城里町立北方小学校閉校後、校舎を活用して、2016年7月に開設した茨城県埋蔵文化財センター(いせきぴあ)。
城里町は、校舎裏にある頓化原(徳化原、とっけはら)古墳の保存・活用を進めるため、3年計画で発掘調査を実施する。初年度の今年は3月14日から25日に発掘調査を実施。最終日前日の24日に現地説明会が開催された。
茨城大学の計測調査では、東西28m、南北21mの長方墳とされ、横穴式石室が南に開口する。今回の調査では東西の主軸上と南北の主軸上に3トレンチを設定。墳丘と周溝の形状や規模の把握と現状の把握を調査目的とする。
墳丘の北側に設けられた2トレンチ
奥の黒い土が墳丘の地山。その手前の赤い土は男体山ゆかりの軽石層(今市七本桜降下軽石堆積物, 縄文時代草創期)。築造時に軽石層まで削ってから墳丘を盛土している。その手前の窪みが関東ローム層に掘られた周溝。トレンチの際に沿ってピット(穴)が並んでおり古墳の築造時の遺構の可能性がある。
周溝の上の堆積土に後世の溝の遺構が認められる。
墳丘の東側に設けられた3トレンチ。墳丘の地山は右の切り株あたりまで。周溝はトレンチの端よりもう少し手前か?
東端に後世の石組み遺構を検出。
墳丘の西側に設けられた1トレンチ
西側で中世の石敷遺構が検出された。遺構のすぐ上に多数の「かわらけ」が見つかった。かわらけは中世後期の酒杯や灯明皿。遺構の覆土には小銭「寛永通宝(古寛永)」と大量の瓦が出土。
2011年の東日本大震災以来、施錠されていた石室が今回、公開された。かなり、歪みが出ている。凝灰質石材の切石を組み合わせた横穴式石室で栃木県にみられる構造。石材は地元産。
奥壁
天井壁は2枚の切石。手前の天井石はひび割れて危険な状態。
奥の天井石もひび割れている。
墳丘の南側は小学校建設時の影響を受けている。
茨城県埋蔵文化財センター(いせきぴあ茨城) | 茨城県教育委員会
文献
[1] 茨城県考古学協会 2010「茨城の考古学散歩」東冷書房
2019年9月15日の現地説明会は参加できず。
頓化原古墳 現地説明会【茨城県城里町】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2019年9月15日
茨城県埋蔵文化財センター裏手に残された終末期の古墳で、昨年度からの2カ年計画で発掘が進められています。今回の調査では墳丘の隅が検出され、東西長さ37.8mの長方形墳であることが確実となりました。 pic.twitter.com/zC9YiH45rr