昨年、大神塚(応神塚)古墳の発掘調査の現地説明会の後で、平塚市の真土大塚山公園の模擬古墳を見学会したが、下調べしていなかったので、近くの真土大塚山古墳跡地に寄らなかった。そこで、寒川町遺跡発掘調査発表・講演会の前に平塚市に立ち寄った。
真土大塚山古墳跡
三角縁四神二獣鏡、変形四獣鏡、銅鏃、巴形銅器などの副葬品が出土した古墳時代前期の古墳。砂丘を利用して作られていました。
平成19年(2007年)3月 平塚市
真土大塚山 神獣鏡の碑
真土大塚山 神獣鏡の碑
真土神社の北西400mにあった真土大塚山にはかつて古墳時代前期の古墳があり昭和10年ここから神獣鏡が出土した
径22.1cm青銅製の三角縁四神二獣鏡である鏡の縁の断面が三角で東王父や西王母など四体の神仙像と龍と虎の瑞獣二頭が彫られており周囲に「陳是作竟甚大好上有王父母左有倉龍右白虎宜遠道相保」の文字が刻まれた銘帯がある
同笵鏡が京都や岡山などから四面出土しており真土が大和王権と深い繋がりがあったことを示す貴重な資料である
私たち真土地域はここに碑を建立しこの郷土の宝を未来に伝える
代表 平井 茂 平成26年12月吉日
古道中原街道
古道中原街道
古来より真土を斜めに縦断している古道が あった。海ぎわの東海道が整備される以前から、この道は相模道・奥州道などと呼ばれ、大磯から中原を通り、真土・用田・小杉を経て江戸に入り、更に奥州へ至る古道であった。家康は、関東移封のときや、その後中原に御殿をつくり、たびたび宿泊をして鷹狩りを楽しむなど、好んでこの道を用いた。
その後、江戸が政治の中心になるにしたが 東海道が整備されたため、中原街道の公的な役割は薄れ、脇街道となっていった。
しかし、この道は起伏が少なく江戸への最 短距離であったため、急ぎ旅の者や物産輸送におおいに利用された。いまでも中原街道の名称は各地に残っているが、最も良く昔の面影を残しているのは、真土地区であるといわれている。この道で展開されたロマンや役割を大切に伝えていきたいものである。
真土神社
真土略誌
古墳時代真土大塚山三角縁四神ニ獣鏡4世紀頃ノモノ出土シタ
宮鐘と鐘楼
宮鐘と鐘楼の由来
現在の宮鐘は昭和36年(1961)に鋳造された四代目です。
この鐘楼は大正6年(1917)に諏訪神社(東真土4丁目139番1)より宮鐘と共に移築されたものです。
蛙股の彫刻
この鐘楼には、近隣ではあまり例を見ない四神を彫刻した、蛙股が取り付けられています。四神とは、中国の周代に始まった四方を守護する神で、東方を青龍、西方を白虎、南方を朱雀(鳳凰)、北方を玄武(亀と蛇の合体)と言います。奈良県の高松塚古墳の壁画、明日香村・キトラ古墳の壁画、薬師寺の仏像台座、群馬県の前双子山古墳の須恵器にも四神が描かれています。東・青龍は、天から恵みの雨を降らせ、豊作をもたらし、家運を隆盛にさせます。西・白虎は、女性に子宮と安産を授けて、夫婦円満に導くとされています(この白虎おなかが大きい)。南・朱雀は、その翼で災厄を払いのけて、大いなる福を招くとされています。 北・玄武は、長寿と福を招く亀と災厄を寄せ付けない蛇の霊力を合 わせ持ち、長寿と繁栄をもたらすとされています。
真土神社
真土大塚山古墳出土三角縁四神ニ獣鏡(東京国立博物館収蔵)
この後、平塚市博物館で真土大塚山古墳出土の三角縁四神ニ獣鏡(複製)、変形四獣鏡、水晶製勾玉、水晶製算盤玉、ガラス玉、管玉、銅鏃を鑑賞した。
“辰”にまつわる1日1ツイート、今日は真土大塚山古墳出土の三角縁神獣鏡(レプリカ)です。この鏡をよく見ると文字が彫られているのですが、その中に「龍」の字があります。鏡にも龍(と思われる)が描かれています。ちょっとかわいらしい感じの龍ですね。ちなみに反対側には虎がいますよ。 pic.twitter.com/8D2Zx5Hni8
— 平塚市博物館【公式】 (@hirahaku_) 2024年1月4日