史跡
次に訪れた花輪貝塚は、都川北岸の標高約30mの舌状台地に立地する貝塚。直径約120mの環状で、中央がややくぼみ、縁辺部が高くなっている状況が実際に確認できるほど遺存状態は良好。後期前半(堀之内式期)に極めて短期間に貝塚が形成された。 国指定史跡 花輪…
昨年11月26日に開催された加曽利貝塚の発掘調査現地説明会の前に千葉市の貝塚を巡った。最初に訪れた犢橋貝塚(こてはしかいづか)は、標高約26mの台地上に位置する後期から晩期の馬蹄形貝塚。貝層を構成する貝はハマグリを主体にアサリ、オキシジミ、キサゴな…
富士山古墳の次に唐御所横穴(からのごしょよこあな)を訪れた。 厩穴は崩落の恐れがあり立入禁止 気を取り直して姫穴と唐の御所を目指す 姫穴 唐ノ御所は、調査中でブルーシートに覆われていた。 唐御所横穴内部の様子 唐御所横穴(からごしょよこあな)は古墳…
二荒神社古墳群の探索の後で、那珂川町なす風土記の丘資料館を訪れたら、常設展示替えに伴う工事のため休館中だった。仕方がないので、那須官衙遺跡の正倉跡を見学した。 那須官衙遺跡 文化遺産オンラインとちぎの文化財【那須官衙遺跡】とちぎいにしえの回…
12月の上侍塚古墳の発掘調査の現地説明会の前に駒形大塚古墳を再訪した。 那須小川古墳群/駒形大塚古墳/吉田温泉神社古墳群那須八幡塚古墳群 文化遺産オンラインとちぎの文化財【那須小川古墳群 駒形大塚古墳 吉田温泉神社古墳群 那須八幡塚古墳群】とちぎい…
吉田温泉神社古墳から南に約200mの観音堂古墳(吉田温泉神社21号墳)。墳丘は規模が約31mの不整形な隅丸方形。 観音堂古墳 観音堂古墳は、 墳丘の規模が約31mの不整形な隅丸方形を示し、南側には小さな張出しをもっている。墳丘は当時の表土上に周囲を削った土…
那須八幡塚古墳から北に約500mの吉田温泉(ゆぜん)神社古墳を訪れた。吉田温泉神社古墳は、駒形大塚古墳・那須八幡塚古墳よりやや後出する4世紀末から5世紀初頭頃に築造された前方後方墳。推定墳丘は全長約50m弱で南面する。 この地域は国指定史跡 那須小川古…
11月の上侍塚古墳での発掘体験の前に、那須小川古墳群を探索した。那須小川古墳群は、那珂川支流の権津川(ごんずがわ)流域に展開する古墳時代前期に築造された古墳群。駒形大塚古墳、吉田温泉(ゆぜん)神社古墳、那須八幡塚古墳の3基の前方後方墳と21基の方墳…
昨年に引き続き、今年も上侍塚古墳の発掘調査の現地説明会が開催されたので参加した。今年は先月、参加した発掘体験で、私が掘ったトレンチ(試掘溝)も、説明会の公開対象になっていたので、発掘体験で掘ったトレンチのその後の姿を確認することができた。今…
発掘調査中の上侍塚古墳で発掘体験に参加した。化石の発掘体験は過去に経験があったが、遺跡調査の発掘は初体験。赤シャベルチームと青シャベルチームに分かれて、トレンチの中の土をシャベルで削る。土器片や葺石が見つかったら、取り上げず、そのまま報告…
群馬県立歴史博物館の次に多胡記念館に移動して、開催中の企画展「多胡郡正倉」を鑑賞した。群馬県高崎市に所在する上野三碑のユネスコ「世界の記憶」登録5周年を記念して、多胡碑周辺遺跡と上野国多胡郡正倉跡を掘り下げて紹介する。711年(和銅4年)の多胡郡…
藤岡市の白石古墳群の白石稲荷山古墳の発掘調査の現地説明会に参加した。藤岡市では、現在、七輿山古墳を北、白石稲荷山古墳を南とする範囲で白石丘陵公園の整備を進めている。その一環の史跡整備にあたって古墳の調査を実施している。令和元年度に早稲田大…
今年も真福寺貝塚の発掘調査の現地説明会に参加した。真福寺貝塚は、縄文時代後期前葉から晩期中葉(約3,800〜2,600年前)まで営まれた貝塚を伴う集落遺跡と低湿地の泥炭層遺跡から成る。さいたま市教育委員会は、平成28年度から毎年、発掘調査を実施していて…
水戸市の大串貝塚にも寄り道。大串貝塚は、涸沼川をのぞむ那珂台地の先端に位置する縄文時代前期の貝塚で、汽水域に生息するシジミを主体とする。奈良時代に編さんされた「常陸国風土記」に記載があり、文献に記録された貝塚としては世界で最も古く、これに…
7月に大洗町幕末と明治の博物館を訪れた際に寄り道した遺跡を振り返る。茨城町の小幡北山埴輪製作遺跡は、涸沼川と寛政川にはさまれた標高22.5~27mの台地にあり、古くから「カベット山」(壁土山)と称され、良質の粘土のとれる場所として知られていた。195…
台渡里官衙遺跡群は、那珂川を見渡せる標高30m前後の見晴らしのよい台地上にあり、古代寺院跡(台渡里廃寺跡)の観音堂山地区と南方地区、常陸国那賀郡の郡衙に附属する正倉院の長者山地区の三つの地区で分かれる。 観音堂山地区の寺院は、7世紀後半から末頃…
愛宕山古墳は、石岡市舟塚山古墳、常陸太田市梵天山古墳に次ぐ茨城県内3番目の規模で、全長137mの大型前方後円墳である。那賀国造の墓と考えられており、国指定史跡となっている。水戸市の北部に位置し、那珂川右岸の標高約30mの上市台地北東側縁辺部に立地…
5月に茨城県立歴史館の企画展「ビフォー・アフター三昧塚古墳」を鑑賞した際、茨城県立歴史館の前に吉田古墳を訪れた。吉田古墳は、横穴式石室奥壁に釵・刀子・鉾等武具を主体とした線刻装飾をもつ終末期古墳で、墳形は方墳とも円墳ともいわれていたが、近年…
1859年(安政6年)に初代の英国総領事ラザフォード・オールコックが着任したときに宿舎として提供された東禅寺。1865年(慶応元年)まで英国公使館として使用され、その間、1861年(文久元年)に尊王攘夷派の水戸浪士による襲撃事件(東禅寺事件)が、翌年に松本藩士…
史跡『旧新橋停車場跡』に再建された旧新橋停車場の駅舎とプラットフォームを見学した。駅舎内の鉄道歴史展示室では企画展「鉄道博物館100年のあゆみ」を開催していた。展示室は入場無料、写真撮影禁止。隣のパナソニック汐留美術館の企画展も気になった。 …
神崎遺跡は、神奈川県中央部、相模川の支流となる河川付近の標高24mの台地上に立地する弥生時代後期の環濠集落跡。土器は西遠江産が95%以上を占め、当該地域から集団移住があったと考えられている。弥生時代後期の南関東地域の社会のあり方を知る上で重要…
下寺尾官衙遺跡群は、小出川を望む標高約13mの相模原台地頂部に位置する相模国高座郡家(郡衙)と考えられる下寺尾官衙遺跡(西方遺跡)と台地の南裾に位置する下寺尾廃寺跡(七堂伽藍跡)を中心として、隣接する遺跡も含めた複数の遺跡からなる。官衙は約1300年前…
3月に開催された蟹ヶ谷古墳群の現地説明会の前に奈良時代の創建とも伝わる古刹・影向寺(ようごうじ)を再訪した。過去、2回訪れているが、影向石(ようごういし)を見学していない。今度こそと再訪したが、境内には見当たらず。本堂正面の門の手前の駐車場の隅…
さきたま古墳公園の散策の続き。 二子山古墳 愛宕山古墳 フセギ? 天王山古墳跡(埼玉1号墳跡) 円柱の標識(埼玉7号墳?) 梅塚古墳跡(埼玉2号墳跡)、埼玉3・4号墳跡 丸墓山古墳は埼玉古墳群で一番高い古墳であり、とても見晴らしが良いです。頂上から南東の方…
さきたま古墳公園の散策の続き。 奥の山古墳 盾持人埴輪は2020年の企画展で鑑賞した。 中の山古墳 鉄砲山古墳 瓦塚古墳 さきたま史跡の博物館では、発掘成果を基に埼玉古墳群の整備工事を行っています。今年度も、平成30年度の調査を基に、奥の山古墳の整…
さきたま古墳公園を散策。桜と菜の花のコラボ。春を堪能。 将軍山古墳 稲荷山古墳 丸墓山古墳 にほんブログ村
蟹ヶ谷古墳群の現地説明会の前に橘樹官衙遺跡群を再訪した。橘樹官衙遺跡群は古代武蔵国21郡の一つの橘樹(たちばな)郡の役所跡「橘樹郡衙跡」と、その西側に隣接して造営された古代寺院「影向寺遺跡」からなる。 この後、影向寺を再訪して千年伊勢山台古墳を…
那須小川古墳群の駒形大塚古墳は、4世紀初めごろに築造された全長60.5mの前方後方墳。画文帯四獣鏡(中国鏡)をはじめ、銅鏃、直刀など多数の副葬品が出土。 墳丘の階段を登ろうとしたら古墳ネコに睨まれた。 那須小川古墳群|生涯学習|那珂川町 なす風土記…
上侍塚古墳の北約800mに位置する下侍塚古墳。全長84mの前方後方墳。大田原市なす風土記の丘湯津上資料館で情報収集してから墳活。 大田原市なす風土記の丘湯津上資料館 | 大田原市 【国指定史跡】侍塚古墳(さむらいづかこふん) | 大田原市 栃木県埋蔵文化…
摩利支天塚古墳の発掘調査現地説明会の後で、壬生町の羽生田地区を巡った。この地区には、現在、約50基の古墳が確認されている。6世紀後半には、埴輪群をもつ大型の前方後円墳の茶臼山古墳と大型の円墳の富士山古墳が築かれた。どちらが先に築かれたかははっ…