特別展「鹿嶋の古墳を歩く」を鑑賞した日は、早起きして、ミニ博物館ココシカの開館前に、中宮野古墳群を散策。そのあと鹿島神宮を参拝。
中宮野古墳群の主墳、夫婦塚(めおとづか)古墳。文献[2]によれば中宮野古墳群で現存する古墳は40基程。
夫婦塚古墳附陪塚(めおとづかこふんつけたりばいちょう)
北浦を望む台地上に分布する宮中野(きゅうちゅうの)古墳群は、6〜7世紀頃の鹿島地方の首長層の墳墓で、前方後円墳17基を含む100基以上の古墳を有する県内最大級の古墳群です。そのなかでも、夫婦塚(おとめづか)古墳は宮中野古墳群中最大規模を誇る前方後円墳です。主軸方位はほぼ北西で、規模は全長107.5m、後円部径47.5m、同高7.5m、前方部幅34.0m、同高5.75mを計ります。後円部の径・ 高さに対し、前方の幅・高さの 計測値がそれぞれ小さいことや、くびれ部から前方部先端部に向けて、僅かに広がりながら直線的に伸びていく墳形などから考えると、6世紀中葉から後葉にかけて築造されたものと考えられます。
周堀については前方部先端部が不明確ですが、全体的に良好に確認することができます。墳丘の北側は道路、南側は土盛りによって、それぞれ原形の一部が損なわれていますが、残存する部分の等高線から類推すると夫婦塚古墳は盾形の周堀を有していた可能性が強いようです。周堀の規模は後円部の東側で 約20m、くびれ部付近では優に30mを超えるものと考えられ、夫婦塚古墳の全長は周堀を含めると150m 以上に達すると思われます。
夫婦塚古墳の墳丘で最も特徴的なのは、後円部及び前方部の墳頂に平坦面がなく、後円部の断面形が円錐形で、前方部が馬の背状の形状をしていることです。後円部が円錐形の古墳としては、北浦を挟んで対岸の台地上にある大生(おおう)古墳群 (潮来市大生)の鹿見塚古墳などが挙げられますが、こうした形状が古墳築造時のものであったかは、今後検討を加える必要があります。
なお、墳丘表面には葺石も確認されず、主体部などの埋葬施設や被葬者についても現時点では不明です。
【陪塚(ばいちょう)】夫婦塚古墳後円部東側に近接し、寄り添うように2基の円墳が位置しています。規模は北側 の古墳が径17.5m、高さ1.25m、南側の古墳が径15.0m、高さ1.0mを計ります。両古墳とも周堀、葺石は確認できていません。
夫婦塚古墳
夫婦塚古墳は6世紀前半に造営されたとされ、125基ある宮中野古墳群の中で最大の前方後円墳(全長108m、後円部高さ7.5m、前方部高さ5.8m)です。夫婦塚の名は、前方部と後円部の二つの丘を寄り添う夫婦に見立て、呼称したことに由来します。南東側の2基の円墳とともに市の史跡に指定されています。
また、近辺の古墳調査で見つかった遺体を安置する石棺を展示しています。この棺は筑波山産出の接触変成岩 (ホルンフェルス) を板状に切りだして、箱形に組み合わせたものです。
2014年5月25日 鹿嶋神の道運営委員会
後円部から墳丘の上に登らせていただく。
文献
[1] 鹿島町教育委員会 1984「中宮野古墳群発掘調査慨報」