4年前に初めて高崎市観音塚考古資料館を訪れた時に、観音塚古墳と八幡二子塚古墳と平塚古墳を巡った。その時、平塚古墳は平塚公園の埴輪のモニュメントとその背後の茂みを撮影して、引き上げた。その時は円墳かと思った。後で博物館の資料を見たら前方後円墳だった。今回は強行軍だったので古墳巡りする時間は限られていた。そこで、平塚古墳を再訪した。その結果、分かったことは、前回撮影した茂みは後円部の墳丘のずっと手前だった。その後、さらに分かったことは、茂みの範囲が後円部の3段築造の1段目の範囲のようだ。
平塚公園の南側に小道を発見
小道を進むと右手に階段を発見
階段を登ると頂に出た。墓地のようだ。ここが墳頂だとすると後円部?では前方部は? ここは後円部の3段築造の3段目のようだ。
階段を戻り、小道をさらに西に進み、振り返る
小道を西に進んだ先が前方部?
前方部も墓地だった
前方部の墳頂から十字を刻んだ墓石越しに後円部
高崎市観音塚考古資料館の2019年のミニ企画展「八幡台地の遺跡-観音塚古墳の歴史的環境を探る-」のパンフレットによると平塚古墳は八幡台地に最初(5世紀後半)に造られた大型前方後円墳で、全長105m、後円部径66m、同高さ9m、前方部幅76m、同高さ7mを測る。3段築造で、葺石を張り、墳頂や平坦面には埴輪が樹立、墳丘の周囲には周堀が巡る。後円部から2つの舟形石棺。