11月19日に開催された史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」の続き。八幡山古墳石室の次に若王子古墳跡を訪ねた。途中、八幡山古墳の墳丘を削平して埋め立てた小針沼の跡地である埼玉県行田浄水場や埼玉県水質管理センターの前を通り、旧忍川沿いに中川の碑や弁天門樋を横目で見て、30分ほど歩いた。王子古墳跡は、旧忍川の対岸の先の田圃。旧忍川の両岸のススキ?が邪魔してよくわからない。若王子古墳も八幡山古墳と同じ頃に小針沼の埋め立ての土採りで削平された。戦後の航空写真のソイルマーク(クロップマーク)で古墳跡が確認でき、2012年3月に埼玉古墳群周辺確認調査として発掘調査が実施された(文献[3],[4])。墳丘は削平されているが周溝が依存している可能性が高い。ちなみに今回の史跡探訪の解説を担当された学芸員が、2012年の調査を担当されている。なお、若王子古墳跡の東隣に愛宕塚古墳跡がある。若王子古墳は、文献[1]によると「全長95mの前方後円墳、鉄鏃・馬具・挂甲・須恵器を出土、横穴式石室、石棺、昭和9年頃削平」
藁ボッチ
稲荷山古墳の後円部墳頂から
文献
[1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」
[2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾」さきたま出版会
[3] 佐藤康ニ 2013「平成23年度 埼玉古墳群周辺確認調査の報告―若王子古墳の確認調査(1)」紀要 第7号 埼玉県立史跡の博物館
[4] 岩田明広 2014「平成24年度 埼玉古墳群周辺確認調査の報告―若王子古墳の確認調査(2)」紀要 第8号 埼玉県立史跡の博物館
昭和9年に埼玉古墳群の近くにあった若王子古墳が土取りのため消失しました。その存在は航空写真にみえるクロップマークからも確認できます。古墳消失に危機感をもった埼玉村は、丸墓山・二子山・鉄砲山古墳保存の要望書を提出し、史跡の仮指定がなされました。(史)#埼玉古墳群史跡指定の経緯 pic.twitter.com/5oRpF9qVSI
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年11月10日
埼玉(さきたま)古墳群【埼玉県行田市】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2022年2月19日
愛宕山古墳現地説明会の前後には周辺に広がる埼玉古墳群の古墳たちを見学。5回目の探訪になるけどやはりここは凄いな...。見逃してた若王子古墳の石室材を転用した石碑や、周溝部分が整備された白山愛宕山古墳も見れたし大満足でした。 pic.twitter.com/bl89cqtVuC
ちなみに埼玉県行田市の小針沼を埋め立てる際には近くにあった3つの古墳群が次々に壊されたそう。100基以上あった若小玉古墳群は2基にまで減り、全長103mの若王子古墳は跡形もなく消滅。もはや「小針沼=古墳」と言っても過言ではない...! pic.twitter.com/EeZ19z68E7
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2019年10月12日
謎の「若王子古墳群」
— のんぼ (@nonbo30) 2019年11月16日
若王子古墳は埼玉古墳群の800mほど東側に存在していた前方後円墳。全長103m、後円部径52m、前方部幅54mもの規模があったことが判明しているが、1934年に取り壊され消滅。周辺に複数の古墳が存在していた。1951年耕作中に偶然内行花文鏡が発見された。 pic.twitter.com/IQ28IZMOGj
前玉神社には、日露戦争の戦没者を弔うために建立された忠魂碑があります。実はこの石碑には、かつて存在した若王子古墳の石室の石材が使われています。若王子古墳は100m近い規模をもつ前方後円墳で、石碑の大きさから非常に大きな石室であったことが想定されます。(史)#前玉神社 #若王子古墳 pic.twitter.com/rnzzE1bFzZ
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年12月15日