以前、面野井(おものい)古墳群をネット検索したときに見つけた「はなゆみ」さんのウェブサイトの現地説明会レポート(2012/9/15)に面野井古墳群の手書きの分布図の写真があったので、この分布図を頼りに現存する古墳が見つからないか探索した。結論から収穫はなかった。面野古墳群は文献[5]の「番号053、前方後円墳1基、円墳8基(現存2基確認のほか削平か)、方墳1基、不明1基、昭和57年, 平成18, 28年発掘調査、平成23年確認調査」
「山新グランステージつくば」の西側から面野井古墳群の分布域を眺める。分布図では、中央奥のつくばエキスプレスの右手前に9号墳が記されている(円墳、湮滅?)。
県道20号(エキスポ通り)
9号墳跡はこの辺りか?
つくばエキスプレスの先の右手に8号墳(円墳、湮滅?)、その先奥の歩道橋の右手に4号墳(円墳、現存?)。
4号墳(円墳、現存?)はこの辺り?
歩道橋の対岸の5号墳(円墳、湮滅?)はこの辺りか?
歩道橋の上から8号墳跡の辺り。
歩道橋の南側の林の中のの道。この奥に2号墳(円墳、湮滅?)。
林の中の道の右手(西側)のこの辺りに3号墳(円墳、現存?)
怪しい茂みを南側から
今度は北側から
結局、何の確証も得られず諦めて、エキスポ通りに戻って奥を横切る県道19号線の辺りに1号墳(前方後円墳、湮滅)。県道19号線をさらに右手に進むと文献[4]で報告された発掘調査の地点(古墳時代前期の方形周溝墓4基、円墳1基及び時期不明の炉跡6基、土坑25基、溝跡3条、ピット群6ヵ所を確認)に至る。
エキスポ通りを振り返って歩道橋とその奥につくばエキスプレス。
1号墳は面の井1号墳として文献[1][2]に記載あり。前方部を北に向け全長30mの前方後円墳。1958年、開墾時に乱掘。後円部中央に箱式石棺。
リンク
つくば・面野井古墳群 舟形木棺の痕跡発見 茨城2012.9.14
茨城県つくば市面野井古墳群現説&境町桜山古墳群探訪120915 | Flickr
文献
[1] 谷田部の歴史編さん委員会 編 1975『谷田部の歴史』谷田部町教育委員会
[2] 近藤義郎 1994『前方後円墳集成 東北・関東編』山川出版社
[3] つくば市教育委員会 2012 『つくば市内遺跡』つくば市教育委員会
[4] 茨城県教育財団 2014 『茨城県教育財団文化財調査報告391:面野井古墳群』茨城県教育財団
すばらしい展示でした>クリスタルロード。近所の古墳から出た水晶勾玉も、山梨で産出し武蔵で加工されたものかもしれないとのこと。時を超えた地域間のつながりを感じます。 https://t.co/vIeNCLZnME pic.twitter.com/RnEqOHxMGK
— 月をみるもの (@bamboo4031) 2023年5月25日