海老名市立郷土資料館で開催中の企画展「発掘された海老名のお宝〜この10年の発掘調査成果から〜」第二弾「古墳時代〜中近世」を鑑賞した。「古墳時代中〜後期の変化がわかってきた」として、上浜田古墳群の太鼓塚古墳(5号墳)の住宅建設に伴う発掘調査、2号墳の墳丘盛土流出による緊急調査、上今泉横穴墓群の擁壁工事に伴う第3次調査の成果や、古墳時代の竪穴住居跡の移り替わりとして、「炉」から「カマド」への変化、甕(かめ)の形が徐々に長くなり、蒸すための甑(こしき)が使われるように変化が紹介された。また、古墳時代のお宝として、ミニチュア土器、須恵器、小型銅鏡、石製模造品・臼玉を展示。「古代の政治 律令体制の痕跡」として、相模国分寺跡の南西側の崖線に沿った斜めに位置する区画溝、東側の区画溝2条、古代の道路として大規模な道路状の遺構が発見された望地(もうち)遺跡、奈良〜平安時代のお宝として、市内初出土の和同開珎、役人が付けた腰帯の装飾(丸鞆、巡方)、焼印、灰釉陶器、緑釉陶器等を展示。




【発掘された海老名のお宝】
— 海老名市えび~にゃ🍓【公式】 (@ebi_nya19) 2024年8月7日
海老名市温故館へ行ってきたよ♬
令和5年までの約10年間に市内で行われた発掘調査の成果と、遺物を紹介する企画展が行われていたよ!縄文時代と弥生時代の初公開の資料が展示されてるにゃ!
興味深い海老名市のお宝が展示されていて、夢中で見ちゃったにゃ~! pic.twitter.com/yipQmW3cjR
【発掘された海老名のお宝~この10年の発掘調査成果から~】
— 海老名市えび~にゃ🍓【公式】 (@ebi_nya19) 2024年9月11日
「第44回海老名市温故館企画展、発掘された海老名のお宝~この10年の発掘成果から~」の動画が【公式】海老名市のYouTubeで公開されてるよ☆
たくさんのお宝が展示されていて、夢中で見ちゃったにゃ! pic.twitter.com/QQo7jO9dFy
【発掘された海老名のお宝~第2弾!】
— 海老名市えび~にゃ🍓【公式】 (@ebi_nya19) 2024年9月25日
9月26日(木)から、海老名市温故館で、「発掘された海老名のお宝~この10年の発掘調査成果から~」第2弾が始まるにゃ!
今回は、古墳時代から江戸時代までの資料が展示されるよ!
第2弾も見に行くの楽しみにゃ~♡ pic.twitter.com/cZwhNh5cz5
【第44回海老名市温故館企画展を開催中!~発掘された海老名のお宝~】
— 海老名市えび~にゃ🍓【公式】 (@ebi_nya19) 2024年10月10日
海老名市温故館に行ってきたにゃ~!
海老名市温故館で令和5年までの約10年間に市内で行われた発掘調査の成果と出土品を紹介する企画展を12月1日(日)まで開催中だよ! pic.twitter.com/4P8bLBOgLj
個人的には江戸時代の跡堀遺跡で出土した桟瓦の側面の「<(山)本和吉」の刻印。江戸尾張藩上屋敷でも同じ刻印の瓦が出土。東京都荒川区の佐藤病院の煉瓦塀の刻印に「 <(山)本」があり、繋がるかも。
海老名市温故館(旧海老名村役場庁舎)
海老名市立郷土資料館 海老名市温故館(旧海老名村役場庁舎)
この建物は、大正7(1918)年に海老名村役場庁舎として建築されたものを一部移築保存し、復元したものです。
明治22(1889)年の市制・町村制の施行により「海老名村議会」が発足し、国分に「海老名村役場」が設置されました。しかし、明治43(1910)年の国分大火により建物が焼失、薬師堂(現・国分寺)の庫裏を仮庁舎としていましたが、大正5(1916)年頃から新庁舎の建築が計画され、大正7年に竣工 しました。
木造2階建て桟瓦葺、外壁は、ドイツ下見張り(※注)で飾り柱を設け、南正面に切妻造りの玄関ポーチがありました。
柱には特徴的な柱頭飾り、玄関ポーチにはバージボードと呼ばれる飾り破風、垂飾り、装飾的な方杖が取り付けられ全体として直線的で素朴な装飾の建物となっていました。
この建築様式は、郡役所様式と呼ばれるもので明治から大正時代にかけて役所などによく用いられ、海老名村国分の大工・藤井熊太郎が棟梁となって建築されました。
外観を洋風建築とする一方で、小屋組みや土台、軸組などは日本古来の建築を踏襲した和洋折衷の建物でした。
相模国分寺跡


史跡 相模国分寺跡 環境整備事業
相模国分寺(さがみこくぶんじ)は、741年(天平13)の「国分寺建立の詔」によって全国に建立された寺院の一つです。
819年(弘仁10)と878年(元慶2)に相模国分寺が被災したという記録が残っていますが、940年(天慶3)には相模国分寺の仏像が汗をかいたという記録があることや発掘調査の結果等から、平安時代中頃までは修理や再建が行われていたようです。
しかし、平安時代後期には荒れ果て、やがて現在の国分寺の場所に移転したといわれています。
相模国分寺跡は、江戸時代に書かれた「新編相模国風土記稿」の挿し絵にも遺跡が描かれているほど古くから知られていました。
明治時代後半から大正時代にかけて尋常高等海老名小学校(現在市立海老名小学校)の校長であった中山毎吉が相模国分寺跡や国分尼寺跡などの遺跡を調査 して、矢後駒とともに「相模国分寺志」 という研究書にまとめました。
こうした中山毎吉等の調査研究や保存運動により1921年(大正10)3月3日に相模国分寺跡は「国指定 史跡」となりました。
海老名市では貴重な文化遺産である史跡相模国分寺跡を現状のまま保存するだけではなく、復原・整備をする環境整備事業を平成元年度 (1989) から始めました。
1966〜67年(昭和41〜42)の発掘調査結果をもとに、1990〜1996年(平成2〜8)にかけて塔跡、中門跡、南面廊跡、僧坊跡等の発掘調査を行い、史跡整備に必要な資料をそろえました。
基本的な整備計画は、相模国分寺の創建時の遺構を整備することにしました。具体的には、塔・金堂・講堂の基壇復原、中門・廊跡・僧坊跡等の位置表示を行い、現存する礎石は現位置で保存する計画です。
2000年(平成12)3月 海老名市
- 相模国分寺跡 文化遺産オンライン
- 史跡相模国分寺跡 - 神奈川県ホームページ
- 国指定史跡 史跡相模国分寺跡・尼寺跡|海老名市公式ウェブサイト
- 史跡相模国分寺跡発掘調査 第12次調査の結果について|海老名市公式ウェブサイト
発掘調査中

海老名の国分寺の遺跡発掘現場見学会に来ています
— 今井しょうこ@11月29日変わる縄文 (@tanu_ima) 2024年11月16日
すごい人!!!
午後の部もあります
お近くの方はどうぞ!
帰りはロマンスカーミュージアムで、土器展示をしています。合わせてぜひ! pic.twitter.com/uGvWns8hDJ