週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

『古代史の謎はどこまで解けたか (PHP新書)』山岸良ニ著

昔、購入した本を再読した。奥付けでは2006年10月の第1版第1刷で、2009年の企画展の栞が挟まっていたので、2009年に購入したのかもしれない。読んだ形跡がないくらいの美品なので未読かも。

本書は、戦後60年の考古学の歩みをわかりやすく解説することを意図して、10のテーマごとに概説する。1章は「岩宿の発見から「捏造」の露見まで」で、1949年の岩宿遺跡の発見と2000年に発覚した「旧石器発掘捏造事件」がテーマ。芹沢長介と杉原荘介の確執、藤村新一相沢忠洋に対する憧れについては上原善広著「石の虚塔」が詳しい。

2章、3章では、1954年に「日本人類学会創立70周年記念事業」として実施された堀之内貝塚での慶応、明治、早稲田の3大学での発掘調査や、1926年の姥山貝塚の発掘、1993年の栃木県小山市の寺野東遺跡で発見された「環状盛土遺構」、1982年に石川県真脇遺跡で発見された「環状木柱列」、秋田県大湯遺跡に代表される「環状列石遺構」、琵琶湖周辺の粟津湖底遺跡、1948年に設立された「日本考古学協会」の「登呂遺跡調査特別委員会」が母体となって発掘調査された登呂遺跡、山口県土井ヶ浜遺跡の集団墓、1883年に有坂鉊蔵が発見した弥生式土器弥生時代初期の水田跡と環濠集落が発見された福岡県板付遺跡縄文時代晩期の水田跡や炭化米が発見された佐賀県菜畑遺跡、1984年に358本の銅剣が発見された島根県荒神谷遺跡、1996年に39口の銅鐸が出土した島根県加茂岩倉遺跡、1960年代から北陸地方、丹後地方などの丘陵上で多数発見された弥生時代の方形台状墓群(京都府赤坂今井墳丘墓、日吉ケ丘遺跡)、鳥取県妻木晩田遺跡の四隅突出墳丘墓、低湿地から大量の遺物が発見された鳥取県青谷上寺地遺跡などを概説する。

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4章では、1950年の文化財保護法制定の契機になった法隆寺金堂壁画の焼失から、静岡県浜松市国鉄の電車基地建設で発見された伊場遺跡の保存を巡って争われた行政訴訟、保存運動などの成果で、史跡公園として公開された例として、奈良県ナガレ山古墳、兵庫県五色塚古墳、長野県森将軍塚古墳、大阪府心合寺山古墳を概説する。

5章では「国民的永遠の謎」として邪馬台国論争を取り上げ、佐賀県吉野ヶ里遺跡大阪府池上曽根遺跡、三角縁神獣鏡卑弥呼の墓について概説する。池上曽根遺跡では出土した柱のうちの1本が「年輪年代法」により「紀元前52年」の伐採と測定され、土器編年による推定より100年遡る結果を紹介して、三角縁神獣鏡では、32面の三角縁神獣鏡が発見された京都府椿井大塚山古墳、33面の三角縁神獣鏡が発見された奈良県天理市の黒塚古墳、京都府広峯15号墳から出土した「景初4年」銘鏡を説明して、卑弥呼の墓としては、奈良盆地東南部の箸墓古墳、北九州地方の甕棺墓と関東・東北地方の再葬墓、方形周溝墓、四隅突出墳丘墓、岡山県楯築墳丘墓、奈良県桜井市周辺の纏向遺跡群の3世紀代の墳墓群から、卑弥呼の墓として最初の古墳が条件を満たす可能性を述べる。

6章は「大和政権のモニュメント 前方後円墳」で、埼玉県行田市の稲荷山古墳から1968年に発掘され1978年に117文字の金象嵌が発見された鉄剣、「獲加多支鹵」銘は熊本県江田船山古墳出土の鉄刀銀象嵌銘文と共通、「辛亥年」は471年説が有力、その後、レントゲン撮影が励行され千葉県稲荷台1号古墳出土鉄剣、島根県岡田山1号古墳出土鉄刀から「文字」を発見、古墳時代の首長層・豪族層の居住跡(豪族居館)として、群馬県三ツ寺遺跡、群馬県原之城遺跡、和歌山県鳴滝遺跡など、古墳時代の住居群が火山灰にパックされた状態で発掘された群馬県黒井峯遺跡、天皇陵の公開問題として、1986年に宮内庁が歴史関係12学会の代表に公開した大阪府茨木市太田茶臼山(宮内庁継体天皇陵と治定、継体天皇は530年没)の護岸工事関係調査、公開された埴輪片は5世紀中頃、真の継体天皇陵として注目されているのは高槻市今城塚古墳、1991年に宮内庁を震撼させた奈良県見瀬丸山古墳(陵墓参考地)の横穴式石室内の写真公開事件を概説する。

7章は「高松塚古墳は救えるのか」で、1972年の奈良県明日香村高松塚古墳の調査で「日本歴史上未曾有の大発見」極色彩壁画の発見、1983年のファイバースコープによる同村マルコ山古墳の調査で壁画「玄武」像の発見、1996年の超小型カメラによる高松塚古墳石槨の調査で壁画の劣化状況を確認、1985年の発掘調査で未盗掘の横穴式石室から家型石棺が発見された奈良県斑鳩町藤ノ木古墳、1989年の開棺調査で2体の被葬者骨と大量の副葬品を発見、2002年には大阪府高槻市の闘鶏山古墳がファイバースコープによる調査で未盗掘古墳と判明。壁画古墳の保存をめぐって、1934年に発見された「装飾古墳の王者」福岡県王塚古墳は1967年に石室崩壊の危険から見学中止となり、保存対策の後に1990年に再度壁画公開された、1973年に壁画が発見された茨城県ひたちなか市虎塚古墳は、最新の技術を導入した総合調査で、その後も半年ごとの「保存状況」検査を実施して年1回公開展示を実施、高松塚古墳は、壁画が発見されるや保存のため密封、数ヶ月で史跡指定、文化庁に管理移管、一般見学用の模写壁画の公開施設設置したが、高松塚古墳では古墳本体は特別史跡文化庁記念物課、壁画は国宝で文化庁美術学芸課と担当で、保存修復の実務も古墳は奈良文化財研究所、壁画は東京文化財研究所と異なり、2004年の新聞報道でカビ問題が世間に知られるまで有効な対策がなされず、2005年に文化庁キトラ古墳の壁画剥ぎ取り、高松塚の石槨解体による修復を判断、その後に文化庁の不祥事報道等もあり、高松塚古墳は本当に救えるのかと疑問を呈する。

8章では、1979年に奈良市で発見された墓誌から判明した太安万侶の墓、1999年から2004年に飛鳥の宮が「石の都」であったことを証明する「富本銭」約300枚と鋳棹、全面石敷の苑池遺跡(3トンもの噴水石や石水槽)、酒船石と導水路で繋がれた亀形石、飛鳥浄御原宮(天武天皇)の正殿建物と石敷き遺構の発見、平城宮の戦後初調査(1953年、大極殿跡)、1960年の近鉄の操車場建設を契機に宮跡全域を国有地化、1988年の長屋王邸宅と5万点の木簡の発見、各地での国分寺国分尼寺、地方国衙郡衙の発掘調査、1987年の福岡県「鴻臚館」遺構の発見、個人的尽力による長岡京および難波宮の調査と学生・市民・研究者らによる保護運動の成果、1999年の発掘調査で発見された出雲大社の本殿跡の巨大な柱の基部を概説する。

9章では、中世の鎌倉、十三湊、広島県の幻の草戸千軒町、中世戦国大名の居城・居館、江戸時代の城下町、島根県石見銀山、火山考古学、長崎市出島、幕末の砲台、旧汐留駅跡地を概説する。

10章は「考古学の未来」で、文化財ジャーナリズム、遺跡保存運動とマスコミ、阪神淡路大震災埋蔵文化財、最新科学が貢献する現代考古学研究、個人的尽力から行政主導、そして民活時代へ、として構造改革の波に翻弄される日本の考古学の現状を憂う。

「おわりに」では「本書が一般の方々への考古学啓蒙・普及の一助になれば幸いである」と結ぶ。

読後の感想を述べれば、本書を購入したときは、古代史に興味があって購入したのだと思うが、内容は古代史に限定しておらず、紙数に対して扱う範囲が広く、予備知識のない一般者には読み進めるのが難しかったのかと思う。読んだ形跡もないくらい美品で積読だったのがそれを裏付ける。古墳巡りを始めて5年経ち、断片的に知識が増え、本書を読み進めることができたが、網羅的で物足りないと感じる部分もあった。そこは他の書籍で補えば良いのかなと今の私は思う。

高松塚古墳・キトラ古墳関係の検討会等 | 文化庁

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