3月に開催された蟹ヶ谷古墳群の現地説明会の前に奈良時代の創建とも伝わる古刹・影向寺(ようごうじ)を再訪した。過去、2回訪れているが、影向石(ようごういし)を見学していない。今度こそと再訪したが、境内には見当たらず。本堂正面の門の手前の駐車場の隅にあった。境内を探しても見つからないはず。
文献[1]によれば、現在の影向寺は、古代武蔵国21郡の一つの橘樹(たちばな)郡の役所跡「橘樹郡衙跡」の西側に隣接して奈良時代の7世紀後葉に造営された古代寺院「影向寺跡」の地で連綿と法灯を繋いでいる。本尊の木造薬師如来両脇侍像は国指定重要文化財、薬師堂と影向石は県指定重要文化財。影向寺跡と橘樹郡衙跡は橘樹官衙遺跡群として国指定の史跡。
影向石
当寺のいわれとなった霊石。奈良朝に本寺創建のとき、ここには美しい塔が建てられ、その心礎として使用されました。心礎には仏舎利が納められ、寺院の信仰の中心となります。「影向(ようごう)」とは神仏の憑りますところのことで、寺域は太古より神聖な霊地、神仏のましますところとして、信仰されていたものでしょう。幾星霜をへ、塔が失われた以降、この影向石のくぼみには常に霊水がたたえられて乾くことはなく、近隣から眼を患う人々が訪れて、その功験によっていやされました。江戸のはじめ万治年間に薬師堂が火を蒙ると、本尊薬師如来は自ら堂を出て、この石の上に難をのがれたといわれ、それ以来、栄興あるいは養光の寺明を影向とあらためたと伝えられます。
昭和51年5月吉日 重要文化財保存会
文献
[1] 川崎市教育委員会 2016「国指定史跡 橘樹官衙遺跡群 橘樹郡衙跡・影向寺遺跡」川崎市遺跡リーフレット①
[2] 川崎市教育委員会 2020 『国史跡指定5周年記念シンポジウム「橘樹郡誕生!」〜橘樹郡家・古代影向寺どうしてここに〜』発表要旨
\おかえり聖徳太子像 その1/
— 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年2月29日
宮前区の #影向寺 には、大工や畳屋などの職人さんたちがつくる太子講が発願した聖徳太子堂があり、聖徳太子像が祀られています
市重要歴史記念物の聖徳太子像と、厨子の修理が終わり、安置作業が行われましたhttps://t.co/vv4MO8NPZ0 pic.twitter.com/kAccwlbc05
\おかえり聖徳太子像 その2/#保存修理 が終わり、所有者のもとへ文化財を納品する際も、修理業者さんは細心の注意を払います
— 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年3月1日
今回は、道中の揺れや急勾配の坂にも対応できるようトラックに免振パレットを設置し、修理した文化財を何重にも養生した上で固定していました pic.twitter.com/XvMsiLmj9I
\おかえり聖徳太子像 その3/
— 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年3月4日
市重要歴史記念物 #木造聖徳太子立像 を太子堂に安置するにあたって、これまで別に保管していた寛文2年の #修理銘札 を像内にお戻しすることに😀
内容を確認し、銘札の薄さにドキドキしながら、 #影向寺 のご住職が慎重に納めました pic.twitter.com/vRQcitmXgB