週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

蟹ヶ谷の横穴墓群跡 高津区蟹ヶ谷

子母口貝塚から蟹ヶ谷古墳群に向かう途中で、蟹ヶ谷四方之嶺横穴墓と西田原横穴墓群の跡地を探索した。私のGoogle Mapでは、集合住宅「アデニウム日吉」の位置に「蟹ヶ谷四方之嶺横穴墓」が、「ヒューマンスクエア日吉ウルビノ」の裏辺りに西田原横穴墓群が個人的に地点登録してある。何かの情報で登録したはずだが、思い出せない。ちなみに、ガイドマップ川崎(川崎市地図情報システム)では、アデニウム日吉の場所に遺跡番号「高津区No.135」種別「横穴墓」、ヒューマンスクエア日吉ウルビノの隣のヒルステージ日吉の場所に遺跡番号「高津区No.117」種別「横穴墓」が記されていた。

Google Mapでは「アデニウム日吉」裏の高台に「運輸省 東京空港事務所 蟹ヶ谷無線中継所跡地」と登録されていて航空写真では更地になっていてブルーシートで覆われた部分があるので、何か発掘調査でもしていないかと立ち寄った。すでに「学研の高齢者向け住宅」が建設されていた。調べたら川崎市営四方嶺住宅跡地として再開発中で、もっと調べたら旧海軍の蟹ヶ谷分遣隊の跡地で、地下壕が掘られ無線傍受のための通信施設があり、横浜市港北区日吉の連合艦隊総司令部まで、約2kmの地下ケーブルで結ばれていたようだ。ちなみに、送信施設は、横浜市戸塚区(戸塚分遣隊)と千葉県船橋市(船橋分遣隊)にあった。また、ガイドマップ川崎(川崎市地図情報システム)では、川崎市営四方嶺住宅跡地に遺跡番号「高津区No.151」種別「散布地」が記されていた。

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その隣の公務員蟹ヶ谷宿舎も使われてなさそう。これから、再開発されるのか。
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西田原横穴墓群はこの辺りか?たぶん、ここではない。
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アデニウム日吉
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手前右はポレスター日吉
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今回は時間の都合で割愛したが、川崎市営四方嶺住宅跡地から西に徒歩10分のところに「海軍東京通信所蟹ヶ谷分遣隊と耐強受信所(地下壕)」の説明板がある。

旧海軍の船橋分遣隊は以前、訪れた船橋市行田の海軍無線電信所船橋送信所のことか

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