週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

岩鼻二子山古墳の石棺 東京国立博物館

東京国立博物館に行くたびに、遠目で確認するバックヤードの石棺。立ち入り禁止エリアにあるので見学できないのが残念。群馬県高崎市の岩鼻二子山古墳の石棺(J-8278)、宮城県仙台市の一塚古墳出土の石棺(J-20055)、福井県福井市の小山谷古墳出土の石棺(J-5017)など。以前は、東洋館の軒下で野外展示されていた(埼群古墳館別館)。

国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構(QTS) 高崎量子応用研究所の『高崎研だより』第5号の「高崎研歴史探訪〜その1古墳編〜」によれば、岩鼻二子山古墳の石棺は「以前は、東洋館の軒下に展示されていたそうですが、現在はバックヤードで保管中とのこと。特別にお願いして見せていただきました。砂岩でできた全長253cm、 幅148cmの舟形石棺で、古墳時代 5世紀頃のものとされています。」、バックヤードの石棺のうち中央に並ぶ石棺の身と蓋が岩鼻二子山古墳の石棺とのこと。

国立文化財機構所蔵品統合検索システム(ColBase)では「長持形石棺  古墳時代・5世紀  群馬県高崎市 岩鼻二子山古墳出土  砂岩製  東京国立博物館所蔵 J-8278」「石棺  古墳時代・5~6世紀  宮城県仙台市 一塚古墳出土  徳川頼貞氏寄贈 東京国立博物館所蔵 J-20055」「舟形石棺 福井市 小山谷古墳出土 若村彌三郎氏寄贈 東京国立博物館 J-5017

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QTS高崎研にかつてあった日本陸軍岩鼻火薬製造所、綿貫古墳群で最大規模の前方後円墳の岩鼻二子山古墳については、QTS高崎研『高崎研だより』第5〜8号の「高崎研歴史探訪」が参考になる。

  • 「高崎研歴史探訪〜その1古墳編〜」『高崎研だより』第5号、2018年8月1日発行
  • 「高崎研歴史探訪〜その2火薬工場編〜」『高崎研だより』第6号、2018年9月3日発行
  • 「高崎研歴史探訪〜その3軽便鉄道編〜」『高崎研だより』第7号、2018年10月1日発行
  • 「高崎研歴史探訪〜その4日光例幣使街道編〜」『高崎研だより』第8号、2018年11月1日発行

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不動山古墳と綿貫古墳群

綿貫古墳群は、南から岩鼻二子山古墳、不動山古墳、普賢寺裏古墳、綿貫観音山古墳の四基の前方後円墳と、これらの周囲に分布する円墳群から形成されています。

現在岩鼻二子山古墳は削平され存在していませんが、巨大石棺がある100m級の不動山古墳、その北方に70m級の普賢寺裏古墳、二基の円墳、そして国指史跡の100m級の綿貫観音山古墳が続きます。

綿貫古墳群の四基の前方後円墳は、普賢寺裏古墳を最初として、その後は不動山古墳→岩鼻二子山古墳→綿貫観音山古墳の順番に造営されたものと思われます。

この古墳群は四基の前方後円墳を主墳として五世紀中頃から形成され、六世紀後半の綿貫観音山古墳へと続き、其の時代に、同一系譜に連なる強大な豪族がこの地に居たことを証明しています。

なお、不動山古墳は平成四年三月二日、高崎市指定史跡になっています。

 

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