週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

原山古墳群 (その1) 桶川市川田谷

権現遺跡・二ノ耕地遺跡見学会の前に桶川市川田谷の原山古墳群を探索した。

原山古墳群は、荒川を西側に見下ろす川田谷(かわたや)の台地上に群集する川田谷古墳群の一部で、川田谷古墳群は、6世紀から7世紀にかけて築かれ、かつては70基以上の古墳があったとされる北足立地方では最大級の古墳群。江戸時代の地誌である 『新編武蔵風土記稿』 の記述にも古墳の存在を示す記事が見られ、明治28年に地元住民によって発見された埴輪が学会に報告されている。これらの古墳の多くは消滅し、現存する古墳は原山古墳群などわずか。川田谷古墳群は北から西台支群、原山支群、柏原支群、樋詰支群と4つの支群に分けられ、原山支群のうち、圏央道(国道468号線)の南の雑木林に保存された9基の古墳が原山古墳群として桶川市の市指定文化財(記念物・史跡)に指定されている。ちなみに熊野神社古墳が樋詰支群で現存する古墳の1基。

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原山古墳群 所在地 桶川市川田谷

桶川市川田谷地区の荒川に面する台地の上には、かつて多くの古墳があったが、その多くは開墾され畑などになり、その姿を消してしまった。

しかし、ここの雑木林の中には、現在九基の古墳が残っており、ここの地名をとって「原山古墳群」と呼んでいる。

この古墳群(小さな古墳が集まっているのが特徴)は、古墳時代の後半七世紀に作られたと考えられる。

出土品は、ここに残る九基の古墳については、発掘調査が行われていないため不明であるが、すでに消滅した周辺の古墳からは、直刀・鉄鏃(やじり)・耳環(耳かさり)・ガラス製小玉・須恵器(土器の一種)・埴輪などが発見されており、古墳時代後期の社会のあり方を知るには、大切な文化遺産である。

昭和六十一年三月 埼玉県 桶川市

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2022年に桶川市歴史民俗資料館の企画展示「川田谷古墳群と栗原司氏の足跡」を鑑賞した。

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企画展示「川田谷古墳群と栗原司氏の足跡」の資料に加筆。
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市指定文化財に指定された9基の原山古墳群の南に原山19号墳が現存するとの情報で藪漕ぎしたけど発見できず撤退。下の写真中央の背の高い木の側にあるはず。

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文献

[1] 桶川市教育委員会 1978 『桶川市文化財調査報告書10:川田谷 (かわたや) 古墳群桶川市教育委員会

[2] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」

[3] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」

[4] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会

[5] 塩野博 2004「埼玉の古墳 北足立・入間」さきたま出版会

 

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