早稲田大学の會津八一記念博物館の企画展「下総龍角寺」を鑑賞した後で、早稲田大学9号館西側の富塚跡を訪ねた。富塚(とみづか)は新宿区戸塚の地名の由来になった塚。新宿区教育委員会の説明板によれば、かつてこのあたりにあった水稲荷神社の境内に「富塚という古墳(円墳)があった」とされている。東京都遺跡地図には、新宿区の遺跡番号49番「下戸塚遺跡」の「主な遺構/概要」に「[古墳時代]方形周溝墓 円墳」と記載されている。ご〜ご〜ひでりんさんの「古墳なう」によれば、言い伝えでは富塚は前方後円墳だったといわれていて、江戸時代にこの古墳の前方部を利用して「高田富士」と呼ばれる富士塚が築かれたとして、当時の富士塚の写真が掲載されている。文献[1]では「4. 消滅した古墳 - 明治・昭和初期の地形図に認められる古墳 -」の第23図に「戸塚富士」が記されている。
大隈記念講堂
大隈重信像
都電荒川線 早稲田
文献