史跡勝坂遺跡公園から案内板に従って勝坂遺跡A区を見学した。
勝坂式土器発見の地
勝坂式土器発見の地
「勝坂(かつさか)遺跡」は、縄文時代中期の典型的な集落跡であり、わが国における考古学上の代表的な遺跡でもあります。また、本遺跡から出土した「勝坂式土器」は、縄文時代中期を代表する土器として今日では全国的にその名前が知られています。
この土器は、大正15(1926)年10月3日、考古学者大山柏氏が中村忠亮氏所有の畑地を発掘調査した際に、初めて発見したものです。大山氏が土器を発掘した場所は現在正確にはわかっていま せんが、地図に示した場所の近辺と推定されます。大山氏らの発掘調査はわずか一日だけでしたが、翌昭和2(1927)年に刊行された調査報告書は、今日的にみましても精緻極まる大変豊かな内容をもつものでした。
その後、昭和3(1928)年には、考古学者山内清男氏により時期区分の基準となる土器として、「勝坂式」という土器型式名称が与えられ、 勝坂遺跡は勝坂式土器の標式遺跡となりました。
「勝坂式土器」は、今から約5,000年前の縄文時代中期につくられたものですが、イラストの顔面把手(とって)のように彫刻的な把手や立体的な文様に大きな特徴がみられ、器形の雄大さや装飾の豪華さなど、その造形は他のいずれの土器型式にも例を見ないものである。
勝坂遺跡A区
䂖楯尾神社