週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

江戸城外堀

新幸橋の碑 中央区銀座

国会通りがJR山手線・京浜東北線・東海道線をくぐるガード(内幸橋架道橋)の東側の銀座コリドー通りの交差点に新幸橋の碑がある。新幸橋の名前はガード(内幸橋架道橋)の西側の交差点名に残る。駅員3さんのブログ記事によれば、新幸橋は、昭和4年に企業等の寄…

芝神明町町屋敷跡遺跡 港区浜松町

住友浜松町ビルのオープンスペースに遺跡から発掘された間知石(けんちいし、まちいし)を用いて石垣の一部が移設復元されている。間知石は石積みに使用される四角錐形の石材。 にほんブログ村

江戸城外堀跡石垣 港区霞が関

文部科学省構内に残る石垣は、江戸城を取り巻く外堀の一部で、寛永13年(1636)に江戸幕府が全国の大名を動員して築いた。中央合同庁舎7号館の建設にともなう発掘調査成果をもとに、文部科学省構内ラウンジ前と地下鉄銀座線虎ノ門駅の新庁舎連絡通路内に発掘さ…

江戸城外郭南側の石垣 港区西新橋

日比谷セントラルビルのオープンスペースに積まれた石は、物産ビル別館増築の工事の際に地下4m余りのところから発掘された江戸城外郭の南側(虎の門の東)を築造するときに使用された石で、三代将軍徳川家光の治世、1636年(寛永13年)の修築工事で九州各地の諸…

お茶の水橋の都電跡 文京区湯島

お茶の水橋の改修工事で、都電の石畳と線路の遺構が見れるチャンスと聞き訪れた。明治時代から戦前にかけて御茶ノ水と日本橋地区を結んでいた都電「錦町線」の跡。太平洋戦争中の1944年に運行を休止した。今回の工事は石畳や線路の下にあるコンクリ―トを刷新…

新永間市街線高架橋(その2) 港区新橋

新永間市街線高架橋の続き。新橋駅西口の北側から有楽町駅まで。 新橋駅西口広場(SL広場)。平日の夕方。たくさんのサラリーマン。 お盆休みの猛暑日の昼間。人がいない。 二葉橋架道橋。3径間ゲルバー鉄桁橋。 二葉橋架道橋から幸橋架道橋までが二葉町橋高架…

新永間市街線高架橋(その1) 港区新橋

JR東日本の東京駅のやや北から新橋駅の南まで山手線と京浜東北線は1910(明治43年)完成の煉瓦アーチ式高架橋の上を走る。この区間は建設当時、浜松町付近の「新銭座」と、東京駅北側の「永楽町」を結んだことから「新永間市街線」と呼ばれた。新銭座と永楽町…

JR総武線「旧御所トンネル」 新宿区四谷

明治時代に建設された煉瓦造のトンネルが都内に残っていると知り訪ねた。そのトンネルはJR四ッ谷駅とJR信濃町駅の間にある。この区間は中央線快速と中央・総武線(各停)の上り下りの4本の線路(複々線)が走っている。このうちの中央・総武線(各停)の下り線が、…