週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

山王1号墳 川島町正直

川島町正直の日枝神社の社殿裏に山王1号墳(円墳、規模不明、自然堤防・神社境内、文献[2])がある。川島町正直は、市野川と都幾川の間の低地に位置する水田地帯。自然堤防上に集落が存在。正直は雑色(ぞうしき)の当て字で、地名は雑色(律令制の下級役人)が居住していたことに由来するとのこと。

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山王1号墳
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文献[4]によると「1979(昭和54)年、熊野神社古墳の荒川をはさんだ対岸低地、川島町正直字山王日枝神社町道下で農業用水管埋設工事が行われ、地下約3mの地点から碧玉管玉の工程品106点、碧玉釧の工程品1点、勾玉凹面研磨用砥石1点が出土」とのこと。2019年に土浦市立考古資料館で開催された企画展「常陸の玉作り」に正直遺跡出土の石釧未完成品と管玉未完成品が展示された。また、2016年に埼玉県立さきたま史跡の博物館で開催された企画展「埼玉の古墳 1 比企・入間」でも正直遺跡出土の石釧未完成品と管玉未完成品が展示された。

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文献

[1] 石岡憲雄 1980「北武蔵の玉作遺跡」『研究紀要』第2号 埼玉県立歴史資料館

[2] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」

[3] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会

[4] 「歴史のしおり 熊野神社古墳と埼玉県の玉造遺跡」埼玉県立歴史と民俗の博物館 博物館だより Vol.2-1 第4号 2007.7.12

[5] 埼玉県立さきたま史跡の博物館 2017「埼玉の古墳 1 比企・入間」

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