年(天正1…

綿貫観音山古墳 (再訪) 高崎市綿貫町

#古墳擬人化クリアファイルにはこのような解説ペーパー(?)を同封しております! pic.twitter.com/d4mcXqJ7J9— ヨスミナミ (@yosumi_kofun) 2021年11月24日 元島名町から玉村町を目指したが、国道354号を東進中に綿貫観音山古墳の案内板が目につき、寄り道した。前…

将軍塚古墳 高崎市元島名町

元島名町の将軍塚古墳は、全長95mの前方後方墳で、4世紀前半の築造。前方部墳頂に彦狭島王(ひこさしまおう)を祀る島名神社が鎮座する。彦狭島王は豊城入彦命(崇神天皇皇子)の孫で、御諸別王(みもろわけのおう)の父。豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は上…

不動山古墳 (再訪) 高崎市綿貫町

群馬県立歴史博物館の手前で不動山古墳の前の道を通ったので、博物館の見学前に不動山古墳を再訪。墳丘上の木がスッキリ伐採されていた。前方後円墳。全長94m。5世紀中ごろから後半の築造。 縄掛け突起付き舟型石棺。凝灰岩製。全長3.45m。内法は長さ2.4m。 …

綿貫町市ヶ原1117所在古墳 (再訪) 高崎市綿貫町

群馬県立歴史博物館に来たらルーチンワークで綿貫町市ヶ原1117所在古墳にご挨拶。群馬県立歴史博物館の前にある円墳。未調査で詳細不明。 巨きな馬 アントワーヌ・ブールデル作 1914年 - 1917年 群馬県立歴史博物館は今回で3回目の訪問。 にほんブログ村

企画展「綿貫観音山古墳のすべて」群馬県立歴史博物館

「群馬県綿貫観音山古墳出土品」の国宝決定を記念して群馬県立歴史博物館で開催された企画展「綿貫観音山古墳のすべて」を見学した。群馬に来た目的はこれ。直前に思い立ちネットで確認したら、事前予約制ということで10時の枠を予約。猛暑日(最高気温35°C以…

二ツ山古墳2号墳 太田市新田天良町

ニツ山古墳1号墳の南東に隣接する2号墳。前方後円墳。全長45m。1号墳と同じ時期の6世紀後半の築造。後円部の横穴式石室は開口部が埋まってしまったようで見つからなかった。 太田市|二ツ山古墳2号墳 太田市の古墳パンフレット にほんブログ村

二ツ山古墳1号墳 太田市新田天良町

旧陸軍新田飛行場跡の市野倉工業団地の南側の新田桜並木が県道332号と交わるT字路の南から東に伸びる新田並木(松並木)を進むと両側に二ツ山古墳1号墳(左)と2号墳が現れる。ともに前方後円墳。1号墳は74m。埋葬施設(主体部)は、割石乱石積の無袖型の横穴式石…

長良神社 太田市飯塚町

太田市立九合小学校の道路を挟んで南隣の長良(ながら)神社の鳥居脇に、東京国立博物館蔵の国宝の埴輪「挂甲の武人」のレプリカが立つ。文献[1]によるとマツバラ(旧群馬県新田郡九合村大字飯塚字松原)の長良神社の境内に小高い塚があった、松原の長良神社は明…

天神山古墳A陪塚 太田市東長岡町

太田天神山古墳に付属する陪塚(ばいちょう)のA陪塚。 東から手前の家が立て替えで、この角度から見えるのは今だけか? 北東から中央手前がA陪塚、奥に天神山古墳の後円部。 北から 近くの公園 太田市|天神山古墳 にほんブログ村

女体山古墳 太田市内ケ島町

太田天神山(男体山)古墳とほぼ同じ時期に築造された女体山古墳。帆立貝形古墳。全長106m。5世紀前半の築造。 県道2号(東国文化歴史街道)から左に太田天神山古墳の後円部、右に女体山古墳、右手前のコンビニの辺りに目塚1号墳があった。 左が帆立貝形の前方部…