週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

道明山古墳 板倉町岩田

谷田川左岸の岩田地域で、船山古墳、筑波山古墳に先行する道明山古墳(どうみょうやまこふん)。 板倉町によると「筑波山古墳の東約900mの台地先端に所在する。周堀からの推定では全長39mの前方後円墳。現在、墳丘は後円部を残すだけ。形象、朝顔型、円筒埴輪などの埴輪が多量に採集。築造時期は6世紀後半頃で、谷田川左岸の岩田地区の中では最も古い。」

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板倉町指定史跡 道明山古墳(どうみょうやまこふん)

指定 昭和五十年四月二十五日

谷田川の左岸側の台地縁辺に構築された前方後円墳です。現在前方部は壊滅していますが、全長30m、周堀を含めると33m、後円部経 24mになると推定されます。また後円部の現在の高さは3.2mになります。周堀は前方部の東隅が直角になる「片直角型周堀(かたちょっかくがたしゅうぼり)」を呈すると考えられます。

石室は紡錘状の軽石(浮石質角閃石安山岩)で構築されていたようですが、大きさが50㎝前後もあり、重さが約70㎏の大きなものが使われています。軽石は、利根川(現在の谷田川)を流れてきた河原石を面取りして積みやすく加工されたものです。

太刀型埴輪、人物埴輪、円筒埴輪などが古墳の廻りに立て並べてあったと考えられます。

谷田川左岸の岩田地域には、道明山古墳の後に船山古墳、筑波山古墳という三基の 前方後円墳が順次築造されたものと考えられています。

板倉町教育委員会

 

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