週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

三千塚古墳群 第I支群 東松山市大谷

水穴配水場前の「三千塚古墳群 第I支群」の説明板を見学。

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市指定史跡 三千塚古墳群 (第Ⅰ群)

三千塚古墳群は、大谷地区の丘陵尾根上に広く分布している古墳の集 まりです。古墳群のほぼ中央に位置している雷電山古墳(五世紀初め頃の帆立貝式前方後円墳)を中心に、基の前方後円墳と約150基の円墳で構成されています。市内でもっとも多くの古墳が集中していることから、昭和31年に史跡として、市の文化財に指定されました。また、この古墳群は8つの小地域に分けられており、水穴地域の小支群は、第I支群とよばれています。

平成7年に、配水場建設に先立って、4基の古墳の発掘調査が行われました。1基は道路によって既に半壊状態になっており石室の構造は分かりませんでした。他の三3基は、盗掘などにより、天井石全部と側壁の大部分が抜き取られていましたが、凝灰岩の切り石で組まれた横穴式石室を持つ古墳であることがわかりました。出土した遺物は、土師器や須恵器の土器の他、鉄鏃や弓金具、短刀などの武器類、耳環や丸玉、ガラスなどの装身具類です。 出土した遺物から、7世紀頃に築造された古墳と思われます。

平成10年10月 東松山市教育委員会

451のミニベロ : 三千塚古墳群サイクリング 古墳編

文献

[1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」

[2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会

[3] 東松山市教育委員会 2012 『東松山市発掘調査報告書29:三千塚古墳群東松山市教育委員会

[4] 土屋 正臣 2018「文化財保護運動と地域開発史の一試論―三千塚古墳群発掘調査を中心に―文化資源学 16 巻

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