週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

浅間塚古墳 (再訪) 行田市埼玉

浅間塚古墳を再訪(4回目の訪問)。毎回、見逃してしまう若王子古墳の石室の石材を使用したという忠魂碑をやっと見学した。

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浅間神社
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前玉神社
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行田市指定文化財 石燈籠 昭和42年3月10日指定

この石段の登り口にある高さ2m、2基一対の石燈籠は、元禄10年(1697)10月15日に、地元埼玉村(現在の行田市埼玉地区)の氏子一同が奉納したものです。

本殿に向かって左側の石燈籠には、「前玉之 小埼乃沼尒 鴨會翼霧 己尾尒 零置流霜乎 掃等尒有斯(前玉の小埼の沼に鴨ぞ翼きる 己が尾に降り置ける霜を掃うとにあらし)」と『万葉集』9巻-1744の「小埼沼」の歌が、右側の石燈籠には「佐吉多萬能 津尒乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延會祢(埼玉の津に居る舟の風を疾み 綱は絶ゆとも言は絶えそね)」と『万葉集』14巻-3380の 「埼玉の津」の歌が、美しい万葉仮名で竿の部分に刻まれています。この2首の歌は、地元行田市埼玉地区に関連する歌と考え られています。

この石燈籠は、『万葉集』に収められた歌の歌碑としては、全国的にみて非常に古いものになります。江戸時代には『万葉集』の研究が盛んになり、関心も高まっていました。そうした中でいち早くこの歌碑を建立した当時のこの地域の人々の文化的水準の高さと、江戸時代の『万葉集』への関心の高まりがうかがえる、貴重な文化財と言えるでしょう。

平成23年 行田市教育委員会

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明治神社
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日露戦役記念碑
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忠魂碑
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槙(イヌマキ)、御岳山信仰の奉納植樹の御神木
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