週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

玉藻稲荷神社 大田原市蜂巣

松尾芭蕉の『おくのほそ道』に「ひとひ郊外に逍遥して、犬追物の跡を一見し那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ。」とある「那須の篠原」の玉藻稲荷神社を訪れた。玉藻稲荷神社はお稲荷さんと玉藻の前(九尾の狐)の神霊を祀る。玉藻の前は、那須野原の殺生石で有名な九尾の狐の伝説で、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫となった妖狐の化身とされ、玉藻稲荷神社には、九尾の狐退治の伝承地「鏡池」と「狐塚」の霊を移したという祠がある。また、神社の北東の県道沿いに「狐塚之趾」の碑が立つ。

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芭蕉句碑
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秣(まぐさ)おふ人を枝折の夏野哉

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実朝歌碑
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源実朝公の歌

 武士の矢並つくろふ籠手の

 上に霰たばしる那須の篠原

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鎌倉第三代の征夷大将軍大臣源実朝は承久元年正月(1219年)拝賀の礼を鶴岡八幡宮に行い、帰途公暁に殺され、28歳にして劇的な死を遂げる。後世の人々は、将軍右大臣実朝としてよりも悲劇の歌人実朝として不朽の名を称える。

実朝は14歳のときより歌を詠み萬葉集古今集新古今集を愛読した。特に萬葉集は重宝として賞翫した。また、中央歌壇の巨匠藤原定家に教えを受け、歌を愛す武士との結びつきも不朽の業をなす基となった。実朝の歌は各種の歌集にのせてあるが、『釜槐和歌集』は実朝の歌集として名がある。 この歌集に「霰(あわれ)」と題して、

 もののふの矢並(やなみ)つくろふ小手の上に

  霰たばしる那須の篠原

が入集している。これは歌枕「那須の篠原」を詠んだ歌で、萬葉調でしかも実朝の歌境がよく表現されている。賀茂真淵も「人麿のよめらん勢ひなり」と称えている。

芭蕉の里 黒羽

鏡が池
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八溝県立自然公園 鏡が池

三浦介義明が九尾の狐を追跡中姿を見失なってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見 まわしたところ池の面近くに延びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている孤の正体が池にうつったので三浦介は難なく九尾の狐を狩ったと伝えられ、これが鏡が池と呼ばれるようになったという。

狐塚祠
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投句ポスト
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篠原玉藻稲荷神社

ここは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊とを祭った由緒深い社である。 宝前の社殿改建記念碑と石の鳥居の柱にいわれなどが記してある。

建久4年(1193)源頼朝那須遊猟のときこの社に参詣したという伝えがある。また元禄2年4月12日(陽暦5月30日1689)松尾芭蕉は、この篠原の地を訪れている。『おくのほそ 道』に「ひとひ郊外に消遥して、犬追物の跡を一見し那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ。」とある。

境内に芭蕉の句碑「秣(まぐさ)おふ...」と源実朝の歌碑「武士の矢並みつくろふ...」がある。また九尾の狐退治の伝承地としての「鏡池」と「狐塚」の霊を移したという祠がある。なお「狐塚址」は、ここより北東の地の県道沿いにある。

芭蕉の里 黒羽

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とちぎふれあい自然歩道

⑨野を横に馬牽むけよほとゝぎす      芭蕉

⑧夏山に足駄を拝む首途哉         芭蕉

⑦かさねとは八重撫子の名成べし      曽良

⑥秣負う人を枝折の夏野哉         芭蕉

⑤今日も又朝日を拝む石の上        芭蕉

④行く春や鳥啼き魚の目は泪        芭蕉

③山も庭も動き入るるや夏座敷       芭蕉

②田や麦や中にも夏のほととぎす      芭蕉

①鶴鳴くやその声に芭蕉やれぬべし     芭蕉

狐塚之趾
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関東ふれあいの道

関東ふれあいの道」とは、全国各地に整備された長距離自然歩道のうちのひとつ、「首都圏自然歩道」の愛称です。

関東ふれあいの道」は、豊かな自然や歴史・文化とふれあい、心身ともにリフレッシュするために、関東地方の1都6県をめぐる全157コース、総延長約1,800kmにわたり整備されています。

黒羽芭蕉のみち

このコースは今から320年程前に俳聖松尾芭蕉が「奥の細道」の旅路の中で最も長く滞在した黒羽の地をめぐります。

途中には芭蕉に関わる資料を展示した芭蕉の館や芭蕉の門人で芭蕉が宿泊したこともある浄法寺桃雪邸跡(桃雪は俳号)がある芭蕉公園などがあり、また、芭蕉曽良の句碑が各所に設置されていて黒羽の豊かな自然や文化を芭蕉の足跡をたどりながら満喫できる10.0kmのコースです。

黒羽刑務所(2022年3月31日閉庁)
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