週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

観音松古墳 横浜市港北区日吉

多摩川右岸の鶴見川下流域では鶴見川の支流の矢上川を挟んで対峙する白山古墳と観音松古墳が最初に出現した。その距離500m。どちらも前方後円墳。白山古墳は全長87m。観音松古墳は発掘調査の記録が公表されていないので詳細がわからない。どちらも出現期の前方後円墳の典型。どちらも開発のため削平されていて現存しない。出土した土器がどちらも公表されていないので、どちらが先に築造されたかは決め手に欠け、白山古墳を古いとする説と観音松古墳を古いとする説がある。浜田晋介は白山古墳の後円部の埋葬施設に着目して、中央の木炭郭が両脇の粘土郭より古いとし、木炭郭がある白山古墳が古く、粘土郭しかない観音松古墳が新しいとした。

現在、慶應義塾大学矢上キャンパスのある矢上台の標高20mの平坦面の東端に観音松古墳はあった。観音松古墳の墳丘は1938年の土取りにより削平され、破壊されたと考えられていた。慶應義塾大学民族学考古学研究室は、観音松古墳が矢上キャンパスのグラウンド東端に、周濠等の外部施設が残存している可能性を調査するために、2006年にグラウンドの端に6ヶ所のトレンチを設定して発掘、4mの盛土と、周溝の可能性のある落ち込みを確認した。この結果は、1941年測量の地図から復元した古墳の位置や外形と整合する。前方部を東北に向け、墳丘長90〜100m、後円部径50〜60m、前方部40〜50mと復元した。観音松古墳の推定地には、1973年開校の矢上小学校の校舎が建っている。

文献

[1] 浜田晋介 1998 「川崎の古墳」『第5回考古学講座ー神奈川の古墳』神奈川県考古学会

[2] 安藤広道 2008「観音松古墳」『第31回神奈川県遺跡調査・研究発表会発表要旨』神奈川県考古学会

[3] 安藤広道 2019 『日吉台遺跡群発掘調査報告書-2006~2014年度の調査成果-慶應義塾大学文学部民族学考古学研究室

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