週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

面野井古墳群 つくば市面野井

以前、面野井(おものい)古墳群をネット検索したときに見つけた「はなゆみ」さんのウェブサイトの現地説明会レポート(2012/9/15)に面野井古墳群の手書きの分布図の写真があったので、この分布図を頼りに現存する古墳が見つからないか探索した。結論から収穫はなかった。面野古墳群は文献[5]の「番号053、前方後円墳1基、円墳8基(現存2基確認のほか削平か)、方墳1基、不明1基、昭和57年, 平成18, 28年発掘調査、平成23年確認調査」

山新グランステージつくば」の西側から面野井古墳群の分布域を眺める。分布図では、中央奥のつくばエキスプレスの右手前に9号墳が記されている(円墳、湮滅?)。
f:id:kofunmeguri:20210620171258j:image
f:id:kofunmeguri:20210620171250j:image

県道20号(エキスポ通り)
f:id:kofunmeguri:20210620171254j:image

9号墳跡はこの辺りか?
f:id:kofunmeguri:20210620171240j:image
f:id:kofunmeguri:20210620171243j:image

つくばエキスプレスの先の右手に8号墳(円墳、湮滅?)、その先奥の歩道橋の右手に4号墳(円墳、現存?)。
f:id:kofunmeguri:20210622180043j:image

4号墳(円墳、現存?)はこの辺り?
f:id:kofunmeguri:20210620171416j:image
f:id:kofunmeguri:20210620171420j:image

歩道橋の対岸の5号墳(円墳、湮滅?)はこの辺りか?
f:id:kofunmeguri:20210620171746j:image

歩道橋の上から8号墳跡の辺り。
f:id:kofunmeguri:20210620171749j:image

歩道橋の南側の林の中のの道。この奥に2号墳(円墳、湮滅?)。
f:id:kofunmeguri:20210620171742j:image

林の中の道の右手(西側)のこの辺りに3号墳(円墳、現存?)
f:id:kofunmeguri:20210620171727j:image

怪しい茂みを南側から
f:id:kofunmeguri:20210620171754j:image

今度は北側から
f:id:kofunmeguri:20210620171723j:image
f:id:kofunmeguri:20210620171738j:image

結局、何の確証も得られず諦めて、エキスポ通りに戻って奥を横切る県道19号線の辺りに1号墳(前方後円墳、湮滅)。県道19号線をさらに右手に進むと文献[4]で報告された発掘調査の地点(古墳時代前期の方形周溝墓4基、円墳1基及び時期不明の炉跡6基、土坑25基、溝跡3条、ピット群6ヵ所を確認)に至る。
f:id:kofunmeguri:20210620171734j:image

エキスポ通りを振り返って歩道橋とその奥につくばエキスプレス
f:id:kofunmeguri:20210620171730j:image

1号墳は面の井1号墳として文献[1][2]に記載あり。前方部を北に向け全長30mの前方後円墳。1958年、開墾時に乱掘。後円部中央に箱式石棺。

リンク

発掘情報いばらき

面野井古墳群現地説明会: 埼群古墳館別館

つくば・面野井古墳群 舟形木棺の痕跡発見 茨城2012.9.14

茨城県つくば市面野井古墳群現説&境町桜山古墳群探訪120915 | Flickr

文献

[1] 谷田部の歴史編さん委員会 編 1975『谷田部の歴史』谷田部町教育委員会

[2] 近藤義郎 1994『前方後円墳集成 東北・関東編』山川出版社

[3] つくば市教育委員会 2012 『つくば市内遺跡つくば市教育委員会

[4] 茨城県教育財団 2014 『茨城県教育財団文化財調査報告391:面野井古墳群茨城県教育財団

[5] つくば市教育委員会 2020「つくばの遺跡 」

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村