週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

真土大塚山古墳(再現) 平塚市西真土

平塚市の真土大塚山公園を訪れた。この公園は1996年に市が民有地を買収して開設。この公園には、すぐ南にあった真土大塚山古墳(現在は消滅)を再現したものがある。真土大塚山古墳は、砂丘上(標高8m)に造られていたため、発見時より墳丘の残りは良くなく、円墳(径30m)、前方後円墳(全長60m)、前方後方墳(全長43m)の諸説がある(文献[3])。主体部は2つと想定され、三角縁神獣鏡、変形四獣鏡、 白銅製の鍼、巴形銅器など貴重な遺物が出土している(文献[3])。真土大塚山古墳は、相模川下流の右岸の砂丘に立地して、集落から離れた場所で、この立地は最近発見された長柄・桜山古墳群と共通し、ヤマト政権が東国支配の拠点として「倭健命」の道、東海道ルートの軍事拠点として河川の河口を押さえたという説もある(リンク)。出土した三角縁神獣鏡(三角縁四神二獣鏡)は、同はん鏡が京都府椿井大塚山古墳、岡山県備前車塚古墳、兵庫県権現山51号墳から4面、出土している(リンク)。岡山県備前車塚古墳(全長約47mの前方後方墳)、兵庫県権現山51号墳(全長約42.7mの前方後方墳)が同規模の前方後方墳であることを考えると、真土大塚山古墳も全長43mの前方後方墳という説が説得力がある(文献[5]参照)。1960年に工場の敷地整備に伴い消滅(文献[4])。

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真土大塚山古墳

平塚市真土字十四ノ域にありましたが、現在は消滅しています。
この古墳は古墳時代前期(4世紀)にられたもので、 相模川西岸に生成された砂丘列の最高所(標高19m) に立地していました。 形は円墳、前方後円墳前方後方墳ともいわれますが定かでなく、 また墳丘の規模も明らかではありません。 埋葬施設には生前被葬者が所有したと思われる様々な品物が副葬され、被葬者の権威を象徴する三角縁四神二獣鏡・変形四獣鏡のほか、飾り金具に用いられた円形巴器や装身具である玉類(勾玉・丸玉・管玉・ガラス玉)、道具や武器に用いられた鉄斧・鑓鉋・鉄剣・鉄刀などが出土しました。
この古墳は、相模国の前身であるサガムの国を支配していた豪族の墓と考えられ、 土地の名称から真土大塚山古墳と名づけられました。 現在、 相模国の中では最も古い古墳と考えられています。
古墳はこの公園のすぐ南にありましたが、今日の景観からはその面影を偲ぶよすがはありません。 このため公園を造るにあたっては、古墳が立地していた地形をモデルにし、 真土地区の原風景を再現することにいたしました。

三角緣四神二獣鏡
三角縁四神二獣鏡は、縁の断面が三角形になっていて、 主文様に4人の神像と2頭の獣像が施される鏡のことで、中国からの舶来品といわれています。
真土大塚山古墳から出土したこの鏡は、直径が22.1cmで、 「陳是作鏡甚大好、 上有王父母、左有倉竜右白虎、宜遠道相保」の文字が刻まれていました。これらの文字は、平塚の地にもたらされた最初の文字と考えられます。
この鏡と同じ鋳型でつくった鏡は、京都府椿井大塚山古墳、岡山県備前車塚古墳、兵庫県権現山51号墳からも出土しています。なかでも椿井大塚山古墳は、大和朝廷の中枢に近い人物の墓とみられ、32面もの同種の鏡が出土しています。こうしたことから真土大塚山古墳の被葬者は、この地方一円を支配する一方で、大和朝廷と特に深い関係があった大豪族であろうと考えられます。
なおこの鏡は、現在東京国立博物館にて保管されています。

1996年4月吉日

真土大塚山公園(しんどおおつかやまこうえん)〔西真土三丁目1019-1〕 | 平塚市

変形四獣鏡他 真土大塚山古墳出土資料 一括 | 平塚市

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相模国の古墳 > 真土大塚古墳 - 平塚市博物館

三角縁神獣鏡(真土大塚古墳出土、古墳時代4世紀、青銅製、東京国立博物館蔵)

平塚の考古資料50選 > 四神二獣鏡 - 平塚市博物館

三角縁四神二獣鏡 文化遺産オンライン

C0015832 四神二獣鏡 - 東京国立博物館 画像検索

C0015833 巴形銅器 - 東京国立博物館 画像検索

文献[3]より
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文献

[1] 日野一郎 1965「真土・大塚山古墳」『平塚市文化財調査報告書』第3集

[2] 本村豪章 1974「相模・真土大塚山古墳の再検討」『考古学雑誌』60巻1号

[3] 立花実 1998「西相模の古墳」 『第5回考古学講座ー神奈川の古墳』神奈川県考古学会

[4] 相原精次・藤城憲児 2000「神奈川の古墳散歩」彩流社

[5] 柏木善治 2007「神奈川の古墳」『平成19年度第1回ようこそ考古学』考古学講座 かながわ考古学財団

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