週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

中妻貝塚 取手市小文間

取手市埋蔵文化財センターで企画展を鑑賞していたら、この日は11時と14時に展示解説があると知り、少し時間があったので、その間に、中妻貝塚を訪れた。文献[3]で、縄文時代後晩期の多数合葬・複葬例として中妻貝塚の事例が紹介されている。

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市指定史跡 中妻貝塚(なかつまかいづか)

中妻貝塚は、小貝川から広がる沖積低地を望む標高約23メートルの台地上に位置します。貝塚の規模は、推定直経約150メートルの範囲におよび、縄文時代後期から晩期にかけて形成された厚さ1〜2メートの貝層からなる利根川流域最大の環状貝塚です。

中妻貝塚は、古くからその存在を知られており、大正三年(1914)の東京人類学会による遠足会と称された調査を始めとしてたびたび調査が実施され、その都度大きな成果を上げました。戦後すぐの昭和二十六年(1951)戦前から日本に滞在していたオランダ人宣教師のジェラード・グロード氏が発堀調査したことは、今でも地元の人に記憶されています。

取手市による発掘調査は、A地点からG地点までの7地点を実施しており、住居跡や貝玉製作跡など縄文時代の生活がわかる貴重な資料が多数出土しています。 特に、平成四年(1992)に実施したG地点の発掘調査では、全国でも非常に珍しい百体を超える人骨が埋葬された集団埋葬墓が発堀されました。

この地域の縄文時代社会を理解するための代表的な遺跡である中妻貝塚を後世に残すために、平成八年(1996)にG地点を、平成十一年(1999)に福永寺境内の中の貝塚保存区域を市の指定史跡としました。

取手市教育委員会

寄贈 取手ライオンズクラブ

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福永寺
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文献

[1] 取手市教育委員会 1995 『中妻貝塚発掘調査報告書

[2] 茨城県考古学協会 2010「茨城の考古学散歩」東冷書房

[3] 山田康弘 2019『縄文時代の歴史 (講談社現代新書)』

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